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所有とは何ぞや?――職務発明の所有にちなんで。
- 所有とは何かについて考える際に、私的所有や国有、社会的所有とは異なる概念として「個体的な所有」という考え方があります。
- この個体的な所有は、個人的な私有財産の概念に加えて、「関係的な所有」という概念を絡ませることで成り立ちます。
- 関係的な所有は、経済的な成果の一部が社会の相互関係や総合的な業績によってもたらされるという考え方です。このような所有の考え方が非現実的な思想かどうかは議論されています。
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魚や(野性)動物などのような自然のものと、工業製品に代表される人工的な創作物とは、分けて考えるべきなのでしょうね。 白熱電球や青色LEDは自然界にはなく、人が生み出さない限り、この世に存在しないものだったので。そして、この発明によって世界が恩恵を被るのであれば、この発明に対して、発明者に何らかの代価を支払うことは、経済的行為として考えれば、当たり前なのでしょう。その発明により便益をこうむっているわけですから、その便益の代価としてです。 ただ、青色LEDや白熱電球がまったくの個人的な発明物であり、すべてオリジナルなものによって作られているのか、と言えば、これはかなり疑わしい。 これらの発明に先行する膨大な学問的蓄積と技術的な蓄積があって、初めて可能になるものだからです。 そして、これらの発明は、多少時代は遅れるでしょうが、N教授やエジソンでなくても、いずれ彼ら以外の誰かが必ず発明していたでしょう。 実際、早いか遅いかの差なんですよね。 しかも前述したように、その発明に先行する、他の人の学問的蓄積や技術的蓄積を土台にして発明がされている。学問的蓄積や業績の多くはアカデミックなものであり、無償に近い形で一般に広く公開されています。にもかかわらず、最終的に物の形にした人のみが高額の報酬を得るというのは、かなりおかしな話ではあるんですよ。道義的な疑問が大いに残ります。 また、これは発明のみに限らず、ディズニーのキャラクターや作品についても当てはまります。 ディズニー・キャラクターには、白雪姫、シンデレラなどが存在しますよね。 これらの多くはウォルト・ディズニーやディズニーが作ったものではない。先行する文学作品などを利用して生み出されたキャラクターであり、キャラクターグッズです。自身はこれらにタダ乗りしているにもかかわらず、ディズニーの白雪姫、シンデレラなどのキャラクターを利用するには、ディズニーにお金を支払わなければいけない。 非常に変な話になっております。 さらに、(アメリカの)著作権法は、別名、ミッキーマウス法案とも呼ばれ、ディズニー・キャラクターの著作権が切れそうになると、その都度、著作権の保護期間が延長され続けてきたという前歴があります。 個人の高額な特許料請求といい、ミッキーマウス法案といい、 諸悪の根源はアメリカ、USAにあるんでございます。 大体ですね~、著作権が何で創作者の死後50年や70年も保護されなければならないんですか。 70年と言ったら、創作者の子供すらほとんど死んでしまう期間ですよ。 「ふざけんじゃない!!」と、ネムネコは大きな声で叫ぶ!! 工業的な特許は、その開発のための膨大な研究費や開発費用が必要であるので、社会や文化・福祉の継続的発展のために、特許の保護期間を設けるというのは、合理的だと思うんですが、 個人発明家ではなく、企業や研究機関に所属する研究員や開発者に、特許から得られる金額の多くを渡すというのは、ちょっとおかしいと思うんですよ。 企業やメーカーですと、その研究者のみがその特許に結びつく研究や開発をしているわけではないですし、開発サイドとしては成功するかどうかも分からないものに対して多額な投資をしているわけですし…。 もっとも、事前に特別な契約を、研究者や開発者が企業側と結んでいるならば、話は違ったものになりますけれど。 大体ですね~、 著作権や特許権というのは、人々や社会を幸せにするためにあるんですよ。 それ故に広く保護されるんですよ。 著作権者や特許権者のためにあるんじゃない!!
