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ロックの「人間知性論」とフランス啓蒙思想
ロックの「人間知性論」がフランス啓蒙思想に与えた影響について詳しく教えてください。
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- Nakay702
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>ロックの「人間知性論」がフランス啓蒙思想に与えた影響について詳しく教えてください。 ⇒興味あることですが、概略的なことしか知りませんので、寄せられる回答を盗聴、いや「盗読」させていただくつもりで待っていました。しかし、待てど暮らせど…、ということで、またぞろしゃしゃり出ました。浅学ゆえ、「詳しく」ご説明することなどはできませんが、以下、もっぱら引用に頼って通説的なことを述べ、「たたき台にでもしていただければ」幸いです。 ☆ 『人間悟性論』 ロックの著作は多岐にわたっていますが、その中でもとりわけ大きな影響を後世に与えたのがこの「人間知性論」An Essay Concerning Human Understanding(『人間悟性論』、加藤卯一郎訳、岩波文庫)とされています。「知識の第一原理を外的権威にあおぐスコラ学派の立場および第一原理を生得的観念に求めるデカルト学派の立場をともに否定して、知識の起源をもっぱら感覚的経験に求める」というのがその事典的要約です。 ☆ ロックの所説とその先駆性 1.認識論 認識論が哲学的課題として重要・不可欠な分野であると自覚されたのは、まずロックにおいてであった。彼の所説によれば、人間の精神はtabula rasa(ラテン語で「白紙」)のようなもので、この白紙の上に刻まれていく膨大な蓄積はただ経験だけに由来するとする。その経験は、sensation「外的感覚」とreflection「内的内省」から成り、これらによって与えられる観念は、単純観念が基となって複合観念を生ずる。我々の認識はこれら観念の結合分離で成立し、経験に先立つ認識はない。単純観念は対象そのものに属する第1性質(固体性・形状・運動・広がり・数など)と、主観的な第2性質(色・音・においなど)の2つがあり、複合観念は形態・実体・関係の3者に分かれる。真理は2つの観念または事物との一致に存する。この一致の知覚が認識で、これには直覚的(直接自明の知覚)、論証的(前者に基づく間接的なもの)および感覚的認識とがあり、感覚的認識は蓋然的でもっとも価値が少ない、と説いた。 このように、ロックは、悟性の起源・限界・価値を主要問題とした点で認識論の祖とされ、観念の起源は経験にあるとした点で経験論の祖とされ、哲学上の自由主義の創始者、啓蒙哲学の開拓者として哲学史上不朽の地位を占める。このロックの創始した認識論の成果がやがて、例えばカントへと受け継がれ、3大理性批判という偉大な業績などへと繋がっていく。 2.宗教・道徳論 道徳観においても生得説を否定して経験結果による快楽説をとり、「さまざまな事物が快と苦に関連してだけ善であるか悪であるかのいずれかになる。我々の快楽を引き起こすか、苦痛を減少させる傾向のあるものを善と呼ぶ」と説き、ベンサムの先駆者となっている。 宗教においても生得観念に対する嫌悪を示し、宗教的寛容と理神論を唱導して、イギリス本国で多くの追随者を生んだばかりでなく、フランス・啓蒙思想家ヴォルテールやディドロらの先駆者ともなった。 3.政治・経済論 王権神授説に反対し、自然状態を自由・平等・独立の状態と規定、財産私有の起源は労働の支出であるとし、この財産の保有確保をもって政府の任務となし、最高権は人民にあり、政治は人民の同意の上に行われ、政府は人民の信託を受けたものに過ぎず、人民は革命権を持ち、政治構造として権力分立を説いて名誉革命の理論的骨子とし、新興市民階級の政治的理念を提供した。ロックの理論はアメリカ独立戦争・フランス革命に思想的に大きな影響を与え、権力分立論は、自然法の規範性を重んじたフランス・啓蒙思想家モンテスキューの先駆者となった。さらに、上に述べたような一種の労働価値説は、かのアダム・スミスの先駆者ともなっている。 4.