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池に落ちて水に濡れずに上がって来られるか?
池に落ちて水に濡れずに上がって来られるか? 水はあります。 水も比喩として 考えることになるとは思います。 これを問います。
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恋に落ちて涙を流さずに帰れるか。 だめだろう。 答え
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- yuniko99
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地に落ちて腐ちたが 未だ上がれない。 水でも泥でも掴んで上がると言うのが本当かも知れない。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ん? 何ですって? ★ 地に落ちて腐ちた ☆ 《腐ちた》ってどういう意味? どう読むのかなぁ。くさった(腐った)ってことですか? 朽ちた のかな。 それにしても 《地に落ちた》のですか? 道でこけたというような意味ですか? あるいは 崖? ★ 水でも泥でも掴んで上がると言うのが本当かも知れない。 ☆ 転んでもただでは起きない というのとも違うのかな。 窮地にあるってことですか? 元気出せって言えばよいのかな?
- neutral-
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ぶらじゅろんぬさん?(・・? あなたの「傷付く」の定義が分かりません。 「傷付く」というのはどういうことですか。 それは「あり得ないこと」だというのですか? 煩悩を叩き潰す必要はない、 煩悩を持ったままで生活して何が悪い? ということなら完全に同意しますよ。 カラスが黒いからといって漂白してはいけないし 象の鼻が長いからといって切らなくてもよいし、 白鳥が白いからといって勝手に染めてはいけないし ナマケモノが眠ってばかりいるからといって 勝手に覚せい剤を注射する必要もないし、 人が煩悩を持つからといって、だから何なのだ。 ___________ しかしですね。 池に落ちれば水浸しにはなりますわ、 わたしは、ある中学生小学生に 猛烈に恋をしていますが、1ヶ月前、 彼女と彼を隣の県に残して わたしだけ別の県に引っ越したときは、 身体の半分が削り取られる思いでした。 これは「傷付いた」とは言わないのですか? ___________ 5番様は、恋に「落ちて」泣かずに帰る のは「無理である」と仰せです。 わたしはそれに全面的に賛同しています。 しかしぶらじゅろんぬさんが、 自分は恋に「落ちても」濡れずに帰ることができる! と言い張るのなら、まあ好きにしてちょうだい。 でも、あなたは濡れないし涙も流さないとしても 相手は涙で全身が水浸しになるかもしれません、 それに関しては、自分さえOKなら 相手はどうでもよろしいのですか? この人は濡れても大丈夫だと仰せです。 https://www.youtube.com/watch?v=naz0-szzYXk ♪本当に本当に君が大好きだったから もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対♪ この人は濡れずに大丈夫だと仰せです。 https://www.youtube.com/watch?v=naz0-szzY ♪きっと上手に超えてゆける 心配なんかきっとしないで 別の誰かを愛せるから♪ この人は濡れたことに感謝しています。 https://www.youtube.com/watch?v=_Q5-4yMi-xg ♪誰かとまた恋に落ちても I'll remember 2 love U taught me how♪
お礼
にゅうとらる-さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 命題は 結論としてすでに決まっていました。煩悩あるいは苦を超えることです。 ただし 具体的な中身は けっこう厄介です。と思っていました。 だからかどうか たたき台としての自分の見解を出していません。 つまり そうとう ずるいやり方による設問です。 行き当たりばったりで なんとか進めてみようとは思っていました。 で そのかたちで まいります。 ★ 「傷付く」というのはどういうことですか。 ☆ 傷ついたような心理になることは いくらでもと言ってよいほど 起こります。自分からでなくても 相手からそのクウキを受け取ります。 ですから 傷つくことは 全体として言って あります。 問題は それでも 自分とそして世間と和解できているかどうか。だと考えました。 多少のトラブルの前と後をつうじて 《わたし》は同じか。です。 つまり その中間では 傷つくことが起きます。しかも 和解しつづけていたと確認できるか。だと考えます。《水に濡れずに上がって来る》ということの意味はです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 5番様は、恋に「落ちて」泣かずに帰る のは「無理である」と仰せです。 