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- asisai888
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>《所有が侵される》という感覚がないのだろうか あると思います もしも村の人間以外の人間が物を勝手に使ったりしたらきっと問題になるでしょうから なぜ村の人間や家族なら大丈夫かというと、村の人間も家族も自己認識の延長上に存在するからだと思います つまり他者と自己を混同してしまっているために、無断で使われることは所有が侵されることにはならない なぜならそれを使ってるのは広い意味で自分であるから 自己同一性に所有という欠陥が働いたことで発生した一つの事例であると思います サモアや家族の例の他に、日常的な感覚として知っている共感という感覚も 自己同一性に関する誤謬によるものと思われます 自分自身が傷つけられたわけでもないのに、家族が傷つけられたら怒ったりとかですね 広い意味で自分自身を傷つけられたのと同義になりますから誤謬が存在する認識においては 至極当然な反応になります 溺愛する子供を喪ったら、まるで半身を引き裂かれるような思いがするなんて表現は まさに誤謬をよく表してます
お礼
何だかますます――わたしには――むつかしいい感じになってまいりました。 ご回答をありがとうございます。 今回は 論理は分かりやすいです。《自分》という存在が 必ずしもほかの人とのあいだとして《分》ではない・つまり《分かれていない》という感覚がある場合。言わば《われわれ分》というような《共同存在》が人びとの頭の中にもと同時に生活の中にも 現実となっている場合。・・・でしょうか。 たとえばあの小さな島は ウリナラのものだ。なのに それが 隣の国から領有権を主張されてしまったという思いには 《その島とわれとのあいだが未分化である。あたかも不可分である》という感覚があるみたいです。《自分》がその人の内においては難なく無理なく延長されているようです。 かのハルモニたちとも 存在が不可分であるようです。ウリという言葉は 身内と思っている範囲でのわれわれなる存在を言う言葉なのでしょうか。 これらは きわめて原始心性として起こる自他身分なる現象でしょうか? 話し合いの余地はないかの状態です。 そういった心的現象に《所有》とは何ぞやなる問いを解く鍵があるかどうか。 そう言えば 漢字の国は 必ずしもこういった《歴史知性の以前なる状態》でもないかも知れません。 それは むしろ論理で――プラスやはり同時に感情で――敗北感を克服しようとし怨みを晴らそうとする行動に出ているのかも知れません。尖閣のほうですが。 これは 《自分ないしその所有が侵される》その怒りをも伴なっているように思われます。自分〔たち〕は あの土地まであの島々まで延びているのだという感覚――自己同一性――なのでしょうか。 所有は ★ 自己同一性に関する誤謬によるもの ☆ である。つまり それが社会的に・公共の概念としてみとめられた。ということですね。 ▲ (趣旨説明欄:タマスとカンダラ) 狩人や漁師が獲物を 惜しみなく平等に分配するのは それが神から授かったものであり 独り占めする訳にはゆかないという考えが根底にある。 ☆ こういう場合は ムラの《われわれ》が 互いに分かれて《自分》どうしとなっていても 共同性ないし関係性が受け留められているようです。助け合いも おこなわれるはずです。 そういう《タマスとカンダラ》史観に立つなら 尖閣や竹島をめぐる所有の問題はいかになりましょうや? どうなんでしょうかねぇ。いいアイディアが出るとよいですね。 まだいくらか狐につままれているような感じが残っていますが このように反応しました。
- asisai888
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坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言葉がありますが これはある存在の同一性がその存在以外の存在にまで波及すると捉える 認識における欠陥を表現したものであると私は考えてます この欠陥が自己認識について働くとき、つまり自己同一性に働くとき 所有という考えが生まれるのだと思います 坊主における袈裟に相当するものです ですので、所有とは端的に言えば自我肥大のことだと思います そして、このような欠陥が生まれた背景には闘争本能が隠れてるような 気がするのですが、うまく説明できません 所有の概念が現実社会でどのように実現されるかというと 広い意味での闘争に用いられており、所有を犯されたときに出てくる感情が 闘争と密接な関係にある怒りであることから所有と闘争本能が無関係であるとは思えないのです
