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大坂の陣 幸村が率いた兵が強かった理由は?
真田幸村が音に聞こえた名将であったのは言うまでもありません しかし大坂の陣にはせ参じた時、幸村は蟄居先の九度山から脱出して駆けつけたわけで 手勢は供回りの数十人だけでした 大坂城で秀頼から軍勢を借り受けて戦ったわけですが 大坂の兵はいわば寄せ集めの雑兵、訓練もロクに受けていない兵なわけです しかも真田古来の家臣軍勢ではなく 秀頼から「君たちは真田君の下に入って命令に従う様に」的な軍勢だと思うのです(つまり完全に幸村の命令に従わない奴も居ただろうと思います) 幸村も真田丸に篭って戦っているし 配下の雑兵に十分な訓練を施せたとは思えません なのに夏の陣では一糸乱れず、伊達の三段構えを突き崩し家康の本陣まで突入しています。 寄せ集めの真田勢があれだけ強かった理由は何でしょうか? 単に幸村の采配の凄さだけでは無いと思うのですが
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幸村の采配は父と共に戦った真田城で実績済みです。その後の彼の隠遁生活の日記から推測すると世に名を残す死に場所を探してしたのです。大阪勢の幸村の配下は赤甲冑で目立つことで、敵から逃げることができないようにしていました。真田勢は死を覚悟して戦ったので強かったのです。
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私は歴史には詳しくないですが >つまり完全に幸村の命令に従わない奴も居ただろうと思います こんな奴はいなかろうと思います。さすがに。 特に戦地においてこんな命令違反する奴は 殺人事件の起きた脱出不可能の館で 「こんなところにいられるか!俺は一人で部屋にこもる!」と言い出す奴と 同じLVの死亡フラグだと思います。
お礼
いや 戦国時代は結構居たわけです もちろん自分が普段から管理している兵隊ならそんな事はありえませんが この場合は真田の兵は幸村の者ではなく秀頼の者なのです つまり秀頼の命令で真田の配下に入っても 真田の兵ではないので従う義務は無いわけで 「俺 怖いから帰るわ」って奴が居ても不思議では無いのです
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お礼
あれがとうございます