• ベストアンサー

拝み度

  神について、仏について、またあの世のことについて。 100%完璧に信じている人はいないが、100%完璧に信じていない人もまた少ないと言われる。 信仰とは拝むこと、これは自然現象であるが故に拝み度も正規分布してるらしい。 また不幸があれば拝み度は上がり、満たされれば拝み度は下がる。 結局、信仰とは気分の問題で拝み度は気分のバロメータってことではないのか。 拝みたければ心ゆくまで拝みなさい。     

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.2

不幸が起きたから急に拝んでもご利益はありませんよ。不幸が起きてしまったら拝んでいる場合ではなく、早く対処せねばなりません。不幸が起きないように心配して拝んでいるのです。その不安から解放されたいとの思いもあります。何事もなく過ぎてゆけばお礼参りをするときが最高に満たされる時です。取り越し苦労であっても良いのです。 私は自分で選択して宗教を持ったのではなく、神仏は先祖から受け継いだものです。したがって自分から入信した人とは気持が違っているかもしれません。信仰は親から受け継ぐのが自然で素直に受け入れられます。親がしていたことをしているのですから違和感がありません。 一神教の神は受け入れていませんし、新興宗教とも無縁です。神様は日本古来に人間であった人だと思っています。その神様にはお願いをしますが、仏様にはお願いをしません。亡くなった両親は仏様ではなく神様に近い存在です。仏教徒であってもあの世は無いと思っています。仏様には人の生きる道を教えてもらうのです。

syakai2015
質問者

お礼

  そのとおりですね。 有難うございました。  

その他の回答 (1)

noname#208233
noname#208233
回答No.1

>不幸があれば拝み度は上がり、満たされれば拝み度は下がる ここは違うと思うよ。 不幸があれば下がるんです。 こんなに必死で拝んできたのにってね。 それで宗教から離れる人がいるんですよ。

syakai2015
質問者

お礼

  カルト宗教に狙われるのは不幸と感じている人だそうだ。 彼らは拝みやすいからだという。  

関連するQ&A