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第2次世界大戦の護衛艦艇と水上飛行機
みなさまいつもお世話になります。 第2次世界大戦当時、護衛艦艇で水上飛行機を積載するタイプはあったのでしょうか? もしあるなら、陸地から離れている場合に船団などを護衛するために、広範囲な哨戒飛行に対応するため、哨戒用の水上機を数機積んで母艦にして哨戒飛行するみたいな運用はありましたか? (あくまでも船団の護衛艦艇を前提の質問です。) 当時の上海航路などは日本と大陸を結ぶのに相当量の輸送船団が行き来したと思います。 大村から哨戒飛行に出ても途中で引き返すことになり、哨戒飛行の空白が生じるので、質問のような運用をした時期があったのでは?と思いました。 よろしくお願いします。
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>大村から哨戒飛行に出ても途中で引き返すことになり、哨戒飛行の空白が生じるので、 おっしゃる通り大村海軍航空隊は対戦哨戒対潜掃討に従事しています。 機体は96陸攻が配備されてますよね?気になったので検索してみたのですがわかりませんでしたが、渡洋攻撃も盛んに行ってる部隊なので恐らく二三型と思われます。 二三型の哨戒武装は航続距離6,228 kmというあほみたいに長い航続距離をしています。一一型でも4000km以上です。必要と判断すれば水上機より空白のない哨戒活動は可能と思いますよ。 日中間くらいの哨戒行動であれば、わざわざ巡洋艦と水上機を用意するより、地上から哨戒機の護衛をつけるのが当然かと思います。 既に指摘を受けているように主な航路は日本と大連を結ぶ航路ですので、おそらくそちらを艦隊ごとの護衛ではなくエリアごと哨戒活動行ったと思われます。 日中間に限らず日本の場合南方航路でも航路の近くにいくつか航空基地があるので、護衛をつけるなら陸上基地から飛ばすという発想が当然かと思います。 随伴艦が対戦哨戒に水上機や艦上機を飛ばすというのは、逆に言うと地上基地から護衛機を飛ばすことが不可能な英米の事情と言えるかと思います。
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- jkpawapuro
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福江水上基地について興味あったんですか。 あの地に水上基地となるとそりゃだいたい水上機による対戦哨戒は主任務でしょうね。 ただ普通に考えれば対馬海峡・長崎・佐世保あたりに敵潜水艦が侵入しないようにエリア哨戒するのが主任務かと思います。もちろん上海航路に哨戒機を随伴させる場合福江から飛ばす場合は多いと思いますが。
お礼
回答ありがとうございます。 メインで調べている佐世保真珠府管内の哨戒領域で、船団が集中する五島の富江あたりを重点的に調べていたら、ご指摘の水上飛行場を知りました。この飛行場を使った哨戒行動があったのでは?と推測していますが今のところ何も出てきません。(笑) 何かこの水上基地に関して情報があれば教えてください。
- kawasemi60
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あのぉーーー なさけない状況でしたがまともな駆逐艦さえ船団護衛 の余力は有りませんでした。艦隊駆逐艦さえ不足してた。 船団と共に航行したのは海防艦という漁船並みの船。 これ、ほとんどが潜水艦より遅いというしろもの。 船団護衛を作戦にすると駆逐艦500~700隻を要すると 推測されたので建造自体が日本では不可能とされた。 とても造船能力や資材が不足だったのです。 たまにまともな駆逐艦がつく程度でしたから航空偵察 なんて出来ません。だいたい攻撃力がほとんど無い。
お礼
回答ありがとうございます。 参考になりました。
- eroero4649
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#1です。 >上海-長崎ルート 調べてないからなんともいえないけど、さほど重要な航路ではなかったと思います。何を運ぶと思います?私はちょっと想像がつかないです。上海は日本にとって策源地ではないですし、長崎も九州の地方都市のひとつに過ぎません。 太平洋戦争中の日本にとって重要だったのは、南方からの石油やゴムなどを運ぶルート、満州から食料を運ぶルートでした。そう、当時の日本は(今の日本もそうですけど)食糧輸入国だったんです。 船舶輸送は陸上輸送の1%のコストで済むといわれるので、通常は大連あたりから船で日本まで運んでいたようですが、戦況がひっ迫するにつれて輸送船が足りないということと、とにかく海上ルートは危険ということで、そのうちに鉄道で釜山まで運んでそこから日本に送るようになったようです。