教育論 ロックはまた、教育論にも深い関心を示し、この分野でも先駆者の一人に名を連ねている。彼のSome Thoughts on Education(『教育論』、梅崎光生訳、明治図書)は当時の教育法を痛烈に批判し、古典語中心主義、丸暗記的詰め込み主義に反対し、数学的推理を重んじ、有用な実際的知識・身体・徳性の鍛錬を重視した。教育上の自然主義・開発主義を標榜したという点でルソーの先駆者となり、ルソーの『エミール』などを経由してカントへも繋がっていく。 ☆ 影響の要約 これまで見たことを要するに、ロックの業績とその影響は枚挙にいとまがない。認識論を軸とする所説は広い分野にわたって、フランスを中心とする諸国へ伝播して啓蒙思想運動を鼓舞し、人間の知性を大きく改革した。巨星ロックを抜きにしては、近代・現代の精神史は語れない、とまで言えるかも知れない。 啓蒙思想は、自然法・認識論・理神論・自由主義・功利主義・進歩の観念などを内容的骨子としてイギリスに生まれ、フランスで大々的に展開し、ドイツへ伝わり、日本へも影響を与えている。無神論運動、『解体新書』の邦訳、明治維新の文明開花運動などにその痕跡を見ることができる。 ☆ 批評と擁護 「賢いロック」(ヴォルテール)に従った啓蒙思想運動ではあったが、その主義主張が批判ないし非難される面は皆無ではなかった。唯物論や無神論は伝統や旧体制を尊重する(または利権を保持したい)立場からは揶揄され、ロマン主義や歴史主義者からは啓蒙思想が社会や国家を過度に「人為的産物」に見立てる風潮を批判され、主知主義や個人主義が一面的に過ぎるというような批評が一般的にあった。 しかし、これらは長い歴史の篩にかけてはじめてその価値を云々できるような性質の事柄であって、ひとり啓蒙思想の責任・問題点とするのは酷であろう。かと言って例えば、「理性主義や進歩主義が今日の大量破壊兵器や環境汚染等々を生む元凶になった」というような、いわば「時間差攻撃」のような批判も当らないと言えるだろう。 ☆ ご質問本体への回答(要約) 以上から、“ロックの「人間知性論」がフランス啓蒙思想に与えた影響”として箇条書きすれば、以下のとおりです。 (1)当時アンシャン・レジーム(旧制度)下にあったフランスは、一旦イギリスの啓蒙思想を受け入れると、その本家よりも過激で急進的な思想運動を展開する。 (2)ヴォルテールやモンテスキューは直接イギリスへ赴き、前者は自由思想や理神論を得てフランスの宗教批判に功をあげ、後者は自然法を政治や社会に適用する。 (3)ただし、両者とも現実の政治的改革に関してはどちらかと言えば保守的であった。それに対して18世紀半ばから活動を始めた新進の思想家たちは啓蒙の思想的性格をより強め、明確に市民の立場に立って積極的な啓蒙活動を始める。間接的ながら、フランス革命への下地が整えられていく。 (4)ディドロやダランベールは有名な『百科全書』を編集して人々の啓蒙に貢献する。同書の執筆に協力したコンディヤック、エルヴェシウス、ドルバックらも宗教、思想、イデオロギーなどそれぞれの分野で活躍する。 (5)ディドロもダランベールも、当時の宗教と政治に対して鋭い批判を加えたが、このとき、倫理に関してまとまった理論を提示したのはエルヴェシウスで、その功利主義の考えは、革命の際に新たな立法と教育の理論的基礎を与え、またイギリスに逆輸入されてベンサムの功利主義に影響を与えた。 (6)その他の『百科全書』の寄稿者ケネーやチュルゴーらも、経済分析に自然法の思想を適用するなどして、「進歩の観念」の定式化に寄与した。また、革命に際しジロンド党員として獄死したコンドルセは、来るべき理想社会を構想していた。 (7)エルヴェシウスと同じく、ルソーも国家を「人為」と考えるが、その人為は、究極において自然法を体現すべきであるとした。教育においても同じで、個人の幸福は、旧弊を払拭した正しい教育によって得られるが、その根幹の発想は常に「善なる自然」と合致すべきであるとする。彼は多くの点で他の啓蒙思想家と理念を共有するが、特に「自然に帰れ」と標榜する点や理性以上に感情を重視するなど、啓蒙思想の内的限界を克服して人間の幸福を探求しようとする姿勢に特長がある。 以上により、フランス啓蒙期に活躍した知識人たちの多くが、直接間接にロック「人間知性論」の洗礼を受けていることが見てとれる。