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高倉健について中国人作家のコメントをご説明願います
- 中日両国の高倉健への注目点が異なる
- 中国では友好と男らしさを称える一方、日本ではひっそりと世を去る美学が称賛される
- 高倉健は自分の弱さを人に見せたくなかった
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自然か不自然かという質問のご趣旨がよくわかりません。 ご指摘の文章を書かれた方がそのように感じただけの話であって、それを自然だの不自然だのとの特定の価値観に基づいて判断してみても何の意味もないのではないのかと思います。 一人二人の人間が書いた文章で日本人はどうかといわれてもどうにもなりません。 同じ中国ご出身の方で SMBC日興証券の中国担当シニアエコノミストである肖 敏捷(しょう びんしょう) 氏は以下のようなことを書かれています 中国人はなぜ高倉健さんを尊敬するのか? : 日経BizGate bizgate.nikkei.co.jp/article/81284312.html 又SearchinaというSNSのサイトではこのようなことも書かれています 高倉健さんが中国人に慕われた理由 - ロゴ m.news.searchina.net/id/1550254 蛇足 中国の多くの方々は高倉健なる俳優が演じた映画の主人公がもたらす印象に基づいて感想を述べられるのは極当然のことかと思います。 日本人の場合には彼が演じた主人公の印象もさることながら、小田 剛一 (おだ ごういち)なる人物の印象も総合して感想を述べています。 高倉健(本名小田剛一)という人物はエッセイシストとしても有名であったことを御存知でしょうか 「あなたに褒められ たくて」というエッセイ集で日本文芸大賞エッセイ賞を受賞しています。 多くの日本人ファンは離婚騒動など私生活についての情報も持ち合わせています。 このように、一私人としての生き方と俳優として演じた役の設定がもたらす印象と総合した上での感想と映画の役の設定からくる印象に基づいた感想とでは自ずと違ってきます。 映画が制作上映された時代の社会的な背景も中国と日本とでは根本的に違っています。 質問者さん御自身、現在の中国でご覧になられた上で、映画の役という枠の中だけで理解しようとされておられませんでしょうか。 高倉健なる人物にご興味があるのであれば エッセイは他に南極のペンギン、旅の途中で、など出版されています。 いずれもAmazonなどで入手できます。 下記のサイトにも文章を寄せています 高倉健のダイレクトメッセージ :コラム :ライフ :日本経済新聞 www.nikkei.com/life/column/page/?uah=DF050320126718 「人生を愛する心、養い続けたい」文化勲章の高倉健さん:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/TKY201310250062.html 「あなたに褒められたくて」については以下のようなサイトもあります 【読んでみた】高倉健さんの『あなたに褒められたくて』:普通のおじさんと ... blogs.itmedia.co.jp/omeishi/2013/08/post-4802.html 【書評】高倉 健:あなたに褒められたくて【ブックレビューサイト・ブック ... bookjapan.jp/search/review/200901/001/02/review.html 以上をご理解頂きました上で補足を戴ければ直接の回答をさせて頂こうと考えています。
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- kurinal
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こんばんは。 >「「叩き」というのは批判するという意味でしょうか。」 そうですね。考えてみると、そんなにカンペキな人間というのも、居ないのかもしれません。 (それまであまり知られて居なかった一面などが紹介されると、「へえ、そうだったの・・・」となる) >「死に直面するときの日本の方の心情や考え方などをよく理解したいと思います。」 週刊誌の(没後の)報道などは、本人の心情や考え方とは無関係でしょう。 (寡聞ながら、では) 「(この人生で良かった、と)満足して死ねれば、「勝ち」」といった考えもあるようです。 (「孫が出来て、一人前」といった感覚も、まだまだ色濃いですが)
お礼
再びありがとうございます。参考にさせていただきます。
