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空母の被弾について
現代の空母は「空母打撃群」と言うように 色々な艦種の船で守っていますが、太平洋戦争当時は 主力艦が護衛していても何百キロも離れていたりと 空母が丸裸の時があります。 ミッドウェー海戦がどうだったか細かいところまでは 知りませんが、発艦前に魚雷を受けて傾いたり、甲板に 爆弾を受けて穴が開いたりと飛行機を飛ばせない状態で 戦闘が始まったら「ハイ、それまでよ」のサンドバッグ 状態で沈没か廃艦の運命なのでしょうか。。どういう対策を 取っていたのでしょうか。守るも攻めるもる航空機が最大の 武器の空母が両手足をもがれたらなんとしますか。
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ミッドウェー海戦の戦訓を日米がどう評価したかの観点だと、マリアナ海戦が解になるかと思います。 http://obiekt.seesaa.net/article/134482842.html 日本海軍: 戦艦大和・武蔵および金剛・榛名を基幹とした戦艦部隊に護衛の軽空母を付けて主力空母部隊の100海里(185.2km)前方を航行する隊形を取ります。 前方の戦艦部隊が米海軍航空隊の攻撃を吸収して後方の空母部隊を守れれば目的を達成。 (第二次大戦を通して戦闘機の護衛を受けた戦闘航行中の戦艦が航空攻撃のみで撃沈された事例は一例も無い。戦闘機を搭載した千歳・千代田・瑞鳳を護衛に付けいているので簡単には沈まない…。) 米軍が戦艦部隊を無視するのであれば、当時の米海軍の空母部隊の有効な行動範囲が3~400Km前後ですので、戦艦部隊が発艦・着艦作業中(無防備かつ行動の自由度が無い)の空母部隊に急接近して砲戦を挑む事を目論んでいました。 また敵を少しでも早く遠くで発見するため、50機を超える偵察機を出しています。 ただ主力の大鳳、翔鶴が潜水艦に沈められるという誤算が発生しますが…。 米海軍: 空母が集中していると敵の一回の攻撃で戦力盲失となる。だから最低限の護衛を付けた上で複数の航空部隊に分ける。 戦艦は、空母護衛には向かない。日本海軍の戦艦迎撃の為に集中運用。 航空攻撃の最良の防御法は、戦闘機による迎撃である。 (ミッドウェーでは日本海軍は、初期は米航空部隊の攻撃を完璧に防御していました。米軍の急降下爆撃を見落とすその瞬間まで。) レーダという最新機器を活用する事で、ヒュウマンエラー(見落とし)を排除すると共に、日本海軍航空部隊の位置や高度を正確に把握することで米海軍の航空部隊を適切な位置に無線誘導(日本海軍では、無線は機器の信用性が薄く有効活用できなかった。)する。 結果はマリアナの七面鳥撃ちと揶揄される程の防御態勢を確立しています。 なおマリアナの実績でも対空砲の戦果は、VT信管を使っても一機撃墜に千発単位の発砲が必要。 あと、米軍の恐ろしさは、マリアナの完勝後もオペレーションリサーチに基づいて現代まで続く空母打撃艦隊の防空能力の向上を弛まず行っている事です。 (現代のイージス艦を含んだ艦隊防空は、沖縄戦で味わった神風特攻隊の飽和攻撃に対処する米海軍の半世紀にわたる回答とも言えますし…。本題から外れるので省きますが…。)
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- akinokami
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周囲の護衛群については皆さんが解説してくれてますし、まさにその通りだと思います。ですので空母自体について見てみたいと思います。 空母が損害を受けた場合、ダメージに対する対応力というものが大きなファクターになってきます。確かに日本空母の大半が最初の一撃がほとんど致命傷になっているようで修理しては頑張っていたというのは翔鶴級の2隻くらいしかありません。 しかし、米国空母では「グレイゴースト」とまであだ名されたエンタープライズをはじめとしてヨークタウン、サラトガ、フランクリン等損傷しても何とか生き残り、活躍を続けた空母も多いのです。 当時の米軍空母はオープンハンガー(格納庫を開放できる)方式を採用しており、損害を受け消火活動を行うときに周囲の随伴艦が火元に直接放水して消火に参加することが可能でした。もちろん空母のほうも誘爆防止に魚雷や爆弾、炎上中の飛行機を海中へ投棄するのに便利でした。しかし日本や英国の空母はクローズドハンガー(格納庫を密閉していて開放できない)方式を採用しており、格納庫内に火災が及ぶと周囲の随伴艦は艦体に放水して冷やすことはできても直接火元に水をかけることはできず、その消火能力は生き残った乗員たちの活躍しかなく、傷ついた彼らだけでは、前者にくらべ貧弱でした。