• 締切済み

哲学者の死に方

「死ぬ」ということが、なにか思想や哲学のようなものを孕んでいるか、それはわかりません。しかし、生きている人間がそこに学ぶことは多いはずです。 ヘラクレイトスは水腫症の水分を牛糞の熱で蒸発させようとして、牛糞の上に寝そべったけれど、けっきょくどうにもならず牛糞にまみれたまま死んだそうですが、他にも毒盃をあおいだソクラテス、狂気の淵に沈んだままだったニーチェなど皆さんがご存知の哲学者の死に方を教えていただけないでしょうか。 もちろん対象は狭義の哲学者に限りません。文学者、科学者、芸術家などの死に方(あるいは生き様)を、ちょっとした短い読み物を書くイメージで書いてみませんか?読んで元気が出るか、考えさせられるか、あるいはしんみりするか、笑ってしまうか、しばらく閉めずにおいておきますね。たくさんの方の回答を楽しみにお待ちしています。

みんなの回答

noname#130082
noname#130082
回答No.10

不完全性定理で有名な超天才数学者・論理学者クルト・ゲーデルは、食べ物に毒が入っているという強迫観念に陥って、ものが食べられなくなり、死んだそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB (あくまでたとえ話ですが、正気の人は自分の正気を証明できない(逆に言えば、ある人が自分が正気であることを完璧に証明したとしたら、その人は狂っている)というような定理です---実際は高度で厳密な数学的定理ですけど。)

  • caramel
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.9

愛読書「最期のことばー聖者から死刑囚までー」(現代教養文庫:社会思想社89年)から、印象に残ったものを。 ウィリアム・マッキンリー(第25代アメリカ大統領)(暗殺:2日後に死去:58歳) 「われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、われわれは皆、行くんだ、、、ああ、なんて事だ!」 オーギュスト・ルノワール(画家、死因は書いてませんが78歳なので自然死でしょう) 「まだ上達しているぞ」 エレン・テリー(イギリスの女優・80歳) (ベッド横のテーブルの埃の中に走り書きで) 「しあわせ。」 ニコロ・マキアヴェリ(政治学者・歴史家:58歳) 「私が行きたいのは地獄であり、天国ではない。地獄へ行けば、歴代の教皇、国王、皇太子と一緒になれるだろうが、天国には乞食と修道士と使徒しかいないのだから」 コットン・メイザー(アメリカの牧師:66歳) 「これが死ぬということですか?これだけですか?辛い死がやってこないようにと祈りを捧げているときに私が恐れていたものが、これなのですか。ああ、これは耐えられます、耐えられますよ!」 本からではなく新聞記事の記憶から: ジョン:レノン(暗殺:40歳) "Help! I've been shoot!" そのままの言葉の方がいろいろ考えられるかと思いまして、資料提供でした。(入手不可能かと思いますので、、)

noname#9162
noname#9162
回答No.8

ki61さんに倣って(笑)食中毒ネタ。 仏教の教祖 釈迦の話なので、知っているかも知れませんね。本にもなって有名ですし。 旅を続けていた或日のお釈迦様。途中、鍛冶屋のチェンダという男に出逢います。 チェンダは貧しい身でしたが、お釈迦様に逢えるなんて、なんて自分はラッキーなんだ、と喜びに任せ、お釈迦様を夕食に誘います。 当時のインドは身分制度が厳しく、サーキャ族の王子であったお釈迦様と、貧乏鍛冶屋のチェンダが一緒に食事をするなど、常識では考えられないことでした。が、釈迦という人は、人間に差別などあってはならない、と一心に説いた方ですから、チェンダの晩餐に喜んで招待されたのです。 しかし、チェンダの出した料理には、腐った肉が入っていました。 決して故意にではありません。ですが、それでお腹をこわしてしまったのも又事実。弟子達は、チェンダの所為で師匠が病気になられたと思っています。そこで師匠はこう言ったのです。 「私が今まで受けた布施の中で、チェンダの精一杯の御馳走程、素晴しいものはなかった」 最後まで優しい方だったのです。 しかも、各地で説法を待っている人々が沢山いらっしゃる。お釈迦様、旅を続けない訳には参りませぬ。 ようやく、クシナガラという地に辿り着いたのですが、そこでお釈迦様は入滅なされたのです。瞬間、床の周りにあった4本の沙羅双樹が、真っ白に枯れてしまったといいます。因に、80歳だったそうです。 素晴しい説法を説いて回った高僧でも、やはり人の子。一般人と同じ様に亡くなられた、という訳です。 でも何か、この話自体が命懸けの説法の様で、やはりお釈迦様は、仏教に生き、仏教に死んだのだなぁ、と感慨深くなります。

