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杜甫の岳陽楼に登るの対句はなんですか?
杜甫の岳陽楼に登るの対句はなんですか?
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ちょうど次の「対句」の解説にこの五言律詩の例が引用されています。 「中国語では一般に〈対偶〉という名称のほうが用いられる。…たとえば杜甫の五律〈岳陽楼に上る〉の 呉楚東南坼 呉楚 東南に坼(さ)け 乾坤日夜浮 乾坤 日夜に浮かぶに見られるような整然とした対称関係が両句の間に結ばれる必要がある。」(「世界大百科事典 第2版」) https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E5%8F%A5-98852 この五言律詩は次のような構成であり、そこでは頷聯の第三・四句と、頸聯の第五・六句は、それぞれ「対偶(対句)となることが決め事になっています。 首聯(起聯) 第一句 昔聞洞庭水, 第二句 今上岳陽樓。 頷聯(前聯) 第三句 呉楚東南坼, 第四句 乾坤日夜浮。 頸聯(後聯) 第五句 親朋無一字, 第六句 老病有孤舟。 尾聯(結聯) 第七句 戎馬關山北, 第八句 憑軒涕泗流。 この詩の場合は加えて首聯もまた対句になっています。 平仄など詳しい用字法は御専門にお任せし、ここでは意味上での対句の妙に触れてみます。 首聯 曾(かつ)て耳にし(憧れていた)あの洞庭湖水 今こそ(宿望を果たして)登っているこの岳陽楼 頷聯 (見晴らせば)往時の呉と楚はこの湖によって東と南に分けられており (見詰めれば)眼前の天と地のあらゆる物象は日に夜にと湖面に映える 頸聯 (思い致せば)私の身内や知人からは手紙の一本の無く (思い託せば)私の身体や老病の姿こそあの一艘と有るばかり ここで、頷聯での壮大な展望を得ての歓喜の昂揚と、頸聯での卑小な吾が老身の漂う孤独の落胆と、この急転直下の落差の激しさもまた対聯をなしてまま尾聯へと続いているのでしょう。
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- SPS700
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お礼
ご回答ありがとうございました
補足
何処に対句が載っていますか?🙇
お礼
ご丁寧にありがとうございました