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所有とは 何ぞや?
私的所有という概念および形態を揚棄しうるか? これが 質問です。 例によって 前口上を述べます。まづ わが日本人の昔の民俗を聞いてください。極論をたたき台にしたほうが 回答=議論が進むと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 狩猟や漁撈の獲物の配分を南九州から奄美・沖縄にかけてタマスと呼んでいる。ひとタマスといえば 一人分の分け前のことである。 ここで興味があるのは タマスは当事者だけに与えられるものではないということである。狩や漁の現場にたまたま居合わせた者もタマスにあずかることができる。それを《見ダマス》という。見る者に与えられるタマスのことである。 ・・・ 狩人や漁師が獲物を 惜しみなく 平等に分配するのは それが神から授かったものであり 独り占めする訳にはゆかない という考えが根底にある。そこで 漁の現場で獲物をくすねることも大目に見られた。瀬戸内や九州に多く これをカンダラと呼んだ。 (谷川健一 →さらに詳細は 《QNo.3994017 :われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》のNo.29補足欄をどうぞ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 簡単には 個人的な所有ではなく さりとて 国有ではなく また 社会的所有でもなく 《個体的な所有》と呼んでみます。個人としての私有財産という概念 これを基礎として それに 同時に 《関係的な所有》という概念を 絡ませます。経済的な成果の半分は 関係的に・総合的に みなの業績によって もたらされるという考え方です。これは 非現実的な思想でしょうか? なお 聖書の中で 《ぶどう園の労働者》(マタイ20:1-16)というくだりがあります。よろしければ これも参照してください。→前掲《QNo.3994017 :われわれ日本人は・・・ = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》のNo.34補足欄をどうぞ。
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>勤勉志向が 鍵でしょうか。 それだけでは、足りないのです。先日、テレビ東京系列の番組「カンブリア宮殿」で補装具会社を取り上げていました。どんなに良い商品でも補装具だけでは利益が出ないので、ある特許商品の利益を舗装具事業の方に注ぎ込んでいるということでした。つまり、生産側の勤勉だけでもだめで、顧客満足度優先のみでもだめで、支持される、あるいは、制度や組織を支持できる仕組み造りができたかどうかなのです。封建制度でも、株主資本主義制度でも、支持されていたのか、支持されているのかどうか次第なわけです。支持できない制度は崩壊するだけです。支持できるように制度設計する。ここに設計者の社会的な使命があります。だから、その設計者は、すばらしいと思われます。
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primeapeです。 生きていく必要のない文明社会からの成功報酬として、私はカメラを集める趣味があります。 このカメラ獲得合戦は哲学的醍醐味もあります。 どんなカメラが欲しいか、それからして駆け引きですがそれはさておき自分の財布からお金が出て自分の手元に来たカメラについては私の個人的所有物の一点張りの自己主張です。 これらに関しては鬼神としてメチャンコ悪魔君が天邪鬼のように茶化したり本気で謎賭けをしたりします。 個人的所有に関しては鬼神の見解では現状の(現実の)容認(肯定ではなく)です。 所有に関しては哲学的にわかりきらなければならないことのあるお題目です。 私にもこの結論はありません。 写真は芸術ですから自己表現としてお気に入りのカメラが欲しい。 これが購入動機ですが所有とは何ぞや、自己表現とは何ぞや、そもそも見えているものは真実か?いろんな謎かけの答えに少しずつちかづきながらカメラの増殖現象となっています。
お礼
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 おっしゃているのは 趣味の問題ですね。大きくは 生活全体の中で やはり自己表現にかかわっているのでしょうけれど。 私はまったく気のむくままに 朝には狩りをし 午後には魚をと り 夕には家畜を飼い 食後には批判をすることができる。 (マルクス:ドイツ・イデオロギ) お嫌いかと思いますが この文句は よく引用されていて 読んだものでした。共産主義社会が実現すれば こういうふうな生活になるのだというわけです。あるいは 社会主義社会においては 《各人は能力に応じて働き 労働に応じ て受け取る》という原則 また 共産主義社会にあっては 《能力に応じて働き 欲望に応じて消費 する》といった原則 などを思い出しました。悪いことを言っているわけではないようなのです。 でも 個人的な所有は 基礎であり それに 関係的な所有が 絡んでいると いまは 考えます。集団的所有というのは いまは どこでも 誰も 考えていないと思います。 趣味は 趣味の範囲で 自由だと考えます。
