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日本語の特色とは?漢字の発音変更について
- 日本語の特色として、ドラマの字幕や歌の歌詞などで漢字に別の発音をつけることがあります。これは文学の場合には正しい表現と認められていますか?皆様の意見をお聞かせください。
- 日本語を勉強中の中国人が、ドラマや歌の表現について興味を持っています。漢字に別の発音をつける表現は、文学の場合には正しいと思われますか?日本人の皆様の意見をお聞かせください。
- ある表現について質問です。日本語の学習者の中国人が、ドラマや歌の歌詞における漢字の発音変更について興味を持っています。皆様のご意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
まず第一に、質問者様(あなた)の質問文に、不自然な点は特にないと思います^^ あえて指摘するなら 『日本人にはこういうかたちの表現』ではなく『日本人はこういうかたちの表現』 という言い回しが正しいでしょう! あと気になったところは、ちょっと読みにくい点ですね^^; 私のこれまでの回答のように、改行を使って、相手が読みやすくしてあげると良いと思います。 勉強中なら句読点という言葉をご存知ですよね? 『、』や『。』で区切りをつけて改行してあげると、さらに読みやすくなります^^ ------------------------- 日本語を勉強中の中国人です。 自ら日本語を習うとき、ある変な表現がよく目にはいましたから、非常に興味をもっています。 唐突ですが、それについて日本人の皆様にお伺いたいことがあります。 実はドラマの字幕や歌の歌詞には漢字に別の発音をつけることがあります。 たとえば、「二つのリアル、ひとつの真実」と「ラストシーン」という歌にはこういう文句が聞けますが、ネットに探し出したある歌詞は「二つの現実(リアル)、ひとつの真実」と書いています。 また、ドラマとかゲームとか小説とか時々見られます。 こういうかたちの表現で漢字に別の発音をつけるのは文学の場合には正しいと思いますか。(←ここは『?』が適切かな) 日本人にはこういうかたちの表現を日本語の特色のひとつと認めますか。(←ここも『?』が適切かな) 教えていただければありがたいです。 --------------------------- このように改行を入れて書くと、日本人としては非常に読みやすくなります。 さて、質問の内容についてですが、私の個人的な考え方では、文学としては正しくないと思います。 下記URLが日本語表記で表示されればいいのですが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6 私も質問者さんの質問を聞いてから初めて調べてみたのですが、日本文学というのはこれといって定義されてはいないようです。 特色としては認めますが、文学としては認めたくないですね。 楽曲名や歌詞にこのような表現をするのは、主に芸術家(アーティスト)に多いんです。 作曲家、作詞家、絵画家、陶芸家、彫刻家などなど、『無から創造し作製する』人々に対して使う総称として、芸術家(アーティスト)という言葉を使います。 この方たちが自身の作品に命名する際に、「二つのリアル、ひとつの真実」と言うような表現を使うんです。 私たち多くの日本人は、この芸術家(アーティスト)の方の表現の仕方を、特に何も思わず使っている為か、誰もが違和感なく使い続けています。 ですが『文学』として表現している方は少ないのが、今の日本人です。 『二つのリアル、ひとつの真実』はJUJUさんのLAST SCENEという楽曲ですよね? 質問者さんは、部屋の中を掃除する際に掃除機を使いませんか? 掃除機を使うのは部屋を掃除したいからであって、掃除機の利便性を確認したいから使うわけではありませんよね。 これと同じです。 『楽曲を聴くことが目的で、JUJUさんのLAST SCENEを聞く』のであって、JUJUさんが『何を表現したいか』に触れたくて聞くわけではありません。 つまり、この楽曲を『文学』として学び、共感している日本人は、実はほとんどいません。 私自身もうまくまとめることが出来なかったのですが、質問者さんの質問に対しての私の答えは 『文学ではないが、日本人の独特の表現だ』という結論になります。
その他の回答 (5)
- Postizos