わたしはそれに全面的に賛同しています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◆(回答No.5) だめだろう。 答え ☆ あっ。そういう意味だったのですか。この《答え》というのは。 これは 失礼しました。にゅうとらる-さんにも No.5さんにも。あるいは ほかのみなさんにも 誤解したまま お礼欄でやり取りしていました。失礼しました。 質問者としては 《だめではない》という答えを思っていましたので 取り違えたのだと思います。 そして すでに今回ひとつの考えとして上に その《だめではない》という内容に触れました。その点 みなさんに対して どうでしょう? とお伝えしたい。こう思います。 三つの歌については 志や感慨としての《こたえ》であるように思います。 心の状態ではあるのですが あっ そうだ。化学の例を出せばよい。 例の触媒です。ほかのものに化学反応をうながしたけれど 自分はその過程を経たあと もとのままです。 そういう問題ではないかと。どうでしょうか。
ゴキブリは濡れずに上がってきます(油脂は水をはじくということ→撥水性、さらにはウエットスーツとか)。 氷なら落ちたままでも濡れません(氷の表面は溶けるが、溶けた部分は氷ではない)。 何千度もある物体なら、水が触れる前に蒸発するので濡れません(はなはだしければ水蒸気爆発になる)。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ゴキブリへの変身術でも習いましょうか。 えっとですね。 たとえば ブディズムでは煩悩ということを言います。 これは われわれ人間が思うように扱いたいと思っても まづむつかしいようです。人生 思うようにはならない。 したがって たとえばいわゆるシガラミの中に人は入って行き 往々にしてここで池に落ちたかのように水に濡れることになる。ぬかるみに嵌る。 しかもです しかも水に濡れずに おのれの思うような生活と人生を送るようになる。ことが出来るか?――こういう問いであると理解してください。(おしつけのごとくですが いちおうそういう問いになっています)。 すでにそういう解釈は No.5さんからいただいています。そしてさらに その答えをも みなさんに用意していただけないか。という問いをなお進めたいと思っています。
- Tefu_Tefu
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お礼ありがとうございます。 > ★ だけど ほかの誰かが水を差す。かも知れないぢゃないですか。 世間では、何も無い親の面倒を看るのに水を差す人はいないでしょうね。 >《夢のように儚い》ことだと思えば 水に濡れていない状態になるも同然。といったことでしょうか。 いえいえ、生きていることは夢である=幸運と云う事です。お陰で、才能を使うチャンスはあると思うのですが。 >懐中電灯とコップの水は あんまし ですね。わたしが光だという設定がちょっと・・・。 これが、神へと通じる道だと思うんですけど。自らの光で、他の人を輝かせる? >N.5 恋に落ちて涙を流さずに帰れるか。 だめだろう。 答え 予測の答えに思えますが、これで良いのでは? 私なら、好きな人と普通に会話しますし、相手の幸せを願うので、いい思い出の一つです。 何も失うものが無いのに、深刻なようですね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ということは 恋に落ちて 相思相愛になればいいことだ。でしょうか? でも 哲学は まづいとき・困ったときのことをこそ考える役割りをになっているのではないでしょうか。 少なくともそういう場合をも考えて交通整理にあたる。と思います。 ◆ >N.5 恋に落ちて涙を流さずに帰れるか。 ☆ てふ_てふさんも この問いに答えてくれるとうれしいです。
- kurinal
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>「水はあります」 ♪「海は広いぜ、心がはずむ」 そもそも、海に生命は生まれた、とも。
お礼
なるほど。 海のような心であれば 池に落ちて水に濡れても濡れずに上がって来られると。 たぶん そういうことだと考えています。 ご回答をありがとうどざいます。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
B様、こんばんは。 そう来られると、 「水は、低い所にある」ですか。 「クジラは深海を移動する」とか。 「深海」は、まだまだ謎の多い、ところのようですね。
お礼
ん? 何か意味がありそうなのですが うまく捉え得ずにいます。 くじら ですか。 深海 ですか。 《水に濡れずに》ということとは 正反対でもありますね。 ご回答をありがとうございます。
- Tefu_Tefu
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こんばんは bragelonneさん トンチですか? ☆親子なら、池に落ちても濡れません。 「親子水入らず」って云うでしょう。水と油は混ざらないから。 ☆夢の中の池に落ちたので濡れません。 例え、現実だとしても、人生は夢のように儚いものだと考えられます。 ☆私は光であるとすると、濡れません。 コップに水を入れて、反対側から懐中電灯を付けてください。光は濡れないでしょう。 他にもたくさんあると思いますよ。 自分の好きな比喩で良いと思います。