補足
《最低限所得保障》という考え方と制度があることを知りました。 今日(21日)毎日新聞夕刊の 《秋葉原事件と時代の感性(下)》という鼎談記事の中に 次の解説がありました。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【ベーシック・インカム】基本所得制度。 すべての個人に無条件で最低限の所得を保障する制度。 受給条件やそのための調査が必要な生活保障と違い 一律に支払われる。人々が自らの意思で仕事を選択でき 雇用の場以外で自らの役割を見いだせるようになるなどとして 80年代以降 西欧を中心に導入を望む声が高まっている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ヰキぺディアでは まだ 簡単な記事に終わっています。 ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【最低限所得保障】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%BD%8E%E9%99%90%E6%89%80%E5%BE%97%E4%BF%9D%E9%9A%9C ベーシック・インカム (Basic Income) 負の所得税 (Negative Income Tax) 参加所得 (Participation Income) 社会配当 (Social Dividend) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 覚書として。
primeapeです。 タマス、ガンダラについて考えました。 タマスは平等と言うよりは公平な、配分です。 ガンダラは、たとえば「うちの上さんは身ごもっているので栄養をつけさせてやりて~」こんなことを棟梁に言うまでもなくちょろまかしただけ。そんな感じでしょう。 新聞にも載ってましたが調査捕鯨でもこんなちょろまかしが発生してグリーンピースが言いがかりをつけましたね。 自然に触れて生命を扱う仕事をしているとまるで必然のように信心深くなります。 この信心が神の承認ゆえ、たまたま居合わせた人にもタマスが配られたのでしょう。 返す返すもこの配分がお金の話になるとめちゃくちゃです。
お礼
primeapeさん いつも ありがとうございます。 ★ タマスは平等と言うよりは公平な、配分です。 ★ ガンダラは、たとえば「うちの上さんは身ごもっているので栄養をつけさせてやりて~」こんなことを棟梁に言うまでもなくちょろまかしただけ。そんな感じでしょう。 ☆ たしかに そういう風習が生きているほうが 人びとは その暮らしが 楽しいのだろうと わたしにも 映ります。 ★ 自然に触れて生命を扱う仕事をしているとまるで必然のように信心深くなります。 / この信心が神の承認ゆえ、たまたま居合わせた人にもタマスが配られたのでしょう。 ☆ 《神》という言葉を出さないで表現すると どうなりますか。そうしたほうが いいように思います。 ★ 新聞にも載ってましたが調査捕鯨でもこんなちょろまかしが発生してグリーンピースが言いがかりをつけましたね。 ☆ あっ それは 知りませんでした。武器をもって攻撃していたことは 覚えていますが。 ★ 返す返すもこの配分がお金の話になるとめちゃくちゃです。 ☆ ぼちぼち 行きましょう。
primeapeです。 私は霊媒師の経験がありますからこの日本で餓死した社会から逸脱した人々を供養して神々の元へ返す神前の行いに関してノウハウがあります。 神の次元では実際に(日本においては)貧困の問題は解決しています。 政府の責任ではそうはならないでしょう。 そこで出てくるのが善意の強制収容所です。 人それぞれの気持ちの持ち方で自己責任なんですよね。 現代は世界的に平等な配分さえあれば飢餓の起きない時代です。 この問題は早く解決したいところです。
お礼
★ 現代は世界的に平等な配分さえあれば飢餓の起きない時代です。 / この問題は早く解決したいところです。 ☆ これは 同感ですね。そのとおりだと思います。 ご回答をありがとうございます。 世間との・世界との和解というような主題を言っておられるのでしょうか。 たしかに そういう主題も 所有の問題だと考えます。所有関係は 人間どうしの関係だという大前提からして そうだと考えます。実際には 現在 金銭での弁償や援助で ことは済ませられるということでしょうか。共同体の回復の問題にもなりますね。 * 霊媒師のことは 分かりにくいですよ。わたしにも むつかしいです。