こうなると海上輸送は最小限になりますかが、汽車ぽっぽで延々と運ばないといけないので効率は相当悪くなります。 大戦末期になってとにかく潜水艦が危険ということになると、日本軍が選んだのは「なるべく陸地が見えるところを航路とする」ことでした。このルートを選ぶメリットはふたつあります。 ひとつは、陸側から攻撃される可能性は低いので警戒する方向が少なくて済むこと。もうひとつは攻撃されても浅瀬に座礁したり陸側に逃げれば助かる可能性があることです。 デメリットとして、航路が極端に狭くなるので潜水艦側も待ち伏せしやすいというのがあります。 航空機による警戒ですが、たぶんどこかで聞いたことがあると思いますが日本海軍はとにかく船団護衛というやつに徹底的に無頓着でした。うろ覚えですが、確か1944年になって極めて重要な物資を運ぶ輸送船団の護衛のために航空機までつけたことがあったと思うのですが、それは極めて異例でした。 だから通常の船団護衛に航空機が運用されるなんてことはまずなかったと思います。この辺りの事情については戦時中に海軍で船団護衛を担当していた大井篤氏の名著「海上護衛戦」を読むとよくわかりますよ。 http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E6%88%A6-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%A7%E4%BA%95-%E7%AF%A4/dp/4041015987 質問者さんには失礼ながら、「日本海軍の海上護衛について聞くだけヤボでした」って思うんじゃないかと思います。 航空機を飛ばすってことは、そのぶんの燃料が必要だということです。戦争末期になると航空燃料は貴重品になりますから、「船団護衛任務なんかに貴重な航空燃料は使えない」ということもあったと思いますよ。その分は、本土防空に回したいじゃないですか。 ちなみに太平洋戦争において輸送船の乗組員(主に民間人)の死亡率は実に50%を超えています。つまり船乗りの半分以上は死んじゃったわけです。乱暴にいって、ドイツ軍でもアメリカ軍でも日本軍でも、兵隊の戦死率って20%あるかないかなんです。つまり兵隊さんになるより、船乗りのほうがはるかに危険だったのです。 戦争で大型船舶はもちろん、瀬戸内海で使っているような小型船舶でさえ徹底的に沈められたので、戦争によって日本の輸送船は文字通りのゼロになります(民間大型船で生き乗ったのは病院船として使われた氷川丸くらいじゃないかと思います。そのくらレアだから横浜で保存されているのです)。 「戦争中に牛馬のようにこき使われて、使い捨てにされた」ことに対して日本の民間船舶会社は今でも深い深い恨みをもっています。 湾岸戦争のとき、イラク軍が機雷を敷設するペルシャ湾に対して民間から船舶を出してくれと政府が船会社に要請したことがあったんです。船会社のお歴々はそれに対して、「我々は先の戦争で政府と軍の命令でこき使われて多大な犠牲を出した。政府も海自も信用ならん。お断りだ」と烈火のごとく怒ったそうですよ。 私には船乗りの友人がいるのですが、彼はもちろん戦争なんか経験しているわけではないのですが、海自に対して「あいつらはひとりでできる仕事を3人がかりじゃないとできないようなやつらだ」っていうんですね。あの世代を超えた憎しみってまさに「怨」という言葉が相応しいと思います。つまり、そのくらいの苦労と犠牲を強いられたってことだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 私の説明不足もありました。 佐世保鎮守府管内について調べており、その関係する海上ルートについていろいろ疑問がわいてきたところでした。 参考になるご意見ありがとうございました。
- mm058114
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船団護衛には、 ・直接護衛 ・間接護衛 が、あります。 間接護衛では、巡洋艦の搭載航空機による哨戒はありました。 しかし、アメリカの様に攻撃手段を持たず、殆ど無いに等しかった。 戦争後期では、軽巡は航空機を、殆ど陸揚げして、『0』状態です。 重要作戦に於いては、航空母艦も投入されました。 良い例が、オルモック作戦です。 日本は、数的に全てが不足していたので、海上兵力による間接護衛も、ままなりませんでした。 後期には、船団は、大陸沿岸航路を選択し、わずかに陸上から短時間の間接護衛が、なされました。 効果があったかは、疑問です。 直接護衛には、無いに等しいです。 これで、答えになっているでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 大変参考になりました。