当然のことながら、魚雷・爆弾、炎上中の機体の投棄などほとんど不可能。(オープンハンガーを採用したのは日本では信濃一隻のみ)これがミッドウエイで蒼龍、飛龍、赤城をなすすべなく沈めてしまうことになった原因にもなっています。(加賀は一撃で艦体が裂けてしまっておりもはや救いようがなかったと言われています) また、米軍は艦内にダメージコントロール専門の部隊を常設していて効果的に機能できるよう訓練していたようです。残念ながらこのような組織は日本には無く、空母だと整備兵などがばらばらと火元に駆け付ける(映画『永遠の0』における赤城被弾直後のシーンに見られるような…)状況だったと思われます。 この辺は物量・人員に豊富だった米国だからそんなとこまで考える余裕があり、何もない日本だったから何でも兼用で済ましてしまおうとしたんでしょうか? サンドバッグ状態で…攻撃機に、護衛群を突破され肉薄されてしまえば仰る通りの状況になり、航空機の発着艦不能にもなったでしょうが、その後に沈没するかどうかは、艦の構造の違いやダメコン能力の差で生き残り、再起することも可能であり、敷いては戦況を左右できる状況に繋がった(例えばミッドウエイに間に合ったヨークタウンのように)のだと思います。
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各空母によって対応が違うのですね。 回答ありがとうございました。
- jkpawapuro
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まあ大前提として、あまり有効な対処法がなかったというのが正解かと思います。 一撃くらったら空母はだいたい戦闘能力を失います。 そしてどうするかというと対処法は二つ。 まずはとにもかくにも先に飛行機を出撃させることです。(ミッドウェーの失敗の戦訓) 実は空母は攻撃をくらったら簡単に沈む非常に脆い船と思われていますが、だいたい搭載機や弾薬への誘爆が致命傷になっています。逆に言うと(ワスプのような例外もありますが)中身が空だと攻撃を受けて穴は開きますがなかなか沈みません。ですのでとにかく先制攻撃、相手を見つけたらすぐ飛行機を吐き出す、最悪見切りでも出撃させることです。 もう一つはしごく平凡な対処法、とにかく対空砲をたくさん積んだ軍艦で囲んで敵の攻撃を妨害するんです。当時はミサイルはなく爆弾か魚雷で攻撃するので、空母に直進コースを通り接近して投弾します。よって護衛の軍艦で輪型を作りその相手の飛行コースに弾幕を張り相手が攻撃コースに乗るのを阻止します。秋月型駆逐艦、アトランタ級軽巡洋艦などがそれにあたります。
お礼
ミッドウェー海戦は弾装だの雷装だのと発艦が遅れたのを どうこういってますが、爆弾でも何でも抱えたモノでとにかく 発進してから考えるべきでした、南雲中将の優柔不断が今では 良い教訓になっています。 回答ありがとうございました。
- oska2
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>現代の空母は「空母打撃群」と言うように、色々な艦種の船で守っています その通りですね。 横須賀を母校にするアメリカ太平洋艦隊の原子力空母「ロナルド・レーガン」も、多くの艦船が同時に行動しています。 >太平洋戦争当時は、主力艦が護衛していても何百キロも離れていたりと空母が丸裸の時があります。 対戦前期は、世界各国ともに「戦艦重視」の戦略を練っていました。 不幸な事に、開戦時の空母の有効性は「真珠湾攻撃」だったのですね。 この件で、アメリカをはじめ世界各国は「いろんな形態の空母建設」を行っています。 残念な事に、空母の有効性を重要視しなかったのが日本軍です。 空母に限らず、戦艦でも「対空攻撃能力」は低かったですからね。 大艦巨砲主義の産物であるヤマトでも、対戦後半で高射砲の増築取り付けが急きょ行われています。 特に、日本の空母の高射砲で撃墜された敵攻撃機は存在していない様です。 >爆弾を受けて穴が開いたりと飛行機を飛ばせない状態で、戦闘が始まったらハイ、それまでよ」のサンドバッグ状態で沈没か廃艦の運命なのでしょうか。 実際の戦闘で、日本軍の空母が沈んでいます。 はるか彼方から飛んできた米空母艦載機群の攻撃で、飛行甲板が被弾。 なす術もなく、撃沈。 有名な戦闘ですから、検索すればヒットします。 >どういう対策を取っていたのでしょうか。 この教訓をもとに、軽巡洋艦は主砲の大砲よりも高射砲を増やしていますね。 ただ、遅きに期した状態でしたが・・・。 >守るも攻めるもる航空機が最大の武器の空母が、両手足をもがれたらなんとしますか。 