※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「猿の惑星」における人間の知性)
猿の惑星で人間の知性はどう描かれているか
このQ&Aのポイント
映画「猿の惑星」では、猿につかまって知性の有無を調べるテストが行われますが、人間が知性を持っていることに疑問を抱く猿たちが描かれています。
人間の知性を測るために行われる筆記試験で、テイラーが高い成績を出す一方、猿たちはテイラーの知性を認めないでいます。
しかし、猿たちがテイラーを網で捕らえた際に、テイラーが自分の知性を証明するために言葉を発する場面があります。これにより猿たちは、人間が知性を持っていることを認識し恐れるようになります。
映画「猿の惑星」では猿の惑星にたどり着いたテイラーたちが猿につかまって知性の有無を調べるテストを受けさせられます。テイラーは声が出せず筆記試験となる。(テイラーが声が出せない理由は忘れました。)この筆記試験でテイラーは結構いい成績を出すのに猿たちはなかなかテイラーが知性を持っていることを認めない。人間が知性を持っているなど猿にとっては信じがたいことだったのです。そうこうするうちはテイラーは逃げ出す。しかし猿たちに網をかぶせられつかまる。そしてテイラーが叫ぶ。「こっから出してくれー。いったい俺が何をしたっていうんだ」。そこではじめて猿たちは人間が知性を持っていたことに気づきおそれおののく。そういう場面がありました。筆記試験でいい成績をだしても知性があるかどうかは判定できない。偶然かもしれないし、質問の意味を理解していなくても「正解」の出し方を知っているのもしれない、と猿たちは疑っている。しかしテイラーが網をかぶせられてつかまった時、こういう場合誰もが叫ぶことばを発して自分に知性があることを結果的に証明する。この映画について「猿の惑星でなんで英語が通じるのだ」とかいろいろ言われますがそれは物語上の決まりごとに過ぎません。それに対してこの人間の知性についてのとらえかた、なかなか意味深いと思いませんか。文字が読めるとか数の計算ができるとかそんなことではなく、困難な状況に置かれたとき自分自身を救いだすことばを発することができる、それこそ人間の持っている知性なのかもしれません。広く言うならことばや計算に関する能力ではなく自分自身が生き延びる方法を判断・理解・実行できる能力、それが真の知性だとあの映画のあの場面を見て思ったんですが皆さんはどうお考えになりますか。
お礼
「体力」。そうですね。非常に大事です。映画のテイラーもいかにも体力ありそうでした。あの映画は人間のサバイバル能力が試されているような映画にも思えます。 KoalaGoldさんの書かれた「情報収集力と分析力」もひとくちで言えば「力」というべきものでしょう。実際に日本語では「力」という字が入っています。人間最後に頼りにすべきは自らの「力」です。ご回答ありがとうございました。