お礼
ううーむ。むつかしいですね。 ご回答をありがとうございます。 ★ ですので(* この事由の説明の引用を割愛しますが)、所有とは端的に言えば自我肥大のことだと思います ☆ つまりあるいは 腕の時計はあのブランドで クルマは例のあれというようなモノが 《自分》の延長だというように思い込むところから 《所有》が始まる。ということでしょうか。 配偶者や部下も 自分のモノになるということですね。腕の中にあり マナザシで配下に置いているからには おれのからだと心(?)にくっ付いたものだというわけですね。お金がものを言うと思っているのかどうか。・・・ ★ そして、このような欠陥が生まれた背景には闘争本能が隠れてるような / 気がするのですが、うまく説明できません ☆ 《闘争本能》と言えば 動物ですね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 所有の概念が現実社会でどのように実現されるかというと 広い意味での闘争に用いられており、所有を犯されたときに出てくる感情が 闘争と密接な関係にある怒りであることから所有と闘争本能が無関係であるとは思えないのです ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ サモアでは ムラの誰かのモノは 自分のモノであり 勝手に持って行ってよいというナラハシがあるようですね。ケータイでも 他人のモノでも持って行って勝手に使ってかまわないのだとか。ズボンのようなものまで洗濯物として干してあるのを勝手に使ってよいのだとか。承諾無しで。 《所有が侵される》という感覚がないのだろうか。 《闘争本能》が無い? どうなんでしょうね? これはほとんど考えたことがなく いま直ちに考えてもまだわたしはよく分かりません。 家族のあいだでは 互いにモノや特に奉仕活動なる行為を無償で与え合いますね。 これは 誰もがモノやあるいは財産やまた所有するお金を自由勝手に使ってよいというようなことではなく 一人ひとりに一応所属するモノとしての割り振りが出来ていますし 互いのあいだにそのことは承知されています。その上で 互いに助け合ったりします。つまりは 自分だけの所有ではないという側面がある。そのことが 暗黙の内にも承諾されています。 そのとき 兄弟のあいだで互いのモノを勝手に使われたなら 怒ります。この怒りは 闘争本能によるものか? 所有が侵されたと思って 怒るのか? それとも怒りなどは 起こらないか? 所有として自分のモノだというのは どういう行為なのでしょうね。個人的な意志行為として どうか? 社会的な承認が どうなっているのか? 盗みとは どういうことか? 国家が 税金を徴収するのは ある種の盗みである。或る人の所有となるもの(一般に貨幣価値で測ったもの)から 国家の職務を遂行するために収奪する税金。 ・・・
- Tefu_Tefu
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お早うございます bragelonneさん 哲学は感想文ではないと思いますね。それに、私は三位一体のほうがお気に入りなのですが。 > 現状〔をしっかりとおさえることも大事ですが それでも現状〕を飛び出して 人間のあり方にもとづく《所有とは何ぞや?》をお考えください。 所有を考える前に、人間はどんなものに価値を見出すかを考えます。 人間は自分にとって役に立つと認識できるものに価値があると考えて名称を付けました。 だから、他人との会話で、他人の絶対的な価値を見つけることができます。 もちろん、自分の認識の範囲に納まってしまいますが、経験によって認識は拡げることができると思います。 所有について考えると、人間は自分にとって価値の有るものを所有したいと思います。 そして、たくさんのものを購入するわけです。 身の周りを見ると、自分が必要の無いものの多さに驚かされます。 自分にとって本当に必要なものが無償でもたらされる部分が多いのに気が付きます。 自分が所有したいものは、他人が必要としないものなのでしょうね。 他人が所有したいものは高く売れるでしょうし、他人が必要のないものは安く買えるのでしょうね。 お金は「交換価値」があるので、価値を共有できます。 哲学者は、価値あるものに名称をつけるのでしょうか? 澄んだ心の源は、「無為自然」とか?「非思考の庭」とか?