primeapeです。 A12のお礼ありがとうございます。 日本人の場合人生の円熟に達するとまだ西洋のようにはなっていないと思います。 その代わり盗み放題のデーモン現象が横行します。 これは昔からそうでしょう。 利害の調整もお金の話と同じく苦手な話です。 何故お互いが満足できるようにならないのでしょうか。 分かち合う精神に、そのつど神々の承認を得なければならない幼さにはどうやら返れそうにありません。
お礼
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 これは 意外でしたね。世間の行き方からは自由な 超然とした姿勢を見せておられたと思ったのですが。 アダム・スミスの言うことは これだけではないと思いますが――と言いますか 世間の行き方に譲歩して 言っていると思いますが―― 要するに いわゆるギヴアンドテイクですよね。 これよりも 日本のならわしは 悪いのですか。疑心暗鬼なのかどうなのか 取引に際しては いつ欺かれるか分からないというような情況を 見ておられますか。 ううーん。 ひとつには 力関係だと思いますが。 ★ 何故お互いが満足できるようにならないのでしょうか。 ☆ の回答としてはです。 ギヴアンドテイクよりは もっと リベートなどの尾ひれがついて 取引が交わされると思っていたのですが。 回答があったように 一般にどこからも 商品にしても 取引のあり方にしても 支持を得るという問題なのでしょうか。 それほど 深刻にならなくてもいいですよ。つねに 相手のある話ですし。
「所有」は人間に不可能なんです。 なぜ不可能なのかというと、 所有には保存の義務と責任が伴うもので、 自然や肉体や物品、精神等、何でも人間が管理して置けるものでなく、「形式的な関係」という概念なだけだからです。
お礼
miko-desiさん ご回答をありがとうございます。 そうですね。たとえば 国民栄誉賞など名誉は かなり独自のもので その人の身についてまわりますね。そういう場合 逆に 所有すると言う必要がないようです。 著作品のばあい これも ことさら 所有すると言わなくとも また 実際に原稿などを身の回りに置いて管理していなくても ある程度 その人に属していますね。 モノは そうは行かないというようなことでしょうか。 占有していないと 所有権を主張しても だめな場合が ありますかね。貨幣などは そうなのでしょうか。何枚かあって通し番号だとわかる場合もあるのですかね。 まぁ 相続という手もあって 所有権は 個人のものとしてある形が かなり 制度としても 確立し 管理されているようですが どうなんでしょうか。現在では 国などが その権力(権限)によって 土地などを収用するという場合も 規則がきちんと定められていて 財産権は 守られているようですが。逆に どこかの国では 国家の と言いますか 政府の力が強く 比較的にかんたんに 収用される場合が あるように思いますが。 ちなみに ★ 肉体・・・精神・・・ ☆ までも挙げておられますね。これは ちょっと どうでしょうか。まぁ うつろい行くものとして 限界があるという方面のことをおっしゃっているのでしょうか。 話が飛びますが 企業の中で ある程度 複数の同僚らと共同して研究していて 特許をとるような発明を為したというとき その最終の仕上げを果たした者が 一定の報酬を得るということなのでしょうか。 ★ 「形式的な関係」 ☆ として 複数の人たちのあいだで どこで どういう線引きをして 確定するのでしょうかね。 ★ 不可能 ☆ という言葉は ちょっと きつい と言いますか 言いすぎのようにも思いますが。
primeapeです。 お金の話になるといきなり私自身くるくるパーになります。 >貧困を病に例えるなら脳死状態の患者を無理やり延命させるような社会保障を求めることになります。具体的には金銭をいくら与えても無駄で自由を束縛するつもりで施設を作って入れることになります。 「脳死」とは唯脳を知る私には的をえたたとえです。(残酷じみていますが)(ANo.9) これなんですがテレビで見たところによると大阪府では実際にこんな善意の強制収容所を作ってうまく行ってないようです。 実例を元に引き合いに出したのですが、お金の問題にまつわる苦痛の話になると本当に難しい。 欲望の話とお金の話は別にして豊かさについて語るのがいいんですが自分でかんたんに軌道修正できなくて困り果てています。
お礼
