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英語の早期教育は中世ヨーロッパのラテン語教育に相当

するのでしょうか。しかし一般庶民にまでラテン語は必要だったでしょうか。確かに英語が喋れるほうがよいかもしれません。しかし義務教育ではもっと大切な教科がたくさんあるように思います。また専門教育の場でも英語は堪能でも創造力が弱い人材が幅を利かすというようなことはないでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • trytobe
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回答No.2

欧米やその旧植民地のように、「インド・ヨーロッパ語族」の地域が近くにない現代日本で、 日本語とまったく派生の元になる語が違う「遠い親戚ですらない英語」を学ぶのは、「まず日本語でまともに論理だった説明ができるようになってからにしろ」と思っています。 インド・ヨーロッパ語族 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AA%9E%E6%97%8F ご質問のラテン語については、イタリック語派で、ローマ帝国の公用語であり、ラテン語から派生したロマンス諸語を現代の欧米の人間がまさに今も使っているから、古いラテン語で書かれた文献を読むにもハードルが低いし、他国の似た兄弟言語を話せるようになるのに実用的だからこその、 ラテン語が母国語の理解や習得にも有用であり邪魔にもならない相乗効果があるが故の、早くから知っておいても、現在の読み書きにも過去の文献の読み解きにも使える、という実用性からです。 逆を言えば、欧米の方は、母国語を完璧にマスターした時点で、近隣の国の言葉を類推できるようになり、ラテン語の存在を知ると、あっという間に近隣の国でもコミュニケーションできるのです。 日本は、海を渡って中国大陸側にいっても全然違う言語の系統ですし、よほど太平洋をだいぶ進まないと英語などのインド・ヨーロッパ語族の言語を活用するチャンスがないから、「生後10ヶ月までの発音の区別を聞き分ける能力が固まったあとに、いくら幼児期に頑張っても、どちらの言語も身に付かずにムダになるだけ」なのは当然なのです。そうなると、英語の日常会話だけできて、専門領域がない(英語が話せるだけ)の専門性がない「商売に使えない話しかしない人間」を生み出すことが問題なのです。(創造性以前の、基礎知識や論理的な説明すらできない)。それに気が付いて、英語だけ堪能な人間は幅を利かすことはなくなりつつありますが。

kaitara1
質問者

お礼

よく納得出来るお話を伺いました。日本の大切なものをなるべく失わないような教育をしてほしいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#209756
noname#209756
回答No.4

ラテン語は日本でいえば、漢文の勉強的に思えてます。ただ、欧州の言語が多様ですが、習うことは理解につながるなど相違点があるのかもしれません。 現在は、経済他英語がビジネスなどで使う理由から、グローバルな人材を育成する意味で早期教育になっていっていると思います。 ただ、スタンダードで使う言語や実用性、経済性から外国語=英語になっているのは、英語も特徴を持った言語でかつ日本語とは遠い言語です。ですので、それしか用意しないのは、外国語とかというイメージにまでなってしまうと思います。英語しか用意しない国のほうが少数とも聞きます。 現在より早めること自体はいいことかと思ってます。敏感な時期はあるとも言われてますので。 実用性、メリットから図るので英語教育の充実から他の削減というイメージがみんな思う所以になっているように思えます。意味の見直しは必要なのでしょうね。

kaitara1
質問者

お礼

ご教示ありがとうございます。NHKの子供番組などで日本語であそぼうなどというのがありますが、これは文科省の英語政策と関係はないのでしょうか。 11 n

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

1。 英語の早期教育は中世ヨーロッパのラテン語教育に相当するのでしょうか。  日本の英語教育は一般的な義務教育の一部、中世ヨーロッパのラテン語教育は、僧職(=非義務)の準備段階として使われたという点で、違うと思います。 2。しかし一般庶民にまでラテン語は必要だったでしょうか。  いえ、当時はもう死語ですから日常生活には不要ですが、キリスト教圏での教会語、学界の共通語、言い換えれば特権階級の道具としては庶民を閉め出すには有用であったと思います。 3。確かに英語が喋れるほうがよいかもしれません。しかし義務教育ではもっと大切な教科がたくさんあるように思います。また専門教育の場でも英語は堪能でも創造力が弱い人材が幅を利かすというようなことはないでしょうか。  これは、おっしゃる通りだと思います。

kaitara1
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。養老孟司さんは英語の論文は書かないというのも面白い話だと思います。

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.1

中世ヨーッパではラテン語は教会での聖書はラテン語だけとか、頭の固い牧師がラテン語でミサをしたがっていたので、ラテン語が分かる人=教養のある人と思われていただけです。すでに、ラテン語などを話す地域もなし、ましてや、一般市民は、学校にも行かずです。 今の日本の中学から高校までの英語教育。受験の英語に合格するためのコツを教えるだけで、はっきり言わせて貰うと、「英語キライ」の人間を沢山つくるだけの目的のようです。威張って教える教師ですら、自分が英語を聞いて理解し、自分の意見を自分の口からいって、相手を納得させる能力もなしだらけ。それで、無知な生徒を煙に巻くために、アホみたいな文法を教え込んだり、自分でも聞き分けのできない発音を、無理やりで屁理屈で教えたりしています。 こんな「英語キライ」の生徒を大量に発生させるだけの科目など百害あれど一利もなしです。やるのなら、6年間の時間と費用をドブに捨てる、さらに英語キライの人間を大量発生させるような教え方はするな!の一事です。 どんなアホな子供、おっさん・オバちゃんでも、1日30分だけで1年以内で外国語かなり習得し、相手の言うことを理解し、自分の意見を言って相手に理解させる方法は、あまりにも簡単で、参考書も辞書も文字にされているものはまったく不要で、商売につながらないので大反対なだけですが。 あれほどに効率よく無駄を省きたがる日本人が、英語教育にはダマリなのが理解できません。

kaitara1
質問者

お礼

結構複雑な事情がありそうですね。ご回答ありがとうございました。

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