- jkpawapuro
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当時は重巡洋艦以上は水上機を搭載するのが一般的です。 軽巡洋艦でも多くの艦艇で水上機を搭載しています。 あとはそういった艦艇が護衛艦艇として(おそらく輸送艦の護衛と言う意味ですよね?)利用されているかという話ですね。 日本の場合多くのケースで駆逐艦が護衛艦艇に利用されていたので、水上機で前方警戒をしながらというのは難しいです。また航空機の護衛をつけるにしても、陸上基地から護衛を飛ばすケースのほうが多かったでしょう。 アメリカ・イギリスの場合大西洋横断航路や欧州エジプト・欧州インドといった長大な航路が多いですし護衛にさける艦艇も多いですので、巡洋艦が護衛についています。そういったケースでは当然搭載水上機で前方哨戒、特にUボートを警戒した哨戒活動を行っていました。 なお戦争後期になるとアメリカは大量の護衛空母を生産し、船団護衛にあたらせています。
お礼
回答ありがとうございます。 大変参考になります。 やはり日本では想像したような運用はしていないかもしれません。
- ithi
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hiro2841さん、こんにちは。 日本海軍では艦隊決戦を想定していたので、海上輸送船団という考え方はありませんでした。航空機は軽巡以上の艦艇に装備されていましたが、これは弾着観測用や索敵用であり、哨戒、攻撃用ではありません。また、小型の水上機では、索敵はできても敵機の攻撃はできませんからあまり効果的ではないと思います。 戦前には水上機母艦の千歳、千代田という艦艇がありましたが、空母になってしまいました。 あるとすれば、水上戦闘機や2式大型飛行艇という飛行艇にによる船団の哨戒位でしょうか? 詳細は下記のURLを参照ください。 2式大型飛行艇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E8%89%87 水上機 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E6%A9%9F 日本海軍の艦艇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%89%87%E4%B8%80%E8%A6%A7
お礼
回答ありがとうございます。 大変参考になります。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11205/34809)
イギリスのサウザンプトン級軽巡洋艦は水上機を艦載できたみたいですよ。船団護衛任務にも就いていますしね。 「そうじゃなくて、船団護衛専門に設計された艦船で水上機を飛ばせるやつ。しかも日本製だ」とおっしゃりたいような気がしますが、もしそうならそんなもんはありまへん。 元々アメリカでもイギリスでも日本でも船団護衛任務には駆逐艦かせいぜい軽巡洋艦をつける程度です。そのくらいの大きさの船は水上機は載ってないのです。そもそも軍艦に載っている水上機は「主砲の弾着確認及び偵察用」です。だからせめて重巡洋艦や戦艦などの大型砲を搭載している船じゃないと意味がないのです。 >哨戒飛行の空白が生じるので そいつァ太平洋戦線における船団護衛ってことですかい。日本海軍が船団護衛のために哨戒機が必要だよなと思い始めたのは1942年になってからです。それで慌てて「東海」という対潜哨戒機を作りましたが、なにせ急ごしらえで作ったものだからそう簡単に上手くいかず、部隊として運用されたのはなんと1944年10月になってからでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F) ちなみに連合軍はドイツ軍のUボート対策として北大西洋で飛行船を対潜哨戒機として用いて、これは結構効果があったようですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 場所的には東シナ海(東海)の上海-長崎ルートです。 船団護衛専門の艦艇とは言わないのですが、護衛艦艇基を付けても水上機で前方警戒しないと敵潜水艦の餌食になるのではと思ったので。 1942年の件は参考になります。また対潜哨戒機「東海」というあたりがとても興味深いです。 参考になるご意見ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 大村海軍航空隊は96陸攻や1式で哨戒しています。 私が考えていたのは、S18に五島列島に水上機の飛行場を作っていたので、小型の水上偵察機で運用された実績があったのではないか?という想定でした。 参考になるご意見ありがとうございました。