  • ki61
  • ベストアンサー率32% (85/263)
回答No.7

先日回答させていただいたki61です。 不確かな情報を差し上げてしまったのに丁寧なご回答をいただいて嬉しいです。 ところでまた一人思い出しましたので、お耳汚しながらおひとつ。 石田三成です。 ご存知かもしれませんけど・・ 彼は関ヶ原の合戦で東軍に敗れ捕縛されました。 結局処刑されることになり、刑場へ連れて行かれる道中、 一人の兵卒が最期に、と干柿を手渡そうとしました。 敗れた敵将へのせめてもの情けのつもりだったのでしょう。 ところが三成はそれを、 「干柿は胆の毒だ。体に良くない」 と言って断ってしまいました。 そこにいた兵卒たちは大笑いして 「もうすぐ処刑されるのに、体の心配をしてどうする」 と嘲ったのですが、彼は平然として 「お主たちはそんなに笑っていていいのか、  今にも西軍の残党が私を救いにくるかも知れないのだぞ。  人生は何があるかわからぬのだ、そのときのための用意はするべきだ」 と言い放ったそうです。 結局彼は処刑されてしまいましたが・・ 聞いてみれば確かにもっともなのですが、 さて自分が彼と同じような状況になったらどうでしょう。 多分ばりばり干柿食べちゃうんでしょうね。 「お茶くれ」とか言っちゃったりして(^^;) それと、私のバイト先の社長夫人の世間話に聞いた実話なのですが、 彼女が子供のころ(昭和初期)はまだ石焼芋の屋台がさかんだったそうです。 焼き芋というと、今でも若い女性が買いに行ったり、 食べてたりするとちょっとからかわれたりしますよね。 食べるとおならが出やすくなる→女性にとっては恥ずかしくもおいしい食べ物、 という感じでしょうか。 ある日一人のうら若き女性が石焼芋屋台に焼き芋を買いにいきました。 紙袋に入れてもらって帰る途中にうっかりつまづいて、 焼芋を路上に落としてしまったそうです。 路上に転がった焼き芋を他人に見られてしまったその女性は、 恥ずかしさのあまり家に帰って首を吊ってしまったそうです。 「昔の女性はね、そのぐらいのことがものすごいショックになるほど  慎ましくて繊細だったのよ。私なんかもうヤサグレちゃって、ほほほ」 と社長夫人は言っていました。

jume
質問者

お礼

ああ、石田三成!!聞いたことありますよ、その話。確か干し柿は体に悪いから、水をくれと言ったんじゃなかったかな。去年のNHKの大河ドラマで江守徹が、その場面を演ってましたよ。江守=三成は、そう言った後、兵卒たちに笑われて、つられて自分も笑ってました。そういえば、家康も食中毒か何かで死んだと聞きましたが…。真偽の程はいかに!?記憶が刺激される回答でした。ありがとうございました!! お芋の話は、なんか寓話のようですね。もはや、リアティがない(^^; 以前、お山の分校で先生一人、児童が二人という学校の話を、その先生に直接お話を伺う機会があったのですが、そのじつに牧歌的な雰囲気がリアリティに欠けていたのと似ています。まるでブラウン管の向こうの話のような感じがしますよね。 また、何か思い出したら書き込みお願いします。

