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先の戦争。武蔵をどのように使うと戦局が一転したか?

先日、フィリピン近海で沈められた戦艦「武蔵」の残骸が 発見されました。 第二次世界大戦では、世界一の巨砲を搭載していたのに も関わらずあまり活躍しなかった戦艦「武蔵」 さて質問です。 戦艦「武蔵」をどう使えばもっと効果的に 戦争を進めることができたと思いますか? 艦隊決戦、艦砲射撃でも 他の一風変わった使い方でもOKです。 回答お待ちしています!

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  • ithi
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回答No.5

hhasegawaさん、こんばんは。 そうですね。第三次ソロモン海戦の第二回戦で足が遅いですが、ダメもとで霧島の後ろあたりにつけておけば、艦砲射撃やサウスダコタ、ワシントンも両方撃沈し、比叡、霧島の敵をとることができると思います。そうですね。それから武蔵自身も46CM主砲で艦砲射撃、対戦艦に対する艦隊決戦ですから、設計思想から言っても、もし沈んだとしても本懐でしょうね。

hhasegawa
質問者

お礼

それは名案ですね 役に立つという意味では、ソロモン海戦あたりでしょうね 主砲の破壊力が半端ないので、アメリカの戦艦を攻撃し 撃沈するチャンスだったかもしれません。あのとき出し惜しみしたのは 無念です。 艦砲射撃でヘンダーソン飛行場をぶち抜いてほしかったです。 速力が遅いことが足を引っ張る可能性はありますね。

その他の回答 (8)

回答No.9

武蔵が活躍する想定は、制空を取り艦隊決戦に突入する、というものだったらしいです。 つまりそのように使えれば活躍したでしょうが、逆に相手は活躍されては困るので、それを防ぎに来た。 というか武蔵ができたころには、制空がもうどうしようもなくなっていたようです。空母も戦闘機もなければパイロットも居ない。武蔵が活躍できる想定にもっていく力が残っていなかった、ということのようです。

hhasegawa
質問者

お礼

イメージしていた制空圏内での艦隊決戦もなく 想定していた戦闘での使用もできずに 終わってしまったということですね ありがとうございました。

  • m-twingo
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回答No.8

信濃みたいに改造して空母にする。 当然大和も。 もともと戦艦なんて時代遅れの代物。(そうしたのは他ならぬ日本海軍なのだが) 所詮世界最大の戦艦と言えども制空権が確保されてなければ敵航空機にタコ殴りされるのがオチだし、艦隊決戦なんてのは日露戦争時代で終わってる戦法。 第一、相手である米英の戦艦群が出てこなければ艦隊決戦なんてやりようがありませんしね。 戦艦としてせめて使い道があるとしたら、米英が支配している島や上陸作戦中の島に艦砲射撃を行う砲台程度でしか使い道はありません。 この使い方をしようとしても、味方空母群がいて制空権を確保できなきゃ史実と同じ末路ですけどね。

hhasegawa
質問者

お礼

早い段階で、大和、武蔵を空母に改装していれば 展開が変わった可能性がありますね。 艦砲射撃の威力はかなりすさまじいものがあるはずですが 一過性の攻撃に終わっただけですかね ありがとうございます!

noname#224207
noname#224207
回答No.7

>戦艦「武蔵」をどう使えばもっと効果的に戦争を進めることができたと思いますか? 当時の軍の作戦目的および艦船の配備などから推察しますと、軍の作戦将校連中は戦艦はあてにしていませんね~ むしろ空母を重視して最後まで出し惜しみをしています。 例え空母が不足しても近隣に航空隊の陸上基地がありました。 頼みの航空隊も数日前に壊滅的損害を受けていまいた。 この情報が正確に伝わっていれば、そもそも艦隊の出撃そのものが延期されていたでしょう。 台湾沖航空戦 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/台湾沖航空戦 戦艦が有効であると考え続けていたのであれば、大和なり武蔵なりを空母同様に国内に温存していたでしょう。 つまり武蔵が運よく生き延びても戦局は変わらなかったということです。 逆に言えば艦隊の象徴としてしか使い道がなかったということです。 戦国時代の天守閣のようなものです。 江戸時代でも天守閣なぞ無用の長物として江戸城の天守閣も再建されることはありませんでした。 バカでかい主砲をなんとか活用するのであれば、大和を沖縄へ送った目的と同様に砲台代わりに使う以外に手はなかったでしょう。 太平洋側の浅瀬に座礁させて撃ちまくれば、連合軍も相当に手こずったでしょう。 これでは栄誉ある戦艦ではありません。 どうせ船は沈むんだから大砲だけ使えという作戦などあり得ないでしょう。 日露戦争の203高地ではありません。 結果論ではなんとでも言えますが当事者は未来なぞ絶対にわからない人間です。 大和の沖縄出撃も当時作戦に当たっていた将校連中全員が無謀無意味と判断していましたが、何やらかにやら年寄りどもお偉いさんの会議でやれ!ということになりました。 なにもかにも無くしてから今更やれ!は無いだろうと言えない時代でした。 戦艦が時代遅れとかなんとか書きこみがありますが、そもそも武蔵の建造計画は大戦が始まる前の昭和11年(1936年)です。 同じ時期に欧米では戦艦の大きさの上限を排水量4500tと決めています。 つまり当時戦艦を建造し保有するのは世界の常識でした。 時代遅れでも何でもありません。 ミッドウエイで空母を損失した後で6隻追加建造しています。 レイテ戦に間に合ったのは4隻だけです。 戦艦に固執していたのであれば、当然大和、武蔵に続く三番艦四番艦を作っていたでしょう。 如何せん全く同時期にアメリカは14隻作っています。 鉄を輸入していた国と輸出していた国との差です。 無い袖は振れません。 これを無謀というなら、戦争をおっぱじめたこと自体が無謀です。 結果としてレイテ沖に投入されたのは 日本        航空母艦4         戦艦9 重巡洋艦13 軽巡洋艦6他 連合国軍 航空母艦17 護衛空母18 戦艦12 重巡洋艦11 軽巡洋艦15他 です。連合国も戦艦を大量に投入しています。 これだけ彼我の戦力に差のある中で武蔵はよく頑張りました。 結果論での無責任な論評は戦線の英霊に失礼です。 責めるべきは、永田町や霞が関をウロツイテいた政治家や軍首脳部です。 この点を徹底的に検証しない限り同じ過ちが繰り返されます。 参考 第二次ロンドン海軍軍縮会議 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/第二次ロンドン海軍軍縮会議 太平洋戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/太平洋戦争 レイテ沖海戦 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/レイテ沖海戦 武蔵 (戦艦) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/武蔵_(戦艦) 面白くもおかしくもない回答で失礼しました。