お礼
てふ_てふさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 澄んだ心の源は、「無為自然」とか?「非思考の庭」とか? ☆ まぁ そうなのでしょうね。 と言っても 《澄んだ》状態は 人間のそれですから 相対的なものです。ブッダター(仏性)を《自性清浄心》と言いますが 完全なものではないのでしょう。 いや ちょっと待った。《無為自然》は まだきちっと定義されていないでしょうし やはりきちんと解釈されていないのではないか? その判定は わたしから言わせれば 《非知》であるかどうかです。《可知・不可知: すなわちあらゆる経験事象》を超えているという――想定としての――場です。《因果関係》から自由な――と想定された――場であり 電磁場のようであるなら チカラです。 《所有》論には はっきり言って 不満です。わたしは寄せられる回答にすべて全否定ばかりしていると言われますが まだあいまいであるように感じました。(あとで この見方はあやまりであったと分かりました)。 ★ 所有を考える前に、人間はどんなものに価値を見出すかを考えます。 ★ 所有について考えると、人間は自分にとって価値の有るものを所有したいと思います。 ★ 自分が所有したいものは、他人が必要としないものなのでしょうね。 ☆ こういった捉え方だけでは まだよく分かりませんね。 所有とは 排他的に――ほかの人がその所有するモノの処分をすることの出来ないかたちにおいて排他的に――そのモノの上に自分の意志をおよぼすことが出来ること。ではないかと考えますが 果たして そのように所有するモノは 自分だけのものなのか? こういった問い求めになっています。 そしてこの質問としては 職務発明をめぐる所有権も問題にしています。 たぶん ねむねこさんの回答とそれにいくらかわたしのやり取りとを参照して欲しいと思いますが いかがでしょう? ★ それに、私は三位一体のほうがお気に入りなのですが。 ☆ あっ そうなんですか。いちおう輪郭を描き得ていると思っていますが まだまださらに知りたいところがあります。三位一体なる神のばあいは 《ブッダターなる自性清浄心》が――あるいはつまり聖霊が―― イエスというふつうの人間にそのまま成ったと とんでもないことを言っていますから。 ★ 身の周りを見ると、自分が必要の無いものの多さに驚かされます。 ☆ なるほど。われわれの精神は 必ずしも飾り立てたクリスマス・ツリー状態であることをよしとはしないものと思われます。 ★ 自分にとって本当に必要なものが無償でもたらされる部分が多いのに気が付きます。 ☆ これは かがやいていますね。ふかく重みがあるようですね。 上の飾り付けたクリスマスツリーとその本体としての樅の木との関係といったようにも捉えられるのではないか? 樅の木は 無償であたえられています。 あぁ。このふたつの文を取り上げるなら しっかりとしたご見解ですね。《あいまい》と言ったのを取り消します。すみませんでした。 さらにご議論を伸ばして行かれるとなおよいように思いますが どうでしょう。 (あいまいだと見たわたしの発言を削除しないままですが あしからずご了承いただければさいわいです)。
- kurinal
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・・・人権を侵害しないようにね。
お礼
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんにちは。 >「現状〔をしっかりとおさえることも大事ですが それでも現状〕を飛び出して 人間のあり方にもとづく《所有とは何ぞや?》をお考えください。どうでしょう?」 人権を侵害しないでね
お礼
wwwwwwwwwwwwww
- titelist1
