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小学校での外国語教育は必要か
私自身は小学校での学校教育の必要性に疑問を感じています。 それは次のような観点からです。 ・英語教育を導入する以前の問題として改善すべき点が多く残されていること。 特に週休2日制となった今、英語教育を導入したことで他の科目に使える時間が減ってしまう。 物事を考える時間を与えられなくなる。すでに現在の学校で使われている教科書は、考える力を逆に奪ってしまうような作りになっています。 ・外国語を習得する以前に母語の運用がある程度できるようになる必要がある。 先述したことにつながりますが、母語さえもままならないのに、外国語を学ぶ必要はないと思います。母語獲得が出来た上で、外国語習得にもっていけばいいのではないかと思います。 そこで、皆さんのご意見を伺います。 英語教育は必要だと思いますか。それとも必要ないと思いますか。 立場をお書きの上、その理由を教えてください。 よろしくお願い致します。
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こんにちは。 結論としては、それ以前の問題かも知れない、です。 言葉は思考力、解釈力、判断力、コミュニケーション能力(=知性)の重要なツールです。言語教育は、知的能力の教育です。これが充分でないと、深く本質的にものを考えられない人間になってしまうのではないかとの危惧を抱いております。 そして、この能力は、他の科目を学習する時にも影響します。言語教育は、すべての教育の基盤です。これは、その言語が1つでも、2つでも同じです。それぞれの言語でそれだけの能力を身につければいいのですから(聞いた話では、2つ以上の言語を母語として育った人は、自然と使い分けのようなことをしているそうです)。 さて、では日本ではどうか、母語である日本語の教育は(それも上記諸能力を涵養する意味での)教育はどうでしょうか。全体的にみて極めて不充分なレベルではないでしょうか。 ここで問題を大きくするのは、本意ではないのですが、教育、それも言語教育は、社会環境と不可分の関係にあると思います。人間社会で言語が非常に重要な役割を持っている限り、社会環境≒言語環境といってもいい過ぎではないと思います。私が「全体的にみて極めて不充分なレベル」と申し上げたのは、「この国は、母語をつかって思考し、解釈し、判断し、コミュニケーションする能力が一定のレベルに達していない住人が多いし、それへの危機感も希薄」ということです。これが私たちや、子どもたちを取り巻く「言語環境」です。 この問題は大きく、根も深いので、話を教育に戻すと、まず、「学校で、母語の能力の涵養を深める教育が急務」ということです。また「家族が、言葉(言語教育ではなく「言葉」です)の重要さを改めて理解すること」です。これは、、たとえば父(母)親が会社員の場合、職場でコミュニケーションや判断力などの必要を痛感しておられることでしょう。それを、「言語」の問題として、自分の家庭でも考えて欲しいのです。あらゆる「言語能力」は、あらゆる職業に必要ではありませんか? また、専業主婦の方でも、人付き合いや、それこそ親として学校と話し合う場で、「言語能力」は必要とされていませんか? 言葉は思考力、解釈力、判断力、コミュニケーション能力(=知性)の重要なツールです。言語教育は、知的能力の教育です。「人は言語を獲得して初めて人となる」とは、フランスの精神分析医、ジャック・ラカンの言葉です。 まず足元を固めましょう。当たり前のことですが、流暢に意味のないことを喋るより、訥々と傾聴に値する意見をいう人の方が、最後には尊重されるのですから。 なお、日本の英語教育は、「受験」という日本の社会システムに沿ったツールで、「異文化教育」とは縁がないと考えます。ついでにいうと、日本は「米語」教育ですが、国際的には「英語」教育の方が多く、「クイーンズを話せる」方がさまざまな場面で有利という話も聞いたことがあります。これは「確か!」というほどでもない情報ですが、そんな側面もあるようです。 最後に。私は、学生時代、第二外国語で中国語を選びました、専攻の傍ら、学内の施設で補習をし、4年生の時、休学して1年間中国で語学研修をしました。一応日常会話や普通の文章読解には不自由はないです。中国人の考えかた、感じ方も肌で学びました。これは自慢じゃありません。外国語を喋り「異文化」を知りたいなら、これで充分ということを申し上げたかったまでです。 乱文陳謝。ご参考になれば。
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- mujer