hhasegawa
質問者

お礼

ありがとうございます。 江戸城の天守閣とはいい例えですね。 見た目はすごく仰々しく強そうに見えますが 実際の戦闘力といえば、当時の航空兵力に歯が立たなかったと。 日本はもう少し早く計画を立て直していたら もっと多くの空母をあの戦争で、使用できた可能性もありますね。 やはりどのように戦いを進めても 戦艦は無用の長物だったのでしょうかね。 参考になりました!

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.6

 主砲は威力抜群ですが当たらなければ無いのと同じです。  射程距離が長くても当たらなければ無いのと同じです。  当初考えられた相手の射程外から攻撃するのは無理でしょう。  航空機が登場しない通常の艦隊戦でなければ使い道はありません。  違った使い方として考えられるのは空母の護衛です。  捷一号作戦に参加した航空戦艦「伊勢」「日向」の主砲は水平に向けて雷撃機を牽制しました。  「大和」の一斉射撃は航空機にとって脅威だったようです。  それで傷ついた「武蔵」が集中攻撃されたという面もありますが。

hhasegawa
質問者

お礼

あくまで戦艦通しの艦隊戦でなければ その威力を発揮しなかったということですね。 航空戦艦、「伊勢」「日向」の射撃はしりませんでした。 弾幕射撃というのですね。 相当数敵機を撃ち落したようですね。 これは調べてみたいと思います。 他の戦艦もこの弾幕射撃を使用しなかったのでしょうか。 だとすると残念です。 ありがとうございます!

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.4

活躍させられなかったのは何故か。使い物にならない鉄塊ではどうにもならないことを証明しました。 大鑑巨砲主義は無様な妄想に過ぎない。原潜だったならばヤケクソで何とかなったかもしれないが、その前に日本の本国が陥落しているだろう。 戦艦武蔵は、戦略眼のない日本の恥さらしに過ぎない。

hhasegawa
質問者

お礼

恥さらしですか・・・ 日本自らが真珠湾などで戦艦より空母艦隊の方が海上戦にて 有利ということを示してしまいましたからね ミッドウェーなどでも結果として何も役に立たなかったのに 空母部隊の後方にいた巨大戦艦・・・ ガダルカナルなどでもう少し実戦に向かわせてほしかったと思います。

  • takefutsu
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回答No.3

航空戦力で劣勢になっていたので、いくら強力な戦艦があっても局面は変えられなかったでしょうね。深海を潜行できる超大型戦艦などがあったら、もしかしたら戦局は変わったかな・・・

hhasegawa
質問者

お礼

やはり変えられないということですね。 どちらかといえば、当時、日本は潜水艦の性能および魚雷の攻撃力などは アメリカを上回っていましたね。 海の中から一気に攻め込むというのは考え方としては ある話かもしれませんね。 ありがとうございます。

回答No.2

制空権のない状況では、戦艦は長く持たない事は、 武蔵と大和が証明しました。 しかし、制空権があれば、ベトナム戦争で米軍の 戦艦が艦砲射撃で大活躍しました。 それから考えると、ゼロ戦に対抗できる敵機が出て くる前の緒戦において、米本土を片っ端から艦砲 射撃してまわり、厭戦気分を高めて、有利な条件 (ハルノート撤回、南洋の利権確保)で講和する 事ぐらいしか勝ち目はありません。

hhasegawa
質問者

お礼

なるほど。 制空権あっての戦艦ということですね。 初戦で米本土までいくほど油があったのかが問題ですね。 そして太平洋艦隊に空母がいることを考えると 逆にやられかねないです。 真珠湾で空母を撃滅しておいてから 戦艦などで米本土へ強襲していれば 効果があった可能性はありますね。 ありがとうございました。 

回答No.1

無理でしょう 真珠湾・マレー沖の戦闘で航空機の有効性が証明された瞬間 戦艦の役割は終わったのです つまり開戦時にすでに 大和・武蔵は時代遅れです どんな戦い方をしても無駄でしょう

hhasegawa
質問者

お礼

あらw 無理とは・・・ たとえば真珠湾奇襲の後、 大和武蔵で真珠湾を強襲しても何も変わらない? 湾をでていた空母にみつかってやられちゃいますかね・・・