お礼
あっ こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ☆ トンチですか? ★ いえ。トンチではないんです。比喩で考えて欲しいという問いになります。 ☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 親子なら、池に落ちても濡れません。 「親子水入らず」って云うでしょう。水と油は混ざらないから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ だけど ほかの誰かが水を差す。かも知れないぢゃないですか。 ☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 夢の中の池に落ちたので濡れません。 例え、現実だとしても、人生は夢のように儚いものだと考えられます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ ということは 現実において《水に濡れること》は 《夢のように儚い》ことだと思えば 水に濡れていない状態になるも同然。といったことでしょうか。 懐中電灯とコップの水は あんまし ですね。わたしが光だという設定がちょっと・・・。 ええっとですね。No.5の方の回答内容が 質問の意味を明らかにしてくれていると思っています。 そしてそこから そのように解した質問に では どのように答えるか? これが できればこの質問の中で捉えてみたいことなのです。どうでしょう。
- neutral-
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こんばんは、ぶらじゅろーぬさん。 申し訳ないのだけど、 全面的に5番さんに賛成します。 日常で歩いたり走ったり止まったりしていれば 擦り傷はしょっちゅうだし打撲も骨折もするし 風邪も引くし熱も出るし頭痛にも襲われるし 凸凹したり混乱したり絶望したりしますわ。 まあ放っておけば、 つまり保留にして生活していれば癒える、 という点ではぶらじゅろんぬさんに賛同しますが。 わたしは爆笑も号泣も激怒もしてきたし、 それは「する」というよりは「そうなる」もので、 避けようがないのだし、やめようとも思わないし、 泣いても笑っても怒っても、結局生きていられるのだし、 むしろそれを避けたり拒絶したら退屈だと思うし、 「そうなる」のだから仕方がないものとして 受け入れて、できることなら堪能したほうが、 「豊かな生き方」でありがたいとさえ思います。 池に落ちてずぶぬれになるのもわりと愉快ですよ。 子どものころアスレチック場でよく池に落ちましたが、 ずぶぬれになるくらい大した問題ではありません。 ところで、なにゆえ「濡れずに上がる」ことに 拘るのですか? ずぶぬれになってはいけないのですか。 ずぶぬれになったら一貫のオワリでこの世の果て? そんなに人間ヤワですか? 池に落ちて濡れずに上がってこられるなら それはラクなのだけど、 転ばぬ先の杖を持ちすぎると、両腕が重いです。 重くて動きにくいのはイヤです。 >傷はつかずに もとの我れに還った。 →傷ついて出血しても癒えて我に還った。 >恋の未熟や不成就に際しても 傷はつかない。 →傷を負ったままでも生活を続けることができる。 そうしているうちに傷が癒える。 いやはや。 傷つかないことや池に落ちて濡れないことのために エネルギーを使ってる場合ぢゃないですわ。 充電したいので寝ますおやすみ。
お礼
★ 全面的に5番さんに賛成します。 ☆ ええ。その点は すでにわたしも書いて来ております。 まづは ご回答をありがとうございます。 つまり ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~~~~~~~~ ◆(回答No.5) 恋に落ちて涙を流さずに帰れるか。 ☆ について さらにその回答をも《所望》したいとは思います。(その点を No.5へのお応えで 書き損ねました)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということになると思います。 問いがどういう比喩なのかを言い当ててくれました。 したがって その問いについて答えることが 残っているかと考えます。 どのようにすれば傷つくことはないか? どういう状態をどのように保つならば 傷つかないか? ★ まあ放っておけば、 / つまり保留にして生活していれば癒える、 ☆ ではなくて 《傷がつかずに 元の〈わたし〉に戻るには どうすればよいか》という問いです。 《負った傷を癒す》のではなく 《傷がつかずに どのように池から上がって来るか》。 ★ 池に落ちてずぶぬれになるのもわりと愉快ですよ。 ☆ そうですね。そういう考え方もありますね。 水に濡れたら濡れたで それとしてたのしめばよいのだと。 そうなれば 《水に濡れずに上がって来た》も同然であると。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 池に落ちて濡れずに上がってこられるなら それはラクなのだけど、 転ばぬ先の杖を持ちすぎると、両腕が重いです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ あぁ。