※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:所有とは 何ぞや?――職務発明の所有にちなんで。)
所有とは何ぞや?――職務発明の所有にちなんで。
このQ&Aのポイント
所有とは何かについて考える際に、私的所有や国有、社会的所有とは異なる概念として「個体的な所有」という考え方があります。
この個体的な所有は、個人的な私有財産の概念に加えて、「関係的な所有」という概念を絡ませることで成り立ちます。
関係的な所有は、経済的な成果の一部が社会の相互関係や総合的な業績によってもたらされるという考え方です。このような所有の考え方が非現実的な思想かどうかは議論されています。
哲学としては 《私的所有》という概念および形態を揚棄しうるか? ここに焦点を当てようとしています。
奇をてらうものではありませんが 奇抜な事例をわが日本人の昔の民俗から持って来ます。極論をたたき台にしたほうが 互いの問い求めが進むと思います。
▲ (谷川健一:タマスとカンダラ) ~~~~~~~~
狩猟や漁撈の獲物の配分を南九州から奄美・沖縄にかけてタマスと呼んでいる。ひとタマスといえば 一人分の分け前のことである。
ここで興味があるのは タマスは当事者だけに与えられるものではないということである。狩や漁の現場にたまたま居合わせた者もタマスにあずかることができる。それを《見ダマス》という。見る者に与えられるタマスのことである。
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狩人や漁師が獲物を 惜しみなく平等に分配するのは それが神から授かったものであり 独り占めする訳にはゆかないという考えが根底にある。
そこで 漁の現場で獲物をくすねることも大目に見られた。瀬戸内や九州に多く これをカンダラと呼んだ。
(谷川健一 →さらに詳細は 《QNo.3994017 :われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか = http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3994017.html》のNo.29補足欄をどうぞ)
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簡単には ただただ個人的な所有ではなく さりとて国有ではなく また必ずしも社会的所有でもなく 《個体的な所有》と呼んでみます。《個体》には 社会的な関係性(カカハリ)をその自然本性において帯びていると前提させます。
個人としての私有財産という概念 これを基礎として それに同時に《関係的な所有》という概念を 絡ませます。経済的な成果のたとえば半分は 関係的に・総合的にみんなの業績であるということ 社会の相互関係なる過程によって もたらされるという考え方です。
これは 非現実的な思想でしょうか?
なお 聖書の中で 《ぶどう園の労働者》(マタイ20:1-16)というくだりがあります。よろしければ これも参照してください。→前掲《QNo.3994017 :われわれ日本人は・・・ 》のNo.34補足欄をどうぞ。
現状〔をしっかりとおさえることも大事ですが それでも現状〕を飛び出して 人間のあり方にもとづく《所有とは何ぞや?》をお考えください。どうでしょう?
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ◇ 魚や(野性)動物などのような自然のものと、工業製品に代表される人工的な創作物とは、分けて考えるべきなのでしょうね。 ☆ そうですね。なお対抗する側に回るとしますと 《人工的な創作物》であるなら なおさら――天与のものではなくても―― 《人びととの関係性》がからんで来ませんか? ヒラメキは 個人なるひとのオリジナルなものという見方になりますか? あるいは実験の遂行でしょうか。 ◇ 白熱電球や青色LEDは自然界にはなく、人が生み出さない限り、この世に存在しないものだったので。 ☆ ええ。マチガイありません。 ◇ そして、この発明によって世界が恩恵を被るのであれば、この発明に対して、発明者に何らかの代価を支払うことは、経済的行為として考えれば、当たり前なのでしょう。その発明により便益をこうむっているわけですから、その便益の代価としてです。 ☆ という《むくい》を たたき台としてはたとえば半々にしてはどうか? と言っています。その個人本人とそして環境と仮りに呼ぶところの周りの人たちとです。(過去の先駆けの人たちをも含むように思いますから。法律の規定を具体的にどうするかの前に いろんな考え方を提出するという意味において)。 あぁ えぇ 次のくだりにそういう意味合いのことが述べられていました。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ ただ、青色LEDや白熱電球がまったくの個人的な発明物であり、すべてオリジナルなものによって作られているのか、と言えば、これはかなり疑わしい。 これらの発明に先行する膨大な学問的蓄積と技術的な蓄積があって、初めて可能になるものだからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ だと思ったのです。ですから 会社での具体的な実験・開発などにおいても まったく同じくであり たとえば清掃係の人であっても その成功に貢献しているはずです。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ そして、これらの発明は、多少時代は遅れるでしょうが、N教授やエジソンでなくても、いずれ彼ら以外の誰かが必ず発明していたでしょう。 実際、早いか遅いかの差なんですよね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なるほど。そういう視点もありましたか。コロンブスの問題ですね。その卵としては 本人の寄与も大きいのでしょうが。 ◇ 学問的蓄積や業績の多くはアカデミックなものであり、無償に近い形で一般に広く公開されています。にもかかわらず、最終的に物の形にした人のみが高額の報酬を得るというのは、かなりおかしな話ではあるんですよ。道義的な疑問が大いに残ります。 ☆ これを言いたいわけでした。 たとえば 【Q:《漢字を盗んだ日本人のアイデア使っても大丈夫》?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7285019.html のごとく――いつも奇妙奇天烈な話になりますが―― これは著作権を無しにしてしまえという議論をしました。 と思って引き出した途端 同じお話がつづいていました。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ さらに、(アメリカの)著作権法は、別名、ミッキーマウス法案とも呼ばれ、ディズニー・キャラクターの著作権が切れそうになると、その都度、著作権の保護期間が延長され続けてきたという前歴があります。 個人の高額な特許料請求といい、ミッキーマウス法案といい、 諸悪の根源はアメリカ、USAにあるんでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアメリカの事情は知らなかったのですが どうもどこかに違和感があるように感じます。 先ほどの漢字の話は 漢字について特許料を支払えというその国からの要求を示しています。 それに対しては 次のようなコメントをふくむ回答が来ました。 ◆ (その質問への回答No.5) ~~~~~ 漢字の著作権が成り立つなら、人類発祥の地である アフリカ人に、全人類は遺伝子特許の使用料を払わね ばなりません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ですって。 《研究開発費》の償却分の報酬は 製品の売り値やロイヤルティーに含めるでしょうけれど・・・というお話も 次ですね。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 工業的な特許は、その開発のための膨大な研究費や開発費用が必要であるので、社会や文化・福祉の継続的発展のために、特許の保護期間を設けるというのは、合理的だと思うんですが、 個人発明家ではなく、企業や研究機関に所属する研究員や開発者に、特許から得られる金額の多くを渡すというのは、ちょっとおかしいと思うんですよ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 次が まとめとして基本的な考え方でしょうか。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ 企業やメーカーですと、その研究者のみがその特許に結びつく研究や開発をしているわけではないですし、開発サイドとしては成功するかどうかも分からないものに対して多額な投資をしているわけですし…。 もっとも、事前に特別な契約を、研究者や開発者が企業側と結んでいるならば、話は違ったものになりますけれど。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 大体ですね~、 著作権や特許権というのは、人々や社会を幸せにするためにあるんですよ。 それ故に広く保護されるんですよ。 著作権者や特許権者のためにあるんじゃない!! ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええこと言うなぁ。 アマテラス・スサノヲ理論で 特許 取れないかなぁ。