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戦艦ビスマルクの作戦は無謀ではないですか
第二次大戦当時、ドイツの戦艦ビスマルクはわずか二隻で通商破壊に出かけていき、イギリス海軍の並み居る戦艦・空母・その他艦艇を相手にして奮闘して沈没したと聞いていますが、莫大な資金と年単位の建造期間を経て作られた兵器にしては、作戦自体が無謀なのでは。と常々思っています。 太平洋戦争での、日米双方が空母と護衛艦多数での大艦隊同士で行動していたのに比べると、わずか戦艦二隻、途中から一隻だけで英仏海峡に向かうというのは無謀ではないかと。 当時の情勢では成功の見込みの高い作戦だったのでしょうか。
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当初の見込みと結果が違っただけで無謀とまでは言えません。 ビスマルクの目的はあくまで通商破壊戦であり、イギリス海軍との戦闘を目的としたものではありません。 1隻でフランスに向かったのも戦闘の損傷で作戦続行が不可能だったからです。 それまでにもドイツ海軍は大型水上戦闘艦艇による通商破壊戦を何度も行ってきました。 ビスマルクが撃沈される前では・・・ ポケット戦艦「アドミラル・シェア」は1940年10月にドイツを出港し翌年の4月にドイツに帰国するまでの半年間に大西洋からインド洋にまで進出し17隻を撃沈しています。 2隻の巡洋艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は1941年1月21日にドイツを出撃し3月22日にフランスのブレストに帰港するまでに22隻を撃沈しています。 巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」も1940年11月30日から12月27日までの間と1941年2月1日から13日までの間の2回出撃し9隻を沈めています。 つまりビスマルク出撃前にも何度も作戦が行われていますが、成果を出しています。 ただ中には失敗もあります。 ポケット戦艦「グラフ・シュペー」は1939年8月21日にドイツを出撃、大西洋、インド洋で9隻撃沈しましたがイギリス海軍に追い詰められ戦闘となり、酷い損傷を受け、南米ウルグアイの港に逃げ込みましたが、イギリス海軍に包囲され脱出を諦め12月17日に自沈しました。 「グラフ・シュペー」のような失敗はあるものの、ドイツの大型水上艦艇による通商破壊戦はそれまで概ね成功しており、多大な戦果をあげていたのです。 イギリス海軍の眼を掻い潜り商船を素早く撃沈し、速やかに姿を消す作戦です。 当時はまだレーダー技術も未熟であり、簡単には船の位置が発見されにくかったため成功する可能性も高かったのです。 またその未熟なレーダー技術においてもドイツの方が少しは良い性能のレーダーを持っており、その分有利でした。 ビスマルクもそうした通商破壊戦を行う予定でした。しかしイギリス海軍に発見され戦闘となり、予想外の作戦を中止するしかないほどの損傷を受け、フランスに向かう事になりました。色々とミスや不運もありましたが、特に燃料タンクに損傷を受け、大事な燃料が漏れた事やそれで速度を落とす事になったのが致命的でした。 イギリス海軍の記録を追うと、最初のビスマルクとの接触・戦闘の後でもイギリス海軍が何度もビスマルクの位置を見失って逃しているのがわかります。 フランスのブレスト港に逃げ込めなかったのは不運としか言い様がありません。 ちなみに途中でビスマルクと別れた「プリンツ・オイゲン」はその後、無事にブレスト港に帰還しています。 つまりビスマルクの行おうとした当初の通商破壊作戦は成功の見込みはあったけれど、ミスと不運から失敗に終わったと言えるでしょう。
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- k16399638
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まあ、漫談です。 2隻で、というのは一見無謀かもしれません。が、大西洋では、戦艦を沈めるのには戦艦が必要です。戦艦を撃沈できるほど高性能の航空機がいません。数もありません。 必要な水上艦は、敵が戦艦プラスアルファだと、もっと必要かもしれません。 その2隻が大西洋をウロウロしたら。そしてウロウロしているあいだは、何も戦果を挙げるようなことをしなくても、英国側は探さなくてはなりません。 しかも、発見したらドイツ側の意図をくじくほどの損傷をあたえるだけの戦力が必要です。下手をしたら、返り討ちに遭うかもしれません(実際、デンマーク沖で、フッドがそうなりました)。当然、英国へ向かう船団の護衛に使える軍艦が減ります。 Uボート、大助かりです。 