  • kw888
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.6

寝る前の意識朦朧状態で書いたので、よく見たらガロアとガウスを間違えていました。トホホ、最近、物忘れと勘違いが多い・・・ そうです。ガロア(フランス)、ガウス(ドイツ)ともに数学者です。 失礼しましたので、ちょっと検索しましたので、補足しておきます。 ガロア、エヴァリスト(Evarist Galois, 1811.10.25-1832.5.31). フランス、パリ郊外のブール・ラ・レーヌに生まれ、パリに死す。革命と数学のために生き,女のために死んだ. 16歳のときルジャンドルの『幾何学原論』で数学にめざめ,2日で読破したと言う.また数日でラグランジュの『数字方程式の解法』を読み,独自の研究に取り組んだと言う.ガロア,リセ在学中のことである.エコール・ポリテクニークの受験に2度失敗し,パリ・アカデミーに提出した論文は,コーシーやフーリエにも理解されず,原稿は失われたと言う. エコール・ノルマル・シュペリオールに入学するも,急進的共和主義者の「民衆の友」に入会,退学させられる.決闘の直前に友人のシュヴァリエに送った手紙の中で,論文の内容を簡潔に述べている.死後14年経って,リウヴィルがガロアの論文を検討し,再構築して発表するまで,業績は知られなかった. 代数方程式の解の構造を調べるために置換群を利用し,群の有用性を示した.ガロア群.群,部分群,正規部分群,体,拡大という用語を導入. 代数の業績だけが喧伝されるが,任意の代数関数の積分の性質についての論文も書いている.  彼の伝記については、L.インフェルト『ガロアの生涯-神々の愛でし人』(市井三郎訳)日本評論社(1969)が詳しい。 ガウス、カール・フリードリヒ(Johann Carl Friedrich Gauss, 1777.4.30-1855.2.23). ブルンシュヴィク公国、ブルンシュヴィク(現在ドイツ領)に生まれ、ハノーバー、ゲッティンゲン(現在ドイツ領)に死す。 ゲッティンゲン天文台長(30才)、ゲッティンゲン大学教授(31才)。数学上の伝説は数多く、どれを省くこともできないので、すべて省略。ただし、正17角形の作図可能性の発見は、彼が数学に献身するきっかけでもあり、自分の墓に刻んで欲しいと願ったことだけ(実際には刻まれなかったが)述べておく。 パトロンのブルンシュヴィク公爵がプロシャとの戦争で死ぬまでは、家庭的にも恵まれていたが、その後ゲッティンゲンに移り(1807)、父をなくし、妻を次男のお産でなくし、その子もすぐに死んでいる。その後は家庭的には恵まれなかったと言われる。 1801年1月1日にG.ピアッツィ(1746.7.16-1826.7.22)によって発見された小惑星ケレスは6週間追跡観測されたが,太陽の位置との関係で見失われてしまった.ガウスはこの軌道を計算するため,3回の観測だけで小惑星の軌道を素早く計算する方法を開発し,発表した(1809).ガウスは自分の計算による予測をゴータ天文台のツァハに送り,1802年1月予測した位置の近くでH.W.M.オルバース(1758.10.11 -1840.3.2) によって発見された. 1831年以降W.E.ヴェーバーと共同で電気と磁気の研究をし,電磁気通信機を発明した.地球規模での地磁気の測定. 代数学(代数学の基本定理),整数論,複素関数論,楕円関数論,代数関数論,微分幾何,測地学,天文学,電磁気学など幅広い.創始した概念には,平方剰余,合同式,最小二乗法,誤差論,非ユークリッド幾何,ポテンシャル論,,正規分布.空間曲線のまつわり数を線積分で定義.正多角形の作図可能性.複素数という名前.  名前のついたものに,ガウス和,ガウスの超幾何関数,ガウスの超幾何微分方程式,ガウス曲率,ガウス方程式,ガウスの基本定理,ガウス写像,ガウス・マニン接続,ガウス・ボネの公式,ガウス核,ガウス過程,ガウス密度,ガウス測度,ガウス積分,ガウス系,ガウス平面,ガウス整数,ガウス記号,ガウスの消去法.ガウス--ザイデル法,ガウスの円の問題,数値積分のガウスの(補間)公式.またガウスは磁束密度の単位でもある. 日本語の本に『ガウス整数論』(1801)(高橋正仁訳)朝倉書店、『誤差論』(飛田武幸、石川耕春訳)紀伊国屋書店がある。また、ガウスの伝記や業績については、ダニングトン『ガウスの生涯』(銀林浩+小島穀男+田中勇訳)東京図書、G.ギンディキン『ガウスが切り開いた道』(三浦伸夫訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、高橋正仁『ガウスの遺産と継承者たち』海鳴社などがある。 ガロアの生涯-神々の愛でし人』日本評論社(1969)は、私はまだ読んでませんが、F先生(お茶大教授で数学者=大変に面白い方です)が推薦している?(直接聞いた訳ではないので)とても面白い本だそうです。恋愛問題で決闘して死んだという話しは、たぶんこの本の中に出典があるのだと思います。

jume
質問者

お礼

わざわざ詳しい紹介文をありがとうございました!ガロアさん、生きているうちは全然報われない人生だったんですねぇ。自分から苦しい道を選んでしまう人もいますが、彼もそんな人間の一人だったのでしょうか。 ガウスさんの紹介、その半分が「業績」で埋め尽くされているというのが凄いですね。私は、見たことない言葉ばかりですが(^^;