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特許権は特許権者を保護するためにあるのです。苦労して作った発明物が勝手に真似されたら苦労する気になれません。苦労だけならまだしも、発明には大金がかかっているのです。発明して損するようなら発明はなされず、社会は進歩しません。特許権は発明による大きな利益を生み出せるように保護することで発明を促し、社会の進歩を早める方策なのです。 ところで、所有とは何か。オスがメスを所有する。群れが縄張りを所有する。リスが木の実を蓄える。動物の所有はささやかなものです。人間ほど多くを所有している動物はいないです。しかもその欲望は限りがない。物ならあふれるので限度があるが、お金はコンバクトであり、場合によっては数字だけなので邪魔にはなりません。人間がお金を発明したことで所有欲は無限になったのです。しかし、死ねば所有権は無くなりますが、その所有権は相続させることができる。したがって、所有する行為は冨の蓄積です。所有権を認めることで、その社会の冨も大きくなる。
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 特許権は特許権者を保護するためにあるのです。 ☆ へえええええ。知らなんだ。でも――イヂのわるい人間ですので言いたいことを言いますが―― 特許を取れた発明は 人びとのため世の中のためにありますよね。 ★ 苦労して作った発明物が勝手に真似されたら苦労する気になれません。 ☆ これは 研究開発費の元を取る費用の問題と 発明へのむくいの問題とがあるでしょうね。 ただし開発費にしたところで すでにその以前から別の商品製品としてですが その費用をまかなうための利潤を得るかたちで価格を設定しているのではありませんか? (つねにそうだとは言えないでしょうけれど)。 ですから 苦労は みんなの笑顔です。それが見られたら 吹っ飛ぶでしょう。(もっとも 報酬を無しにせよという意味で言っているのでもありません。《所有》とは果たして どういう行為なのか? と問うかたちで発明や特許または著作権などの話を持ち出しています)。 ★ 苦労だけならまだしも、発明には大金がかかっているのです。発明して損するようなら発明はなされず、社会は進歩しません。特許権は発明による大きな利益を生み出せるように保護することで発明を促し、社会の進歩を早める方策なのです。 ☆ ですから 報酬はしかるべきものが与えられましょう。けれども 人びとの笑顔のほうが 報われるのではないか? という話をしています。 ★ ところで、所有とは何か。 ☆ そうです。そういう問題です。 ★ オスがメスを所有する。 ☆ 関係ありません。動物と人間とは はっきり違います。動物に特許権はないでしょう。 ★ 群れが縄張りを所有する。 ☆ まさか。やくざぢゃないのですから。 ★ リスが木の実を蓄える。動物の所有はささやかなものです。人間ほど多くを所有している動物はいないです。 ☆ いや。まづそのときの《所有》とは何か? の問いが先立つはずですよ。 ★ しかもその欲望は限りがない。物ならあふれるので限度があるが、お金はコンバクトであり、場合によっては数字だけなので邪魔にはなりません。人間がお金を発明したことで所有欲は無限になったのです。 ☆ いえ。自由意志の自由度が 人間の能力と努力とに関する限り その欲望を限りなく追い求める。ゆえに 貨幣価値を無限に追求する。という順序ではないですか? けれどもそのときの《所有》とは いったいどういう意志行為なのでしょう? ★ しかし、死ねば所有権は無くなりますが、その所有権は相続させることができる。したがって、所有する行為は冨の蓄積です。所有権を認めることで、その社会の冨も大きくなる。 ☆ 生活の基礎およびプラスαとしての相続分のほかは 相続しないという法律を作ることも人間は出来ます。 ☆☆ (趣旨説明欄) 現状〔をしっかりとおさえることも大事ですが それでも現状〕を飛び出して 人間のあり方にもとづく《所有とは何ぞや?》をお考えください。どうでしょう? 所有権を その主体として《個人》に限るという規定を書き直すことがあると ★ その社会の冨も大きくなる。 ☆ ことはない。というご見解ですか? あくまで所有する主体は 《おれさまひとり》ですか?