No.4です 補足を頂戴しましたで、追加の説明をさせて頂きます。 「日本の方もその作家のように考えておられるのか、感じておられるのかということです」 この点につきましては、回答でも説明させていただきましたように、お互いに情報量がちがいますので、ご指摘の作家とは異なる受け取り方をしているのが一般的ではないのでしょうか。 量も質も異なる情報に基づいた判断といいますか感想を比較することは無意味であると同時に誤解の元となるかと思います。 「特に後半日本側の捉え方の部分・・・他人に迷惑をかけたくないのでしょうか。」 この点につきましては、高倉健という俳優であった小田剛一氏の考え方ですので、第三者としては何とも申し上げようがありません。 他の会回答者さんへのお答えなどから類推しますと本件とは別に日本人の死生観についてご興味をお持ちのようですので、下記のようなサイトがありますので参考にしてください。 日本人の死生観をどうとらえるか量的調査を踏まえて - 東京大学学術 ... repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55822/... 日本人の死生観とターミナル・ケア - 鈴鹿国際大学 www.suzuka-iu.ac.jp/subject/pdf/2013_sr_11m003.pdf 尚、日本のファンは、亡くなられた後の葬儀の手配だのなんだのという状況にだけ基づいて発言をしている訳ではありませんので誤解なきようにお願いします。 ご質問の文章の中に「健さんは『他人に自分の弱いところを見せたくない』とおっしゃっています。」とありますが、小田剛一という人物としての発言というよりも俳優としての発言でしょう。 単に人間として弱いところをみせたくないのであればエッセイなどは絶対に書かなかったでしょう。 俳優という仕事に携わる人達は、役柄を演じることによって、観客自身が作りだした役者に対するイメージというものを非常に大切にします。 これは流行歌手でも同じです。 この点については、小田剛一氏自身当初は違和感を覚えていたようです。 しかし、自分が演じた役の人間の生き方といいますか言動に観客が感動して、観客自身の生き方にまで影響を及ぼすということに気がついてからは、自分の演技に注力するようになったようです。 うっかりした演技はできないと覚悟したようです。 共演した他の俳優や撮影に携わった人達が異口同音に、撮影前のカメラが回りだす直前までの、彼の集中力の強さには圧倒されたと言っています。 その作品の登場人物に完全になりきろうとしたようです。 こうやって作りだしたスクリーン上の彼の姿に対して、観客自身が創り出したイメージを壊さないように心がけていたようです。 役者としての高倉健は寡黙な人物とされていますが、小田剛一氏としては、極めて気さくで多弁な人柄だったようです。 TVのインタビュー番組など、高倉健として観客の前に出るときは寡黙を貫きとおしました。 一方で、エキストラとしてや場所の提供など、撮影に協力した一般人にも一人一人丁寧にお礼をして歩いていたようです。 このように周りの人々を大切にするという行動は、映画界の最高峰であるハリウッドで称賛されたり数々の大賞を受賞しても、文化勲章を受けても変わらなかったそうです。 彼の人柄を熟知した監督連中も彼には華やかなヒーローのような役ではなく、社会の矛盾に巻き込まれてそこから抜け出すような役を割り振ったようです。 社会の矛盾や軋轢に日々直面している観客に強い共感を与え続けました。 自分の利益ではなく自分の周りの人達の為に損な役割を果たすという役が非常に多いのも特徴かとおもいます。 彼が歌った主題歌などにも 「バカを承知で・・・」とか「バカじゃできない利口でやれぬ・・・」などという歌詞が沢山あります。 you tubeに沢山ありますので聞いてみてください。 日本人というのは個よりも所属する集団の和や総意というものを非常に大切にします。 個を犠牲にして所属集団に役に立つという言動を称賛します。 ときとして、すすんででそのような言動を選択する人も沢山います。 自己の利益を優先する人間を極度に軽蔑します。 ある意味では近代経済理論とは矛盾しています。 又独裁者というのを極度に嫌います。 歴史上も中国の皇帝のような絶対的な独裁者という人物はいませんでした。 独裁者になろうとした人物は無数にいますが、人生を全うした人物はいません。 俳優高倉健は、いかに映画界の第一人者になっても、それを表に出すような言動はしませんでした。 このようなことを総合して日本人のファンは称賛しています。 中国のようにタフで強いから称賛している訳ではありません。 オレの葬式なぞ身内で済ませてくれ、と言ったとしても日本のファンは何ら違和感を感じなかったでしょう。
お礼
再びありがとうございます。今回も大変参考になりました。
- kurinal
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こんばんは。 >「高倉健が亡くなったあと、中日両国に多数の追悼文が現れましたが、両者の注目点が違います。中国は健さんの友好と情に熱い男らしさを中心に称えているのに対して、日本では一番多く称えられたのは健さんのひっそりとして静かに世を去るという男の美学です。病気になったあと、健さんは周りに情報を一切漏らさずに、常態でいくと頼んでおられて、葬式後しばらくして世に公表することも含めすべて健さんの段取りです。健さんは『他人に自分の弱いところを見せたくない』とおっしゃっています。」 そういう事情があった、というのは、初めて知りました。 日本の週刊誌では、既に「叩き」が始まっているように思います。 (・・・そういうのがイヤだった、というのであれば、判ります)