primeapeさん 補足要求ということで 探しますが なかなか いい材料が見つかりません。 たとえば 次のアダム・スミスの文章について 思うところを述べてください。何でも構いません。というのは どうでしょう。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 文明社会では 人間はいつも多くの人たちの協力と援助を必要としているのに 全生活をつうじてわずか数人の友情ををかちえるのがやっとなのである。 ほかのたいていの動物はどれも ひとたび成熟すると 完全に独立してしまい 他の生き物の助けを必要としなくなる。ところが人間は 仲間の助けをほとんどいつも必要としている。 だが その助けを仲間の博愛心にのみ期待してみても無駄である。むしろそれよりも もしかれが 自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ そしてかれが仲間に求めていることを仲間がかれのためにすることが 仲間自身の利益にもなるのだということを 仲間に示すことができるなら そのほうがずっと目的を達しやすい。 他人にある種の取引を申し出るものはだれでも 右(上)のように提案するのである。私の欲しいものを下さい そうすればあなたの望むこれをあげましょう というのが すべてのこういう申し出の意味なのであり こういうふうにしてわれわれは自分たちの必要としている他人の好意の大部分をたがいに受け取りあうのである。 われわれが食事をとるのは 肉屋やパン屋の博愛心によるのではなく かれら自身の利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは かれらの博愛的な感情にたいしてではなく かれらの自愛心にたいしてであり われわれがかれらに語るのは われわれ自身の必要についてではなく かれらの利益についてである。 (国富論 1・2) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いつから こうなったのでしょう。これで いいのでしょうか。日本人は こうは なっていないでしょうか。
primeapeです。 些細なことですが少し反論。 >つまり 《ばかは 選挙権がないと 自覚すべきである。あきらめなさい》という論理です。ちがいますか? コトがお金の話になると誰もが自己防衛を含めて(内心では)無秩序な奪い合いが生じます。 私ですらそれに感化します。 無法状態です。 選挙権はお金では買えないの意味ならば正しいでしょう。
お礼
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 貧困を病に例えるなら脳死状態の患者を無理やり延命させるような社会保障を求めることになります。具体的には金銭をいくら与えても無駄で自由を束縛するつもりで施設を作って入れることになります。 「脳死」とは唯脳を知る私には的をえたたとえです。(残酷じみていますが)(ANo.9) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この文章について その内容を問うたものです。 ☆☆ 《ばかは 選挙権がないと 自覚すべきである。あきらめなさい》という論理ではないか。 ☆ というのは 《脳死患者や 困窮者を 厄介者扱いして 収容所において管理する》という思想ではありませんかというものです。 ★ 選挙権はお金では買えない ☆ とは 別のものです。
primeapeです。 A9はたしかに脱線していました。 そして反論はもっともだと思います。 私も貧乏人なりに秩序に烏合していますのでそうでないものに残酷すぎましたね。 お金に話にはうんざりしています。 なくても幸せで入れるはずです。 そして乱暴な愚痴おこぼしてしまったようです。 配分のバランスについてですが私は小売店に勤めていますから付加価値のつけ方が仕事そのものです。 同じ商品を高く値入しているから売れないとは限りません 配分に関しては価値は合意の上で決まっていると思います。 高くつけた付加価値が自分のものになるわけではありませんが社会が高度化して複雑だからだと納得しています。 ここまで書いてきづいたのですが「富」をお金のみになぞらえるととたんに奪い合いになります。 お金にまつわる欲望が今回の話を難しくしていると思います。
補足
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 たぶん 大企業から出来るだけ税をとって 弱者の社会保障に充てなさいという主張に対して 批判の矢を向けておられるのだと思います。 ★ 「富」をお金のみになぞらえるととたんに奪い合いになります。お金にまつわる欲望が今回の話を難しくしていると思います。 ☆ 少々えらそうに言うならば――というより いつも わたしは 偉そうに言っていますが―― だからこそ 哲学の徒は 冷静に合理的に 人びとの気持ちにも配慮しながら この問題を語らなければなりません。ほかの経済学者やジャーナリストに 任せる部分は任せつつ この基本的な理論については 第一人者を自任していかなければならない立ち場にいるのではないでしょうか。 今回 こういうことを思い浮かべました。 ★ 配分に関しては価値は合意の上で決まっていると思います。 / 高くつけた付加価値が自分のものになるわけではありませんが社会が高度化して複雑だからだと納得しています。 ☆ 鉄鋼の原材料――鉱石などですか――が 世界的に値を上げていて 鉄鋼会社は 製品としての鋼鉄の価格を それに応じて 上げてくれと 自動車会社などと 談判しています。