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ◇ 魚や(野性)動物などのような自然のものと、工業製品に代表される人工的な創作物とは、分けて考えるべきなのでしょうね。 ☆ そうですね。なお対抗する側に回るとしますと 《人工的な創作物》であるなら なおさら――天与のものではなくても―― 《人びととの関係性》がからんで来ませんか? ヒラメキは 個人なるひとのオリジナルなものという見方になりますか? あるいは実験の遂行でしょうか。 ◇ 白熱電球や青色LEDは自然界にはなく、人が生み出さない限り、この世に存在しないものだったので。 ☆ ええ。マチガイありません。 ◇ そして、この発明によって世界が恩恵を被るのであれば、この発明に対して、発明者に何らかの代価を支払うことは、経済的行為として考えれば、当たり前なのでしょう。その発明により便益をこうむっているわけですから、その便益の代価としてです。 ☆ という《むくい》を たたき台としてはたとえば半々にしてはどうか? と言っています。その個人本人とそして環境と仮りに呼ぶところの周りの人たちとです。(過去の先駆けの人たちをも含むように思いますから。法律の規定を具体的にどうするかの前に いろんな考え方を提出するという意味において)。 あぁ えぇ 次のくだりにそういう意味合いのことが述べられていました。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ ただ、青色LEDや白熱電球がまったくの個人的な発明物であり、すべてオリジナルなものによって作られているのか、と言えば、これはかなり疑わしい。 これらの発明に先行する膨大な学問的蓄積と技術的な蓄積があって、初めて可能になるものだからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ だと思ったのです。ですから 会社での具体的な実験・開発などにおいても まったく同じくであり たとえば清掃係の人であっても その成功に貢献しているはずです。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ そして、これらの発明は、多少時代は遅れるでしょうが、N教授やエジソンでなくても、いずれ彼ら以外の誰かが必ず発明していたでしょう。 実際、早いか遅いかの差なんですよね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なるほど。そういう視点もありましたか。コロンブスの問題ですね。その卵としては 本人の寄与も大きいのでしょうが。 ◇ 学問的蓄積や業績の多くはアカデミックなものであり、無償に近い形で一般に広く公開されています。にもかかわらず、最終的に物の形にした人のみが高額の報酬を得るというのは、かなりおかしな話ではあるんですよ。道義的な疑問が大いに残ります。 ☆ これを言いたいわけでした。 たとえば 【Q:《漢字を盗んだ日本人のアイデア使っても大丈夫》?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7285019.html のごとく――いつも奇妙奇天烈な話になりますが―― これは著作権を無しにしてしまえという議論をしました。 と思って引き出した途端 同じお話がつづいていました。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ さらに、(アメリカの)著作権法は、別名、ミッキーマウス法案とも呼ばれ、ディズニー・キャラクターの著作権が切れそうになると、その都度、著作権の保護期間が延長され続けてきたという前歴があります。 個人の高額な特許料請求といい、ミッキーマウス法案といい、 諸悪の根源はアメリカ、USAにあるんでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアメリカの事情は知らなかったのですが どうもどこかに違和感があるように感じます。 先ほどの漢字の話は 漢字について特許料を支払えというその国からの要求を示しています。 それに対しては 次のようなコメントをふくむ回答が来ました。 ◆ (その質問への回答No.5) ~~~~~ 漢字の著作権が成り立つなら、人類発祥の地である アフリカ人に、全人類は遺伝子特許の使用料を払わね ばなりません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ですって。 《研究開発費》の償却分の報酬は 製品の売り値やロイヤルティーに含めるでしょうけれど・・・というお話も 次ですね。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 工業的な特許は、その開発のための膨大な研究費や開発費用が必要であるので、社会や文化・福祉の継続的発展のために、特許の保護期間を設けるというのは、合理的だと思うんですが、 個人発明家ではなく、企業や研究機関に所属する研究員や開発者に、特許から得られる金額の多くを渡すというのは、ちょっとおかしいと思うんですよ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 次が まとめとして基本的な考え方でしょうか。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ 企業やメーカーですと、その研究者のみがその特許に結びつく研究や開発をしているわけではないですし、開発サイドとしては成功するかどうかも分からないものに対して多額な投資をしているわけですし…。 もっとも、事前に特別な契約を、研究者や開発者が企業側と結んでいるならば、話は違ったものになりますけれど。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 大体ですね~、 著作権や特許権というのは、人々や社会を幸せにするためにあるんですよ。 それ故に広く保護されるんですよ。 著作権者や特許権者のためにあるんじゃない!! ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええこと言うなぁ。 アマテラス・スサノヲ理論で 特許 取れないかなぁ。