長い目で見れば、地中海へ振り向けイタリア海軍と戦うのに必要な戦力まですり減るかもしれません。 たった2隻の軍艦を大海原で発見し、勝てるだけの戦力を振り向ける努力を英国が強制される、わけです。 ドイツ側は自分の都合で、帰ってもいいし、可能なら補給艦と邂逅して、作戦を続行できます(ポケット戦艦のアドミラル・シェーアがやったのが、これです)。 歴史にもしもは禁物ですが、たとえば英国雷撃機の魚雷がせめて両方とも船体に命中していたのなら。また、まあ舵でもいいんだが、せめて日本が当たり前のように使えた非常用の補助舵(普段は甲板・艦尾につるしてあり、非常時にロープと組み合わせて海に流し、艦の操縦をする)があったら、少なくとも沈まずには済んだのではないかとおもいます。 このライン演習作戦では、英国もドイツもあきれるようなミスを連発しています。また、ビスマルクの乗組員の練度、英国はおろか、いっしょにいたプリンツ・オイゲンより下です。どれほど低いかというと、ドイツ本国の司令部が発信する日々電報の受信すら度々失敗し、そのたびにプリンツ・オイゲンに訪ねたりしています。また、沈むまでに一機の航空機も撃ち落としていません。また、主砲もフッドに命中弾あたえた以降は、命中なしです。 一方、英国はビスマルクが垂れ流している電波の傍受に成功しますが、その位置を割り出すときに、計算ミスして見失います。デンマークでビスマルクに挑んだフッドとプリンス・オブ・ウェールズの戦術は稚拙でした。 ただ、デンマーク沖で敗北しても、英国の方針が「ビスマルク撃沈」とハッキリしていたのに対して、ビスマルクにはリンデマン大佐(艦長)と、上級指揮者のリュッチェンスが同居しており、デンマークの直後の決定的なタイミングで、本国や艦橋でコミュニケーションに混乱をきたしています。 多分、五分五分だった勝負が、ここで英国に傾いたとおもいます。 ライン演習はドイツにとって実行可能で無謀とまでは言えない作戦だが、決断を迫られた時の、英国とドイツ、各々の「海軍の経験」が、結果に結びついたのではないかな、と考えます。 ボードゲームだったら、ドイツも十分に勝ち目があります。英国は2隻を探し回って、困っていました。
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みなさまがた、詳細な回答ありがとうございます。 また質問前には地理について勘違いしており、「デンマーク海峡」は、デンマーク本土側のことだと思っていて、かつ、ビスマルクはフランスではなくキールあたりからの出航だと思っていました。顔から火が出るような思いです。 長年の疑問が氷解致しました。ありがとうございます。
- tanuki4u
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それなりの軍事的合理性で実施されたのは、マレー沖海戦前だったからじゃないでしょうか? つまり 41 12/10 マレー沖海戦 41 05/27 ビスマルク沈没 マレー沖海戦前までは、戦艦は戦艦の主砲でないと沈まないという理解でしたので。 真珠湾攻撃とマレー沖海戦の結果から、機動部隊なりTaskForceという発想が実施されるようになったのであって、その前の段階でドイツに、その実施を期待するのは無理でしょう。 実際にビスマルクは、ドイツ側の主張では自沈、イギリス側の主張では砲雷撃としており、航空戦力は気にしていない。気にしていたら、半年後にイギリスが戦艦のみでマレー沖に行かなかったでしょう。
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長年の疑問が氷解致しました。ありがとうございます。
- amuro-rei
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どうなんでしょうか?でも奇襲作戦だとしたなら? 第2次長州征伐時、下関近海、関門海峡の海戦では坂本竜馬が海援隊の1隻の軍艦で、 夜間幕府艦隊に殴り込みをかけて悠々と帰還してます。 (勝海舟がいたらあそこまでの被害はなかったなどもありますが・・・。)
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長年の疑問が氷解致しました。ありがとうございます。
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みなさまがた、詳細な回答ありがとうございます。 また質問前には地理について勘違いしており、「デンマーク海峡」は、デンマーク本土側のことだと思っていて、かつ、ビスマルクはフランスではなくキールあたりからの出航だと思っていました。顔から火が出るような思いです。 長年の疑問が氷解致しました。ありがとうございます。