回答No.5

こんにちは。おもしろそうですね。では僕も。 ドヴォルザーク・・・「新世界から」でおなじみのチェコの作曲家。プラハ音楽の院長になる時、大勢の市民の祝福の声に涙した・・・が、いつまでも声がやまないので「いい加減やめろ!」と怒鳴ったすごい人。 院長になって三年後、風邪がやっと治ってきてその日の昼食開始、すごい食欲だった・・・が、直後「頭がぐるぐる回る!」と叫んで顔面蒼白。昼過ぎに死んでしまいました。脳出血だったそうです。偉大な人です。 アリストテレス・・・万学の祖ですよね。エウリポス海峡におもむき、潮流の動きが不可解と思い「エウリポスよ私を呑み込め、私はお前を理解できない」といって投身自殺したという。(な、な、なにしてんの!) ピタゴラス・・・「ピタゴラスの定理」でおなじみ。彼はピタゴラス教団の開祖であったそうだ。世界は輪廻であり人間はあらゆる生命をめぐって転生すると説く。これに反対した市民が彼を殺そうと追う。弟子とともに家を脱出し「そら豆の畑」にたどり着く。植物に尊敬の念を持っていた彼は決意した。「ここで死のう、このあわれなそら豆を踏みにじるよりは」・・・と、 まもなく市民に虐殺される(わ、わ、わからん!)。 ショーペンハウエル・・・彼は狭心症だったが薬を不自然であるという信条があるため飲まなかった。のち肺炎を起こして回復したようにみえた。しかししばらくした後また心臓発作。その日の午後見舞いに来た近親者が「死後解剖を受ける意志があるか?」と訊くと彼は「誰も生まれる前のことは何も知らないのだから、死んだ後についても何も知らなくていいだろう」いった。その眼には病も老いもなかったという。その後三日後に死んだ。 以上は山田風太郎「人間臨終図巻」より抜粋。天才の考えることは一般人ではわからないが、その死に方もまた理解不能のとこがあります(笑)だからこそ天才なんでしょうけどね。では。

jume
質問者

お礼

アリストテレスの「エウリポスよ私を呑め」には、噴き出してしまいました。い、いや笑っちゃいかん!!「天才」とはなにか、「病跡学pathography」という学問は、「天才」の生涯と創造の過程を精神病理学的に研究する学問だそうですが、そういう学問が成立しているということは、つまり、天才と呼ばれる人々には少なからず病的な部分があるということなんでしょうね。 山田風太郎さんの「人間臨終図巻」は、この質問をする前に検索で引っ掛けていましたが、読んでませんでした。allentown2001さんの回答を読ませていただいて、俄然興味が湧きました。絶対、読みます。ありがとうございました!

  • sanbi
  • ベストアンサー率22% (54/237)
回答No.4

 中国の有名な詩人杜甫と李白の死に方です。  まず杜甫から。  彼はものすごい貧乏でした。どのくらい貧乏かというと3日3晩飲まず食わずでいたほど。  で、ある人が3日間絶食だった杜甫にごちそうを振る舞いました。杜甫は夢中でそれを食べ、空腹だった胃に急にたくさんの食べ物を詰め込んだので、それが原因で死んでしまったそうです。  次は李白  彼はお酒が大好きで有名ですが、その夜も川に船を浮かべてみんなで宴会をしていました。きれいな満月の晩で川面に丸い月が移っていました。  すると酔っぱらった李白が 「よし、私があの川の月を取ってきてやろう」 と言って、川に飛び込みそのままおぼれてしまったそうです。  どちらも高校時代に漢文の先生に聞いた話です。うろ覚えなので間違ってるところもあるかもしれませんが。飲んべいの私としては、李白の死に方が奔放でちょっといいなぁ・・と思ってしまいます。

jume
質問者

お礼

私は飲んべいではありませんが(笑)、李白の死は、なんと言ったらいいか…「風流」(?)ですよね。詩人らしいというか、暗い水の流れの中、黒い船影の向こうに揺れる月を見ながら気が遠くなっていく感じなのでしょうか。不謹慎かも知れませんが、美しいですね。もしかしたら、その瞬間、最期の詩を頭に描いていたかも知れない。ん~凄く良い!! 杜甫の「国、破れて山河あり…」は、好きな詩なのですが、食べすぎでなくなったんですか、彼。そう言えば、「国、破れて山河あり…」も戦争の話だったなぁ。そういう時代だったんですね。死は、時代も反映するようです。 それから杜甫と李白という二人の詩人の人柄も。