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アメリカ人に通用するかしないかが英語ではない。 むしろ、英語を母国語としないもの同士が意思疎通が できればそれでいいんです。 その視点が皆無だということ自体、おかしい。 私もそういう経験がありますが、それはそれは 楽しかったです。文法もさほど気にしなくていいし、 発音もなあなあで通じちゃうし。 相手を理解しようとして耳をそばだててくれる人を 相手にして英語を話す魅力を教えたほうがいい。 片言どうし、が一番魅力的。 カンペキを最初から目指すなんて、ホント ばかげてますよ。それより、日本語の機微とか、 古典語の深みとかを教えて欲しいな。
お礼
ありがとうございました。 そうですね。実際、多くの人が英語を使う機会というのは、英語圏以外の人と会話するときの方が多いのかもしれませんね。 お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 賛否両論いろいろありましたが、非常に参考になりました。 ここでいったん締め切らせて頂きますが、良回答は後に決めさせていただいます。
- basscl
- ベストアンサー率19% (14/73)
必要ないと思います。 高校1年です。 中学から英語の勉強を始めて、 普通に英語ができてしゃべれて好きです。 別に小学校で慣れ親しまなくても、 中学校からで十分間に合います。 母語の美しさがわかるからこそ、 英語との違いに興味を持ち、楽しめるのでは ないでしょうか。 週5日制に英語教育を加えてしまうと すべての勉強がおろそかになってしまっていて、 高校に入ってからとても苦労している日々です。 英語教育なぞをするよりは、 理科の実験を増やして下さい。
お礼
現役高校生のご意見ありがとうございました。 私自身塾の講師をしていたので、実験や観察の機会が減っていることは、生徒の話から薄々感じていました。 今のままで英語を学ぶ時間を増やすことは、他の科目の時間が減ってしまうということですよね。 お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
- tgrace
- ベストアンサー率41% (97/233)
まず母語(日本語)の習得・運用が大切ですが、 これは学校ではなく家庭で行うもの、 学校では学問のひとつとして学ぶものかな、と思いました。 小学校1年生ですが、小学校に外国人の先生がたまに いらっしゃるようです。 でもそれは「英語教育」が主体ではなく、 外国文化に慣れることが第一目的であるように思います。 私自身は幼少期に英語を学びましたが、日本語への障害にはなりませんでした。 その後、受験のために英語を何年も学び、英文学科も卒業しましたが、 実際にアメリカに住んだ時、学校英語は通じないとショックを受けました。 一時は、「学校英語なんて何の役にも立たなかった」と思いましたが、 現地で暮らし、勉強するうちに、学校で習うことをきちんとやっていたことが、 後々、1ランク上のレベルの会話をする際に役に立ったと感謝するようになりました。日常会話だけなら、受験英語並の難解語は不要ですが、 アメリカで進学や就職しようと思えば、それも大事になってきます。 なにも、小さい子供に英語なんてやらせなくても、 大きくなってからいくらでも出来る、という思いはあります。 でも、日本人は苦手意識が強いため、苦手意識がない時期に 外国語に触れることは、子供にとってよい機会になると思いますし、 時として、退屈に感じられる学校生活において、英語に触れるのは 楽しい機会になるのではないでしょうか?
お礼
有り難うございました。 日本人の苦手意識というのは、子供の頃からやっても、大人になってからやっても同じなのではと思います。 子供には英語圏以外にももっと多様な文化があっていろいろな言語があることを知って欲しいなと思うのです。 なにも全員が全員英語圏で就職するわけではないでしょうし、インターネットなどをして困らない程度、多少の会話ができる程度の英語力があればいいのではないかと思います。 お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
- kaho-2005
- ベストアンサー率6% (4/63)
確かに今小学校でやっている英語は 時間の無駄のような気がします。 ただ、日本にいても英語のサイトなど ごく普通に引用されますし 軽く理解できる程度の 英語力がなければ、不都合が多いはずです。
お礼
ある程度の英語力は必要ではありますよね。 特にインターネット上は英語が中心なのは否めません。 ありがとうございました。
- mujer
- ベストアンサー率27% (17/61)