その為に「空母攻撃・打撃軍」なのです。 敵よりも早く敵を発見して、敵より早く攻撃する事なのです。 偵察部隊・各種レーダー網など、事前キャッチを重視していますね。 ※イージス機能は、AランクからCランクまで存在します。 ※Aランクは、アメリカ艦隊とイギリス艦隊が採用。 ※Bランクは、海上自衛隊(実際は、Aランクとの説も有る)とドイツ海軍が採用。 ※Cランクは、韓国海軍が採用しています。 余談ですが・・・。 韓国駐在アメリカ大使が「米韓の友好関係は堅い。だが、米韓軍事同盟がそのまま継続する保証はない」と、文在寅政権幹部に三下り半を告げた様ですね。 (1895年まで)旧宗主国だった中国・偉大な朝鮮民族の領主である金正恩将軍に忠誠を誓う韓国に警告を発した様です。(祝) 結果として、韓国政府は「定期的に、アメリカ政府に中国・北朝鮮対応について随時説明・報告する」義務が生じました。
お礼
真珠湾攻撃は山本五十六が発案したと言われていますが 成功した暁には日本は今後空母主体でいこうとか、他国も 空母を主力にするだろうから対空策も講じておかないと・・・ と言うところまで考えが及ばなかったのが没落の始まりですね、 まあ後からなら何とでも言えるのですが。 回答ありがとうございました。
- kuzuhan
- ベストアンサー率57% (1585/2775)
第二次世界大戦中に日本海軍が保有した空母「赤城」「加賀」は進水したときは三段式甲板の空母で中段に20cm連装砲2基、後部両舷に20cm単装砲をそれぞれ3基ずつ備えた一応の砲戦能力(当時の重巡洋艦と同等レベル)を備えていました。 全通式甲板へ改装した段階で、これら主砲として扱える砲は撤去されていますが、対空火器としての12cm高角砲を搭載しました。 守るという点ではこうした対空砲のほかに、各空母の戦闘機(艦戦)隊、護衛の駆逐隊がその役目を担っていたのです。 当時は艦隊決戦主義(戦艦を主とした海戦で決着をつける考え方)の考え方が強かったことで空母よりも戦艦を主力としてみていたこと、護衛艦の役目を果たす対空装備の充実した新型艦(秋月型駆逐艦など)の配備遅れ、旧式艦・旧式武装を一線級の戦力として数えていたこと、何より資源不足により艦船自体が不足していたこと、アメリカの空母の数や航空機が圧倒的に多かった(物量差)、レーダー能力がアメリカのほうが良かったなど、いろいろな要因が重なった結果が「日本海軍の空母が撃沈・航行不能にされた原因」です。 隔月で正規空母エセックス級、月で軽空母インディペンデンス級、週で護衛空母カサブランカ級、日で駆逐艦フレッチャー級、3時間で規格型輸送船リバディを作ったうえで、それぞれを運用できる航空機・砲・人員を確保できるアメリカと、青色吐息で艦船を作り、学生を動員して兵器を作っていた日本とでは・・・ということです。
お礼
青色吐息の日本と桃色吐息のアメリカじゃ 話になりませんね。 回答ありがとうございました。
- edogawaai
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昔の空母は舷側に対空火器も 持っていました プラモデル等で確認は出来ます 今の空母でも、有る程度 独自の対空火器は持っていますよ
お礼
回答ありがとうございました。
- meido2010
- ベストアンサー率15% (68/448)
第二次世界大戦当時は、イギリス、アメリカ、ドイツなど大型艦と言えば 戦艦というイメージでしたから、空母の運用性についてまだ確固たるもの は無かったのですね。 ですから、艦隊は戦艦を守るのが第一義で空母は添え物程度でした。 ドイツの戦艦ビスマルクなどは艦隊も組まず単艦でイギリス艦隊を相手に していました。 空母の有用性にいち早く気付いた日本海軍は、真珠湾攻撃でハワイを奇襲 しましたが、アメリカ海軍への脅威はもっぱら潜水艦でしたね。 それが、日本海軍の真珠湾攻撃成功で各国海軍の空母への見方が変わった と言って良いでしょう。 アメリカが一週間に一隻空母を就航させた。というのも頷けます。 しかし、作戦面での空母艦隊はどうだったのでしょうか。 珊瑚海海戦で空母対空母の海戦が行われましたが、護衛は駆逐艦が数隻 という陣容でした。ミッドウェー海戦も同様に駆逐艦、巡洋艦が周りを 固めていましたが、元々対空戦闘用の機銃が少ない上に、上面甲板が ガラ空きの空母では急降下爆撃に対応できませんでしたね。 現代のイージス艦のような優れた対空戦闘ができる艦はいませんでした。
お礼
ミッドウェ-海戦当時ではまだ空母の対空養生が 不十分だったのですね。 回答ありがとうございました。
お礼
アメリカが血と汗を流して確立した空母打撃群を 中国が真似してうまくいくのでしょうかね。 回答ありがとうございました。