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.3

中国に浄土教を弘通した善導は、一刻も早く往生せんことを願って、柳の木に首を吊って自殺を計り、死にきれずして発狂し、七日七晩もがき苦しんだ末に命終。 また、日本に真言宗を開いた空海の臨終も(諸説はあるが)、空海自身が、天長八年(831年)に上に奉った書に「悪瘡体に起って吉相根せず」とハッキリ述べていることから、晩年はライ病等の類で苦しんで一生を終えたことがわかる。空海は『秘蔵宝論』の中巻に「法を謗れば必ず阿鼻獄に堕つる」と述べているが、まことに自らの後生を言い当てているかのようである。 更に、かの平清盛は平家の武運長久を真言宗で祈祷し、自らはにわかの熱病で悶絶死、平家一門は壇の浦において海の藻屑となって滅亡している。 仏法においては、「臨終は、生と死の境、死後への第一歩であるから、臨終の姿は、その人の死後の状態を如実に顕わしている。しかして、謗法を重ね、死後、無間地獄に堕ちた人は、必ず、その臨終および遺体に悪相を現ずるのである」としております。 如何でしょうか。

jume
質問者

お礼

ナルホド…。宗教者の死は、その宗教の思想が顕れるんですね。そう言えば、もう何年も前の話になりますが、高校の倫理の授業で仏教の始まりを学んだ時、ブッダの一生を辿りながら、四苦というものを習いました。四苦とは「生老病死」のことで、老いや病、死と一緒に生が数えられていることに、少し興味を引かれた記憶があります。そう考えると、仏教者にとって、「楽」とは何なんでしょうね?苦ばかりのなかで、いかにして楽を掘り出すか…。善導さんなどは、まさにその挙句に狂死したという印象です。幸せとはなにか?永遠の問いです。

  • ki61
  • ベストアンサー率32% (85/263)
回答No.2

ご質問を伺って、ある医者の話を思い出しました。 名前を失念してしまったので、参考までにとどめておいてくだされば幸いです。 彼は中世のヨーロッパに生きていた人で、 細菌が人体に及ぼす影響を研究していました。 その研究の方法がすさまじく、自分の体に細菌を植付け、 自分の体の状態がどのように変化するかを研究したそうです。 彼はどんな強い有害な細菌を自分に植え付けても そのたび不死鳥のごとく回復したのですが、ある日路上で足を滑らせて 転倒した拍子に頭を打ってアッサリ死んでしまいました。 というお話です。とある本に書いてありました。

jume
質問者

お礼

ん~残念、とても面白そうな話なのに、名前がわからないなんて!!私は、Ki61さんのこのお話を読ませていただいて、空ばかり見て歩いていて足元の穴に気付かなかった古代ギリシアの自然哲学者タレスを思い出しました。でも、このお医者さんの方が人間味がありますよね。かっこいいです。ありがとうございました。 PS:ほかの方でも良いですので、このお医者さんの追加情報があれば書き込みお願いいたします。

  • kw888
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.1

天才中の天才数学者ガウスの死に方がまず真っ先に思い浮かびましたね。 2?歳で、決闘によって死んだとされています。 どなたか、簡潔に素描して下さればいいですが・・・

jume
質問者

お礼

早速の回答,ありがとうございます!! 「ガウスってどんな人だろう!」と思いまして,「ガウス,数学者,決闘」で検索にかけたところ,「ガロア」という数学者が出てきました(^_^; ガロアは,女性関係がきっかけで決闘を申し込まれ,銃で腹を打ち抜かれたそうです。翌日,倒れているところを発見されたものの,間もなく息を引きとったとか。20歳。「ガウス→ガロア」でいいんですよね。ガウスはガウスで,他にそういう名前の偉大な数学者がいるみたいです。 ん~,それにしてもガロア,壮絶。しかも,20歳で命を落としたのに,歴史に名を残すほどの発見――「群論」というものらしいですが――をしているというのも凄い。