必要ない。前の方のおっしゃるように、この時期はきちんと日本語を教えるべきだと思います。外国語の習得が日本語の理解に役立つのは、もっと大きくなって、文法の成り立ちなどが理解できたときの話です。それよりも、二言語習得してしまった人々の「つらさ」をきちんと考えるほうがいいし、一方で、全く習得できない子供の苦悩も考えると、学校教育に導入するのには反対です。 「子供に英語を教えるな」というのは、本当に子どもに英語を教えた人、子供の頃から英語を習得するように強制された人々からは、かなり頻繁に出てくる提言です。それらを踏まえたうえで、議論すべきことです。 現場で苦悩している(今の日本ではなく、例えば日系アメリカ人など)人々のことを、少し学ぶ必要があると思います。 いろいろ見ていると、小学生の段階で強制的に外国語を導入するのは、むしろ避けるべきことだと思います。はっきりいって、今の日本で英語が必要なニンゲンはほとんどいません、英語教師や研究者を除くと。そんな言語を本気で習得するように仕向けるほうがどうかしている、ともいえます。これからは国際社会だから、という主張も聞きますが、国際社会で必要なのは、英語の運用能力ではなく、対人関係を円滑にでき、自国の特質を把握し、身につけている、ということが一番でしょう。無国籍人を育てるわけではないのですから。まともにハシも使えない子供が英語で日本のことを語れるとは思えません。 外国語を話すくらいは、大学生くらいになってからでも十二分に可能です。そんなにたいしたことではありません。子供のときなら苦労せずに覚えられるからといいますが、それは、見聞した範囲では、虚像だと思います。
お礼
大学生になってからでも可能というのも事実ではあります。しかし、大学では英語の論文を読まなくてはならないこともあり、英語は必要不可欠なのも事実だと思います。 だから、中学生もしくは高校生から英語を学ぶ必要はあるのではないかと思っております。 ただ、現状を改善する必要はあります。それも事実です。 裏を返せば大学に進学しない限り英語は必要ないということにもなりますね。 ご投稿ありがとうございました。
補足
>国際社会で必要なのは、英語の運用能力ではなく、対人関係を円滑にでき、自国の特質を把握し、身につけている この意見には大いに賛成致します。というのも、今実際に外国に住んでいますが、必要なことは、やはり対人関係だということを痛感しています。特に私自身は見ず知らずの人と話すのは苦手ですし、円滑にコミュニケーションが出来るほうではありません。もっと円滑にコミュニケーションができたらと痛感しています。これはことば以前の話であって、言語がどうこうという問題ではありません。
- azuki-daizu
- ベストアンサー率22% (50/221)
私は、小学生に「何の目的で」英語を学ばせるのかが納得がいかないと言うことで、賛成出来ないのです。 結局は「アメリカと同じレベル」とか「成績のいい子」という事ではないでしょうか。 私は、今の時代、早期教育を無理矢理させるのは受験地獄にとって変わったように出てきた「お受験」が子供を苦しめている、そのレベルではないでしょうか。 結局は英語教室、タレントにあおり立てられているとしか思いません。 私としては、英語と同じレベルで「手話」を教えても良いのでは・・・と思います。聴覚障害者は日本には「普通に」います。福祉の世界だからと境界線をおくべきでなく、コミュニケーションとしてきちんとしたものだという認識は与えてほしいのです。 実際に手話は理解されていません。障害者向けの旅行会社の社長の本がありましたが、許せないくらい人を馬鹿にする内容でした。押しつけがましい発想の本でした。 欧米人の顔色よりも、身近な「きこえない人」を知る教育の方が何倍も重要です。
お礼
ありがとうございました。 手話が言語であるという認識もやはり薄いのでしょうか。実際には、日本手話(国内でも方言がある)とは異なる、外国の手話も存在しますよね。
補足
そうですね。文科省は「国際社会に通じる人材」と言っていますが、国際社会に通じる人材が英語を話せる必要はないと思います。 要するに、「国際社会に通じる人材」ではなく「欧米人に嫌われない人材」を作りたい(欧米といっても特に英米)だけなのではと疑ってしまいます。 身近な社会を無視して、それを飛躍してしまうのはどうかなとも思います。 仰って頂いた手話に加え、在日外国人の現状を見れば、英語よりも学ぶ必要のあることは他にあるのではと思ってしまいます。 国際化社会に対応するためには、世界をしらなくてはならない。それは事実ですが、現実の社会を飛躍しているのも事実ですね。
- kaho-2005
- ベストアンサー率6% (4/63)
国語の理解を深める上でも英語は必要だと思う。 英語のできる人は国語もできます。 自分の子供に英語を教えてそう確信しています。
お礼
ありがとうございました。 もし、よろしければそう確信した理由を教えて頂けますか。
- walkingdic
- ベストアンサー率47% (4589/9644)