お礼
早速のご回答ありがとうございます。「叩き」というのは批判するという意味でしょうか。死に直面するときの日本の方の心情や考え方などをよく理解したいと思います。
- amenhotep2000
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sobatya_cnさん こんにちは。 もう高倉健さんの追悼番組を見て知っているかもしれまんが投稿します。 高倉健さんは、役づくりのため、あえて「孤独」な環境に身を置いたそうです。 sobatya_cnさんは孤独に耐えれますか?例えば私はこのようにしてネットで発言し、孤独から逃れている。 なかなか出来るものではありません。高倉流美学です。 しかし一方、高倉さんは「人」というものを大事にして、共演者に共演者それぞれの名前入りの時計を送ったり、ロケ地において出会った中学生に、色紙にサインを求められたら、ばれたら大勢の人が来るから、言うんじゃないぞとサインを書いてあげたりする。 私が20代の若かりし頃、高倉健さんが飛行機のファーストクラスに乗って、毛布を、べっぴんのスチュワーデスに求め、たった一言「ありがとう」と言ったら、そのスチュワーデスは、めろめろになったとか。 私はそれを聞いて、高倉健や、「カサブランカ」のハンフリー・ボガードようになろうと思ったことがありましたが、私には、とても無理と今では思ってます(笑)。 高倉健さんは、スターです。まさに今、星になったのではないでしょうか?
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろ参考になりました。追悼番組を見たわけではありませんが、健さんは私の親年代の中国人にとってとても親しみを持つ日本の芸能人です。今回の訃報を受けて、中国のマスコミが大いに報道しましたし、健さんのことについてもっと知りたくなった気持ちになりました。
- nacci2014
- ベストアンサー率35% (200/569)
病気に対して負けた素振りをみせずに日常を生きたあたりが男らしい。 生死をかけているのだから誰かに世話になればよいものを誰にも世話にならずに逝ったことが不器用
お礼
再びありがとうございます。今回もとても参考になりました。
補足
>生死をかけているのだから誰かに世話になればよいものを誰にも世話にならずに逝ったことが不器用 これは日本人の他人に迷惑をかけたくない思想が根にあると思いました。むしろ美点でしょうか。なぜ不器用になるのでしょうか。少し理解しかねます。
- nacci2014
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高倉健さんは中国友好のためにつくしましたが、高倉健さんの業績のひとつにすぎません。日本人が高倉健さんに抱いいるイメージは男らしさです。最初、任侠ものの映画や、やくざものの映画で男らしさを演じました。次に一般映画にも進出して 幸せの黄色いハンカチ、南極物語、鉄道員などでも男らしい名演技をみせました。このことから、高倉健さんのイメージは 男らしさにあります。 また高倉健さんは不器用さにも魅力があります。不器用というのは、純朴であるという意味です。男らしい不器用な人というのが高倉健さんに対しての日本人の多くの人が抱いているイメージでしょう。そのイメージそのままに、男らしく不器用にこの世を去ったことは誠に高倉健らしく人々の共感を得たのだと思います。 対して中国のイメージは日中友好親善大使という立ち位置なんでしょうね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。日本の健さんへのイメージはわかるようになりました。とても参考になりました。
補足
申し訳ありませんが、一箇所よく理解できないところがあります。なぜ「男らしく不器用にこの世を去った」と言えるでしょうか。どこが男らしさで、どこが不器用でしょうか。
お礼
ご丁寧に説明していただき誠にありがとうございます。参考文章は拝見しました。おかげさまで、健さんに対する理解は深まりました。中国側の背景はよくわかりました。
補足
>自然か不自然かという質問のご趣旨がよくわかりません。 もともとは「正しい」という言葉を使うつもりでした。でも、それは単なる在日中国人作家の自分なりの感じ方で、正しいかどうかとは言いにくいような気がします。お伺いしたかったのは、日本の皆さんはその作家の意見について同意するかどうかということです。適切な言葉が見つからず、「自然」を使ってしまいました。つまり、日本の方もその作家のように考えておられるのか、感じておられるのかということです。特に後半日本側の捉え方の部分。猫か犬が死が近づいてくるとわかるとき、家出をしてひっそりで外で死ぬらしいという話はどこかで聞いたことがあります。健さんはそれと同じことをされているのでしょうか。孤独死が望んでおられるのでしょうか。他人に迷惑をかけたくないのでしょうか。日本ではこのような対応はとても称えられる男らしい対応でしょうか。