- ベストアンサー
埴輪
埴輪が、どのようなプロセスでつくられていったか教えてください。 垂人天皇?の時代に、殉死者制度をなくすためにつくられたっていう本がありますが、それより前にも、作られてるって聞きました。 どの地域から始まって広まったんでしょうか?? やっぱり、吉備とかからでしょうか??
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#17428
回答No.1
5296さま 埴輪の起源は「吉備」とされています。 単純に言うと、弥生時代の後期後半(2世紀~)、吉備に埴輪に最も近いモノがあり、古墳時代初期(3世紀)にそれが大和に伝わり、埴輪になり、古墳文化とともに全国に広がった、と。 日本書紀の垂仁紀の殉死記述の真偽はいかがなものか。 わかりません。 実年代はさておき、垂仁陵とされている古墳 (勝手に宮内庁が「そうだ!」と言っているだけですが) の年代は古墳時代中期初頭(5世紀)くらいです。 国内での発掘調査からの解釈では、 古墳時代の殉死の確実な証拠は、現在のところ、「ない」というのが、大方の見解と思います。 なぜだかわかりませんが、 古代日本では殉死は「ない」。 古代韓国では「ある」という解釈になっているようです。 当然、古代中国にはあります。 韓国の件は、古い情報かもしれませんので、最近はどのように解釈されているか分かりませんが…。 古代韓国の殉死事例は、高霊の池山洞古墳群が有名です(有名だった?)。概ね5世紀の話ですが。 なぜ、日本書紀に殉死の記述が必要だったのか? なぜでしょう。
その他の回答 (1)
noname#65504
回答No.2
参考URLをご覧ください。
質問者
お礼
とってもとっても助かりました!! ありがとうございました★
お礼
なぜ、日本書紀にはそんなこと書いたんでしょうね? どうもありがとうございました!! 古代日本では殉死はない?? どれがほんとでうそなのか・・・。わかりません。 魏志倭人伝の鏡もそうですよね?? 反論の反論に対する反論・・・水掛け論っていうんでしょうか?? 考古学って難しいですね ( ゜д゜)