小学校も低学年は不用ですが、それ以降はその程度はともかく導入していくことは賛成です。 >・英語教育を導入する以前の問題として改善すべき点が多く残されていること。 これには非常に同感です。今のやり方のまま導入しても意味があるのかは疑問です。ただその話と適切な学習か石敷きの話は分けて考えています。 他は英語の学習開始時期の話しからずれている話なので理由として同意は出来ませんが。 >・外国語を習得する以前に母語の運用がある程度できるようになる必要がある。 これも同感です。だから低学年はまず国語、その後国語を妨げずに第二言語に入るのがよいかと。 小学校3年位からは妨げにはならないという研究結果もあるようです。 語学の学習機能は14歳頃までは、直接脳にその言語の回路が形成され、その後の学習ではあくまで母国語の回路を流用して学習するに過ぎないようですから、おのずと差が生じますので、開始時期としては小学校高学年が適切であろうと思います。(早すぎると母国語との関係で問題が生じる可能性があるため) 多分英語教育の必要性自体を議論しているのではなく、あくまで小学校を開始時期とするのが適切なのかどうかというご質問と思いましたので、その趣旨で回答させていただきました。
補足
言葉足らずで申し訳ありません。おっしゃる通り小学校から学ぶのが適切かどうかという質問でした。 低学年のうちに学んで欲しいことというのは、英語よりも勉強に対する姿勢だとか、勉強の必要性だと思います。英語をなぜ勉強するのかを理解できる基礎作りが必要なのではないかと考えています。ただ闇雲に英語を勉強したからといって、文科省が主張するような、「国際化社会で通じる人材」になるとは思いません。この表現も抽象的でよくわからないのですが。
- yubuccho
- ベストアンサー率8% (126/1550)
必要ありか必要なしかという前に、 最近の子供の言葉遣いを聞くと、美しい日本語をまず学んで欲しいというのが率直な意見です。 女の子でも「てめえ」「うざい」「きもい」(勿論男の子でもだめな言葉ですが)と発しているのをよく聞きます。それを聞くとげんなりしてきます。 外国語はそれからだと思います。
お礼
お礼がおそくなりました。ありがとうございました。 そうですね。他人に失礼のない日本語を学べるような環境が欲しいものです。 ただ、これらの言葉は家庭環境も大きく関係してくるかもしれません。 親が使っていれば自然に子供も使ってしまう言葉です。
- yumeno2004
- ベストアンサー率37% (6/16)
どちらかといえば、必要だと思います。 理由はNO2の方とほとんど同じです。 異なる文化に触れる機会は早いほうがいいと思います。 できれば、英語圏の国だけでなく、他の国の出身の方とも会えるといいのですが。 ただ、単に言葉を覚えるだけの授業なら必要ないと思います。 親も一緒に勉強するならともかく、学校でだけ使う言葉には意味がないと思います。 ハーフリンガルになる危険性については疑問に思います。 公用語だけでも複数ある国はたくさんあります。インドとか有名ですね。そういう複数の言葉を使うのが当たり前の国で、問題が起こっているとは思えないので。 言葉の覚え方によってはハーフリンガルになる可能性もあるのかもしれませんが。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。 外国の文化に触れるという意味であれば、英語という教科を作るよりもむしろ、総合学習などのなかで、外国の多様な文化に触れる機会を持つべきではないかと思います。 そういう意味で、英語という1言語を教えるよりはむしろ、多様な文化があって、言語も多様でということを教えることに重点をおくべきではないでしょうか。 そのためのゆとり教育だと思うし、それこそがゆとり教育の利点なのではないかと思います。 土曜日などに、こういった外国文化に触れる機会を学校側が提供できるようになればいいですね。 ありがとうございました。
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お礼
そのような子供達が無視できない人数いるのです。 おっしゃるように、母語は何を学ぶにも基礎となるものです。その母語が欠落していて、他の科目が学べるでしょうか。ここまでひどいのは、日本における母語に対する意識の低さ、母語教育の貧弱さが原因ではないでしょうか。 異文化教育に関してはおっしゃるとおりだと思います。これに関しては他の方のお礼および補足で書かせて頂いているので省略させて頂きます。 ご回答ありがとうございました。
補足
乱文ということでしたが、非常に読みやすい文章でした。ありがとうございました。 私は昨年まで塾の講師をしていたのですが、生徒のコミュニケーション能力の低さに驚いていました。私も人のことを言える立場ではありませんが、そのような私から見ても、欠如していると行って良いほどの低さでした。 特にそれが露呈するのが、模試の際の作文問題です。小学生も書かないような、文章になっていない作文を平気で書くのです。中学校3年生がです。ここで、内容まで書くことはないので書きませんが、正直驚いてしまいました。そして、そのような生徒は英語も得意ではありませんでした。 他の科目の説明の際も理解できているとは思えませんでした。