だとすれば 従業員は 労働組合としてであるかどうかを別として 給与の改定を 会社と交渉します。 つまりは 一般に 生活の基礎的な費用が値を上げてくれば 交渉しようと考えても 不思議ではありません。ふつうのことです。ただ 消費者は 一般に 談判しようにも その相手が 必ずしも決まっていません。泣き寝入りさえ ふつうのことのようです。 すなわち 分配ないし配分は あるいはそして《所有》は 社会の隅々にまでわたって 互いに 関係しています。現代では 世界をその範囲として 構造的であり 静止的ではなく 過程的であり 動態です。 もし この経済活動にかんしても 社会の共同自治によって かじ取りをしていける要素があるとすれば そのことをも 考えていくべきです。自由な活動にゆだねるとすれば もうそこには手を出せませんが それでも むろん 事後的な処理はきちんとしつつ 再秩序化をおこなって行かねばなりません。 このとき 所有行為という自己の生活の一側面 所有行為としての各自の自己表現 これは どのような概念として捉えることが出来るか これを問うています。現行の概念を もはや どうにも 変えることは出来ないものか。 ★ 社会が高度化して複雑だから ☆ ということに 間違いはないのですが。 もっとも汚い裏切りや離合集散や金で釣ったりのしわざが横行する政治の世界にかんして 《政治は 最高の道徳だ》というのであれば 《金の話は 最高の哲学理論だ》ということになりませんか。 一人ひとりの信念 信仰の問題が ここでこそ もっとも深く問われています。
primeapeです。 A8について言葉のすり合わせ。 普通私のような生活は貧乏生活でなく、望んだつつましい生活と言うのでしょう。 でも私は貧乏人を気取るのが好きです。つつましさを公にするとそれにすらねたみが集まります。 困窮者とは所得があるなら単に金遣いの荒い人、浮浪者じみているなら無政府主義的反社会性に自らが自滅した人の実例を知っています。 >神々の演出した調和の理想世界に生活しているような気分になります。 正確には、 神々の演出した調和の理想世界に生活しているような幻想を抱きます。 私自身は霞を食べて生きているようなところがあります。 貧困に対する社会的救済はほぼ終わっています。 この日本社会でも未だに餓死者が出ますが、貧困を病に例えるなら脳死状態の患者を無理やり延命させるような社会保障を求めることになります。具体的には金銭をいくら与えても無駄で自由を束縛するつもりで施設を作って入れることになります。 「脳死」とは唯脳を知る私には的をえたたとえです。(残酷じみていますが) 欲望をどこまで満足させれば豊かさを実感できるのか。 これは先進国共通の課題ですが、あまりにも不毛です。 私は経験的に試しつくしていますが、欲望は感情を翻弄することはあっても感情そのものではありません。したがって情動の影響を受けなくて満足を知る由もありません。 欲望を根絶するコツはただひたすらに知性的であることで、それにより欲望の付け入る隙がなくなります。 唯脳的防衛(予防)手段でそれを達成した私ですが、欲望とは幻であり自らが判れば自然消滅します。 唯脳的防衛手段とは欲望にかぎらず、間違い全般を脳の伝達物質(ホルモン)の伝達異常に還元して化学的に究明することでして、無意識が一人歩きして知解に頼らず研究し尽くすことです。この成果は説明も公表も要りません。無意識は(私の主張では)心として個体を超えてつながっています。こんなことを研究しているので世俗的幸せを後回しにしても張り合いがあります。 話は変わりますが、brageloneさんの日本人論を完成させるには信仰を表ざたにしない日本人特有の気質の内面には確かな信仰が息づいているのを了解してもらうのが近道です。 この場合私ですらもはや何を信仰しているのか自覚できなくなったことが確かな証言で、何を信じているかは問題にしないほうがいいでしょう。 もう1つ、 >二つの道があると思います。(1)この分配の仕方を変える。(2)分配の仕方はそのままにして 寄付をつのり 基金をつくって そこから 必要とする人に援助をする。 おそらくはよくご存知で言っておるのでしょう。 後者は西洋的な弱者の救済法でその場しのぎになるかどうかすら疑わしい自己満足です。 前者は日本人の場合その日本的な心の本質を誰もが自覚することで、仕組みを変える必要がありません。(少し軌道修正するのみ) 社会制度をいじって試行錯誤するやり方はこの社会ではあまりなじんだためしがないのではないかと思います。
補足
