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書籍名を教えて下さい

恥ずかしいのですが書物関係の知識に乏しいので 質問させていただきます 学生の時に哲学の教師から聞いた事ですが 自分の愛しい女性がある時亡くなったのであるが、 彼女のことを忘れることが出来なくて もう一度会いたいという気持から、墓を掘り返して みたところ、その状態に驚いた。生前の彼女とは 似ても似つかないくらい蛆虫に食い尽くされていた という話ですが、この話が載っている書物のタイトル などをご存知の方がおられましたなら、お教えいただきたく よろしくお願いします。

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  • lisa6708
  • ベストアンサー率30% (100/330)
回答No.1

それは多分古事記の黄泉の国の部分のお話です。 イザナギノミコトとイザナミノミコトのお話かと思います。 神話をそのまま原文で読むのは大変かと思いますので、ウィキペディアで概略を知ると良いでしょう。 ウィキペディアのイザナギに概略が書いてあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ 天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島・本州・四国・九州等の島々、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。 イザナミが、火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、そのカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。 しかし、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれたイザナミの姿であった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/神産み ”黄泉の国” をそのままコピーしました。 イザナミの病と死によって生まれた神々(古事記に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ) イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉国へ赴いた。 黄泉に着いたイザナギは、戸越しにイザナミに「あなたと一緒に創った国土はまだ完成していません。帰りましょう」と言ったが、イザナミは「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、生き返ることはできません」と答えた(注:黄泉の国のものを食べると、黄泉の住人になるとされていた。これを「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」という)。さらに、イザナミは「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さいね。」といい、家の奥に入った。 イザナギは、イザナミがなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んだ。するとイザナミは、体は腐って蛆がたかり、声はむせびふさがっており、蛇の姿をした8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。雷神の名は以下の通り。 大雷(おほいかづち、イザナミの頭にある) 火雷(ほのいかづち、イザナミの胸にある) 黒雷(くろいかづち、イザナミの腹にある) 折雷(さくいかづち、イザナミの陰部にある) 若雷(わかいかづち、イザナミの左手にある) 土雷(つちいかづち、イザナミの右手にある) 鳴雷(なるいかづち、イザナミの左足にある) 伏雷(ふすいかづち、イザナミの右足にある) おののいたイザナギは逃げようとしたが、イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追わせた。 イザナギは蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投げ捨てた。すると葡萄の実がなり、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。しかしまだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。 イザナミはさらに、8柱の雷神と黄泉軍にイザナギを追わせた。イザナギは十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった[9]。 ここでイザナギは、桃に「人々が困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と名づけた。 最後にイザナミ本人が追いかけてきたので、イザナギは千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにした。その岩をはさんで対面してこの夫婦は別れることとなる。 このときイザナミは、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対しイザナギは、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言った。これは人間の生死の由来を表している。 このときから、イザナミを黄泉津大神(よもつおほかみ)・道敷大神(ちしきのおほかみ)とも呼び、黄泉比良坂をふさいだ大岩を道返之大神(ちかへしのおほかみ)・黄泉戸大神(よみとのおほかみ)ともいう。なお、古事記では、黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやのさか;現在の島根県松江市の旧東出雲町地区)としている。

ok2775
質問者

お礼

早速の回答をいただきありがとうございました この話が 太安万侶(おおのやすまろ)が編纂した「古事記」の中の 話とは思いもよらなかったです 自分は西洋文学の悲しい恋の物語で、愛しい人も見るも無残な カタチに変わっていく無常を詠んだストーリーかと思っていました。 本当に詳しく回答いただきありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • yuniko99
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回答No.5

えっと~~それは(不確か)たしか~~アラビアンナイト 千夜一夜物語 しかし仏教的に語られてましたねえ。寅さんで。 凄い美人だった妻が 墓を掘り返してみるとウジが湧いて・・二眼と見られぬ有様に この世は無常なものだ 全ては変わってしまう というお話だったと思います。 お粗末。

ok2775
質問者

お礼

回答ありがとうございました 内容的には yuniko99様のお話が 自分の印象としては近い気がします それが千夜一夜物語にあるとは 驚きです ありがとうございました

  • dokinnko
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.2

私も力不足で具体的な一般書籍としては思い当たりませんが 日本書紀、古事記にあるイザナミ・イザナギのエピソードを下敷きにしたお話なのではないでしょうか? ちなみにギリシア神話にも似たような逸話がありますがこちらでは妻の姿に対する記述はありません。 ”墓を掘り””蛆に塗れる”描写の湿っぽさが日本らしい気がしますね。

参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE
ok2775
質問者

お礼

さっそく回答をいただきありがとうございました もう何十年も前に先生から聞いた話のことで、今考えると あの時の先生の話し方からすると西洋の話のような気が して、自分もそう思っていましたが、自分の勘違いかもしれません。 要するに先生は、世の「無常」を言いたかったのだと思います。 回答ありがとうございました。

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