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《蛍火のかがやく神および蠅声なすあしき神あり》か
わたしは 世界の中で おのれの身の周りに物心(ものごころ)という線を引いて 世界からおのれを切り取ったのだろうか。 もし切り取ったのだとしたら 元は つながっていたのか。 切り取ったあと わたしと世界とは もう縁が切れたのか。 物心とは どういうことか。 意識か。 ことばか。 感性も理性も そこにつらなっているのか。 あるいは もともと 世界はわたしとは仲がわるかったのか。 切り取るべくして 切り出されたのか。 いやいや そんなことはないだろうか。 * 次のように描かれる《世界とわれとの未分化》なる昔の世界と いまモノゴコロがついて見ている現実世界とは どう同じでどう違うのか? そこでは 世の中を人間たる自分たちによって思うように動かそうと心得た者どもの出現が 世界の貌を変えるキッカケだったと哲学している。か? ▼(谷川健一:乱舞する神々) ~~~~~~~~~~~~~~~ 大昔 森羅万象がアニマ(霊魂)をもっていた時代 植物も岩石もよく言葉を話し 夜は炎のようにざわめき立ち 昼はサバエが湧くように沸騰する世界があった。 存在するのは善意にみちたものばかりとは限らなかった。 夜は蛍火のようにかがやく あやしい神がいるかと思えば 昼はサバエのように悪い神がうろついた。サバエは稲の害虫であるウンカをいう。 日本列島の到るところ つましい存在と見られる青水沫(あをみなわ)さえ 自分を主張して異議を申し立てた。 日本列島の到るところ 動植物はいうまでもなく 岩石や火や水までも人間と同じように喜怒哀楽の感情をあらわにし 生き生きと動いていた光景を 『日本書紀』は次のように活写する。 葦原中つ国は 磐根 木株 草葉も なほよく言語(ものい)ふ。 夜は熛火(ほほ)の若(もころ)に喧響(おとな)ひ 昼は五月蠅 (さばへ)如(な)す沸き騰がる。 (神代・下) ・・・(中略)・・・ しかし絢爛たる闇の絵巻をくりひろげた夜の挑発者たちが退場を余儀なくされる時が訪れた。 それは葦原の中つ国に支配権を確立することを目指す者たちが現われたことによる。 然も その地(くに)に 多(さは)に蛍火の光(かがや)く神 および蠅声(さばへ)なす邪(あ)しき神有り。 復(また) 草木ことごとくによく言語(ものいふこと)有り。 故 高皇産霊尊(たかみむすひのみこと) 八十(やそ)諸神 (もろかみ)を召し集(つど)へて 問ひて曰く 吾 葦原の中つ国の邪(あ)しき鬼(もの)を撥(は ら)ひ平(ことむ)けしめむと欲(おも)ふ。 (神代・下) (谷川健一:『日本の神々』 § 3 1999) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このひとつの哲学について どう思うか? 神々の国・にっぽんは いかなる貌と姿であることを あなたは欲するか?
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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それからね。 人を愛しすぎた神には乱心もあるんだ。 それはね、おそらく神にとってたやすく理解できることに、愚かな人がもどかしいんだろう。 そして一方的な愛が寂しさを産むんだ。 幼馴染としてずっと一緒なのがいい。 喧嘩をしてもね。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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そうさな。 真実に開眼する人。 真理に開眼する神。 お互いに連れ添い乱闘騒ぎだ。
お礼
★ 真実 ☆ ゆえに ケンカするのですか? 知られてはいけないことを知られたとか? ここでは 《神》は 人のことを言っているとも読めますが。 欲を言えば もうちょっと どこかひねってもらうとよいかとも思うのですが。 ご回答をありがとうございます。
お礼
No.1でも言ったけれど ここでは《神》は 人のことでもあると思います。 《霊》として人の中にあるといったかたちで。 ★ 人を愛しすぎた神には乱心もあるんだ。 ☆ 《乱心》は 《愛しすぎた》ゆえですか? 《乱心》は ここでは 《人の支配》のこととして取り上げられています。 ★ 幼馴染としてずっと一緒なのがいい。 / 喧嘩をしてもね。 ☆ という状態を破ると言うのか 要するに世の中に社会的な上下関係をつくる動きです。 ご回答をありがとうございます。