そういう方法は考えていませんでした。 言いかえると 知らずに池に落ちて まづじっさい確かに水に濡れることは濡れるのです。しかも たとえば《あぁ おれは池に落ちたんだ。と知ってそしてそのことを思って そのあと 何もなかったように水に濡れずに上がって来る》 そういうあり方についてです。 何ら前もっての準備などはしない場合です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ いやはや。 傷つかないことや池に落ちて濡れないことのために エネルギーを使ってる場合ぢゃないですわ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり そうではなく《エネルギー》をいっさい使わない方法を模索しています。あらかじめの準備や防備もしません。それでも 平気の平左で 水から上がって来るあり方です。あっ 《方法》ですらないですね。 はっきり言えば ブディズムで《自性清浄心》ということを言うのですが それなら水に濡れても濡れない姿で戻ることになるという物語(理論?)についてです。 これを話に出したものですから もう少し具体的な内容に入りたいと思ったのでした。むつかしいかも知れません。模索しつつ 問うています。 とりあえず こういう感じです。もう少し考えてみます。
- hhasegawa
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人の大きさよりやや大きい箱に Aさんを詰めて、さらに箱の上から鎖をかけてでられないようにします。 そしてその箱を大きな池に ばしゃーん!!と。 そして、 Mr.エックスが呪文を唱えると。。。 あーら不思議。 Aさんは エックス後ろから歩いてくるではありませんか! しかも、水に濡れてない! 以上です。
お礼
まぁ そういう仕掛けによる場合もあるでしょうね。 ご回答をありがとうございます。 あっ でも 《落ちる》と言っているんですよね。《落とされる》とは違う。――あぁ これは 屁理屈でしょうか。 けっしてナゾナゾとして質問を挙げたわけではないのです。 そして さいわいNo.5さんが 質問者の考えていた方向で回答を寄せてくれました。 ぜひ そのやり取りをも参照してみてくださいませんか。 はぐらかすつもりはないのです。そこのところを汲んでいただければありがたいです。
- kakuway
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NO.2です。 【水があるところ=池】ではないですよね。 池が完全に干からびたとしても、 池とされているのであれば、そこは池ですから。 【池に落ちる=水に落ちる】でもないですよね。 学校に生徒が居なくても【学校】ならば学校です。 【生徒がいる学校に入って生徒に見つからないことは可能か】 可能ですよね。 生徒が全員、体育館にいて体育館の間に校舎があり 体育館から正門は見えない。 自分は正門から入る。そしてすぐ出る。 【学校=生徒がいる】 【学校=生徒がいない】 ですから。 ちょっと、私の質問に対する理解と 質問者さんの質問の本意が違ってるのですかね。
お礼
★ 【池に落ちる=水に落ちる】でもないですよね。 ☆ いえ。そうなんです。《落ちる=少しであっても水に濡れる》という前提です。 おっと ご回答をありがとうございます。 ですから これは比喩として採らなければ話は成り立たないと思います。 つまりは そういった回答をもらうことが出来ました。No.5さんです。 どうしても その一つの方向に限るということではありません。ありませんが たぶんその方向において実りのあるやり取りが出来るのではないかとは思っています。 ★ ちょっと、私の質問に対する理解と / 質問者さんの質問の本意が違ってるのですかね。 ☆ いえいえ。みなさんと同じく まづそのように理解するのが 自然であり筋であると思います。 その上でです その上で 《池に水はあり――と言ってもすでに比喩ですが―― 水には濡れる。しかも 濡れずに上がって来る》ことは出来るか? こんな感じで問うています。 No.5さんは 池に落ちる=恋愛に落ち入る という解釈で捉えてくれました。そんな方向を質問者としては考えていました。 どうでしょう。
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お礼
そういうことです。そういうことなのです。 まづは ご回答をありがとうございます。 そうですね。って分かってるようにものを述べますが つまりは 《涙を流す》ということが 心の傷を意味するとき 或る種の欲望にしたがったところのある《恋》にかかわった話にあっても 振られたり欺かれたりしたとしても 傷はつかずに もとの我れに還った。という意味合いのことです。 言いかえると 《恋》という感情の問題である部分が大きいコトであっても そこに・言ってみればきよらかな心持ちのかかわるふるまいもがあって この基礎においてふるまうなら 恋の未熟や不成就に際しても 傷はつかない。 こういう方向で思っていたものです。 もう少しほかのみなさんの回答を待ちますが BA候補だと思います。(えらそうに言ってしまっていることは ひらにご容赦のほどをお願いしておきます)。