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漢字もカタカナ英語と同じで外来語であるわけですが、漢字も導入してすぐに訓読みという和語の読み=漢語の音(サウンド)にはない読みを当てるようになりました。(意味の当て字) ですので外来語(漢字)に外来語(英語など)の読み(意味)を当てるのは多くの日本人にとって違和感は無いわけです。(外来語は外国語ではなく新しい日本語ですから)。ただし決まった読み方はないので新しい造語ですし、定着を狙った物ではない、奇抜を狙っている・てらっている事が多いと思います。 結局どうかなと思う物はたくさんありますが、方法として悪いと言ってしまったら訓読みも良いとは言えなくなってしまうからそうは言えないですね。 無理やりでその読みに賛成できない、しゃれたつもり、独創的なつもりでありふれていて俗っぽいから不快感を感じるのでしょう。 「暴走万葉仮名」と似た背景を感じますが、やっている人たちが不良でない分、俗物性が嫌な感じになるように思います。 https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E4%B8%87%E8%91%89%E4%BB%AE%E5%90%8D 好い物は好い、好くない下手くそなのは悪い、できの悪いのがほとんどだったとしてもそういうふうにしか言えないと思います。 まじめな作品だとして、字数を少なくして多重な意味を盛り込もうとしてそういう方法をとる事はあり得ます。古典漢文の作品にもそういうのは有ると思いますが。
- sech1152
- ベストアンサー率72% (45/62)
他の回答にもありますが、このような表現は公式の文書では使用しない方がいいです。 歌詞や小説・詩などの文学的な表現としては、以前からよくあることだと思います。 「漢字に別の発音をつける」ということで言えば、極端な考え方をすれば「訓読み」はすべてこれに当てはまると思います。 もともとは古代中国の発音に由来する「音読み」しかなかった漢字に、和語の発音を当てはめたものが「訓読み」です。 「現実」という漢字に「リアル」という外来語を当てはめることも、構造としては共通する現象だと思います。 このようなことに関心があるのでしたら、『振仮名の歴史』(今野 真二)という本を読んでみてはどうでしょうか? http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0501-f/index.html
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
これは、明治時代に始まった手法です。 http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/ceeja/report/09_10/pdf/09_10_04.pdf 「洋灯」ランプ 「洋琴」ピアノ 「類推」アナロジー 「社会学」ソシオロジー のように片仮名で外国語の振り仮名をつける伝統で、だんだん少なくなって来ていますがまだ歌詞などには残っています。夏目漱石、森鴎外などは多く使っていました。
- WhatisLOVE
- ベストアンサー率34% (391/1147)
特色かと聞かれれば特色なのかもしれません。 こういう風に、感じの読みを本来の読みではない表現をすることがたまにあります。 ただ、使われるのは限定的で、歌の歌詞や小説、ドラマなどの中だけです。実際の生活で使うとちょっと笑われる場合が多いです。 よく「現実と書いてリアルと読む」みたいに、意味が共通した日本語と英語を、書きは漢字、読みは英語という風にしてカッコ良く表現します。 こういう表現が出てきたのはここ10数年ぐらいです。 何人もの人によって様々生まれてきましたが、現在はこういう表現に対して特に深い意味を持たせているとは感じません。
- ゆのじ(@u-jk49)
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公式文書での使用は控えるべき。しかし、子供が喜ぶドラマ、ゲームでの使用なら、特に問題は無い。通常の大人の使用は、いけない。社会性の欠如として排斥される。 それにね、現実は常にひとつであるし、真実は、それを見つめる視点なり、立場の違いによって、多様にある。 個々に、生い立ち、環境によっても、モノの真実は違う。真実などというものは、この世には無いのであって、あるのは、個々の「仮説」のみ。個々人の勝手な思い込みとしての仮説だけが存在しているという認識が大切。「ひとつの真実」を頑固に過信するのを「原理主義」と言って、それはテロを生み出す危険な思考法。そういう理屈を理解するのに、イスラム原理主義という典型的な現象が立ち現れている。