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戦艦「大和」と「武蔵」の違いについて
太平洋戦争当時、日本海軍が誇った世界最大級の戦艦「大和」は、私が知る限り大きさや排水量などは戦艦「武蔵」と同じで外観もうりふたつに思うのですが、何か装備の面などで違いがあるのでしょうか? また、仮に同じだとしたら何故「大和」ばかり話題になるのでしょうか?
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「大和」と「武蔵」は同型艦なので基本的には同じなのであり、完成直後はまったく同じ造りだったのですが、最終改装で副砲である15.5センチ砲が「大和」の6門に対し「武蔵」は12門になっており、高角砲である12.7センチ砲が「大和」の24門に対し「武蔵」は12門となっております。他には「大和」は「呉工廠」で建造され、「武蔵」は「三菱長崎造船所」で建造されたと言う違いがあります。 大和ばかり話題になる理由はおそらく「日本海軍が軍縮条約脱退後に初めて建造した戦艦」だからではないでしょうか。 それから質問とは関係無いのですが、「大和」は海戦に向かってもほとんど辿り着けず、その海戦の最寄の港と海戦の起こっている場所を行ったり来たりしていたのがほとんどで、実際に歴史教科書に載るような活躍をした回数は1・2回しかありません。
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- tkt
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「大和」の撃沈は大艦巨砲主義の終焉として大きくとりざされているのではないでしょうか? 大和の欠点は大きな主砲を支えるための大きな船と横幅(ひっくり返らないようにネ)横幅のある船って爆撃する時当たり易いんだって。 だって爆弾落とす時って横からさえぎって通過するでしょ幅があると当てやすかったらしいよ だから対空火器が何度も更新していったらしいんだけど、最後の方はねある程度もう無駄だとおもっていたんじゃないかなぁだからず~っとドックに入ったまんま。 でも戦争終わる前に1回も使わなかったなんてことがあったらまずいでしょ。 だから最後の最後で「日本の威信」を背負ってでていかなくちゃいけなかったんじゃないのかなぁ 実際武蔵の方が活躍はしたとは思うけど話題にならないのはこれで日本が負けたと言う「大和撃沈」の方が歴史の意味的には重要だったのだと思う。 アメリカもアイオワを退艦させたでしょ。もう砲身はいらないのよ
- arai163
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3度目です。 「武蔵」についてですが、三菱重工業株式会社で「武蔵」(同社長崎造船所にて建造)に関するビデオが作られています。広報課に問合せてはいかがでしょうか。
- Luckycats
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同型艦ですから、基本的に同じです。写真も意外と多数残っています。しかし、武蔵は各場所のアップが多く、大和は逆に全体の写真が多く残りクローズアップが少ないため、大きな差が見つけにくくなっています。一般に言われている外形の大きな差は、艦橋についたタラップにある折り返しの数が違うと言うものです。また、高角砲の調達が間に合わず武蔵はシールドが無いものが装備されています。内部的には、武蔵は連合艦隊の旗艦としての設備が大和より充実していると言われています。 「大和」は、ネーミングからも話題性が高いと思われます。大和=日本と考えて特別な戦艦と思われている方も多いみたいです。しかし、ご存じのように戦艦は、旧国名を使用する通例でしたから、大和=日本ではないのです。「日本」自体を表現する名前を持った戦艦は、「敷島」と「扶桑」です。このうち「扶桑」は第二次世界大戦に参加しましたが、鈍足で使いようもなく消耗品扱いで戦没させられています。 大和と武蔵が共に外形を大きく変えたのは、右左舷に装備した副砲を取り外したときだと、個人的に思います。あれがあると、どうも前近代的な気がするのは私だけでしょうか。
大和~武蔵の差異は、皆様の御回答の通りです。で、ワタシはちょっと補足を。 参考URLを御覧ください。大和と武蔵に関する書籍が紹介されています。 アテネ書房の『大和型戦艦の全貌 戦艦武蔵建造記録』、『戦艦大和設計と建造』などは、メダマが飛び出して炸裂するほど(o_〇;)高価ですが、大和・武蔵研究には必携と言えるでしょう。
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回答ありがとうございます。教えられたリンクにいってみました。両艦についてかなり詳しく書かれている本があるのですね。ただ、loftybridgeさんが言っているとうりものすごく高いので、もう少しお手ごろな本はないのでしょうか?
- aminouchi
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genterさんは同型艦という言葉をご存じでしょうか。基本設計を同じにして何隻もの船を造るのです。で、大和と武蔵はその同型艦で大和はその一番艦(1941年12月竣工)、武蔵が二番艦(1942年8月竣工)です。このあとの三番艦信濃は建造途中で空母に設計変更されました。というわけで、この戦艦群を「大和型」というのです。 両艦の違いについては、基本設計からの改造の違いがあったと思いますが細かいことを忘れました。
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回答ありがとうございます。私は同型艦ということは知っていたのですが、「大和」ばかり話題になるので、何か装備に大きな違いがあるのかなと思っていたのです。
- arai163
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言い忘れました。先の回答は、テレビで放映された時の記憶で、「大和」の沈没場所を深海調査船で調査したドキュメンタリーでした。 海底で船体は、ひっくり返った時のボイラの水蒸気爆発で真っ二つになっていて、主砲塔は船体がひっくり返った時に抜け落ち、海底に一列になっていました(1塔が2000トンもあり、潮流に流されずに沈んでいった)。但し、砲身は発見されていません。
お礼
回答ありがとうございます。私は同型艦ということは知っていたのですが、「大和」ばかり話題になるので、何か装備に大きな違いがあるのかなと思っていたのです。ただ個人的には、さほど装備に差が無い(?)のであれば、「大和」が深海調査船で調査するほど注目されているので、「武蔵」にも注目して欲しいと思うのですが・・・。
- arai163
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「大和」と「武蔵」は建造当初は同じでしたが、「武蔵」は結構早い時期に撃沈されました。 その後「大和」は、対空火器等何回かの改修が行われ、特に高射砲?など対空火器周りについては、主砲の爆風よけのシールド(鉄板)補強、対空火器の増強を行ったようです。 そのため、「大和」は建造時と沖縄特攻時では大分姿が違いました。 いずれにせよ「大和」と「武蔵」は最高機密であり、映像としても遥か沖合いに停泊している豆粒程度でしか残っていません。(出撃の機会がなく、南方の島で4ヶ月停泊していた時に撮影されました) 実質、「大和」も「武蔵」もたいした活躍は出来ませんでしたし、「武蔵」が早々撃沈されたのに対し、「大和」は沖縄特攻の途中で撃沈されたため話題になるのでしょう。 それにしても2隻で6千余名の尊い命が失われた戦争は残酷なものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。やはり「大和」と「武蔵」では微妙(?)な違いがあったのですね。私は同型艦ということは知っていたのですが、「大和」ばかり話題になるので、何か装備に大きな違いがあるのかなと思っていたのです。そうではなく、ネーミングや沖縄特攻に向かう途中で撃沈されたことで「大和」が話題になるのですね。