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 誤解・行き違いがあったようです。 前回 わたしは ☆☆ たぶん 自己表現のために あるいは いわゆる自己実現のために 社会で働きたいし 活動したいという場合に 所得の用意も必要である。というのが あるように思います。もし 困窮者と呼ぶべき人々がいないのだとすればです。(No.8お礼欄) ☆ と述べています。《困窮者と呼ぶべき人々がいないのだとすれば》ということです。いなければ いいのです。それとは別に 所得の概念を考えるとすれば どうかというのが 質問の趣旨です。ですから これも 考える必要がないというご意見であれば そのように受け取ります。 《タマス / カンダラ》の事例が 質問を 別の方向に 誘導したようですが 趣旨のあたまには はっきりと ☆☆ 私的所有という概念および形態を揚棄しうるか? これが 質問です。 ☆ と書いています。くどいように弁明につとめますが ☆☆ 所得の《分配》うんぬん ☆ について書いたのは あくまで ★★ 「配分」が曲者ですがそこで争っては全てがぶち壊しです。(ANo.8) ☆ という言明に対して 応答したものです。 (ちなみに 配分つまり再分配は 租税による一種の基金集めとその使い道として 行なわれています。社会保障とその他の配分 あるいは 国と地方との割合など どういうふうに 使い分けていくかは 大いに 争われていますよ)。 (もう一つちなみに 分配は 会社内部での給与体系だけではなく 一般的なことすべてにかかわります。川上から川下までの 原材料から最終製品までの 各段階での企業間の価格の取り決めや あるいは 最終商品の価格の決め方 これらにかかわります)。 〔あるいはもっと言えば 商品の安全性や品質 アフターケア(事後処理) そして 外部の環境を破壊してはいないかの問題などなども 分配のあり方にかかわるでしょう〕。 ★ ねたみ / あるいは 欲望ないし豊かさの実感の問題 ☆ これらは 軽視してください。 ★ 貧困 ☆ は 直接の課題ですが それにまつわる感情の問題は 別の筋としてあって その限りで かかわるかも知れないと取ってください。この質問に関してです。 今回のご回答で いちばん問題を引き起こすと思われるのは ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 貧困を病に例えるなら脳死状態の患者を無理やり延命させるような社会保障を求めることになります。具体的には金銭をいくら与えても無駄で自由を束縛するつもりで施設を作って入れることになります。 「脳死」とは唯脳を知る私には的をえたたとえです。(残酷じみていますが) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここです。単なる《たとえ》ではなさそうなので 議論を呼ぶところでしょう。こういう趣旨になりませんか? つまり 《ばかは 選挙権がないと 自覚すべきである。あきらめなさい》という論理です。ちがいますか? すなわち 所有は わたしただ一人の個人に 絶対的に 属するという考え これを 問うています。もし問う必要がなく そのとおりだとすれば たしかに 弱者に対しては 《救済 / ほどこし》という考えで 臨むことになるでしょう。そうではなく そのような所有の概念が まちがっていないか という問いを立てています。 ★ 西洋的な弱者の救済法 ☆ とおっしゃるところの問題です。 間違っているとすれば 弱者の存在というのは 強者・健常者に対して その間違った考えを問い直してみなさいということを伝えようとしていませんか? 健康保険や 老後の暮らしの保証としての年金 これらも 所有という問題なのだと思います。そういう意味での相互扶助ですね。(病気をしないし 老後の資金も自分で貯えたという人びとは 保険料の払いすぎということにもなるでしょうから)。 たぶん 《タマス / カンダラ》の話が 別の方向へ 議論を誘導した部分があったようです。あらためて ご回答をお寄せくださると ありがたいです。
primeapeです。 人間は豊かさを志して食べていく必要以上に生産活動をしていますよね。 この「冨」の獲得を目指した生産活動には、やはりそれぞれの働きによって配分の結果手元に残った個人所有が必要でしょう。 「配分」が曲者ですがそこで争っては全てがぶち壊しです。 日本人を自覚する大人なら日本の社会が社会主義体制の国以上に平等に近いことを心得ていると思います。ところがこの日本社会にも貧しさに痛みを訴える方が沢山います。私は世俗的幸せの追求を後回しにしたままの貧乏人ですが、日本に住んでいれば社会の豊かさの恩恵を十分に受けられて貧乏が苦しいことが納得できません。平等の意味を取り違えて他人の生活をねたむ気持ちを内在したまま神々の演出した調和の理想世界に生活しているような気分になります。
お礼
primeapeさん ご回答をありがとうございます。 ★ 日本に住んでいれば社会の豊かさの恩恵を十分に受けられて貧乏が苦しいことが納得できません。 ☆ であれば 何も言うこともないと思います。そうですね。ただ ほかには ★ 平等の意味を取り違えて他人の生活をねたむ気持ちを内在したまま ☆ という場合があるのだというのであれば 全体として 二つないし三つの所得層にのみ分かれるとおっしゃっていることになりませんか? つまり A. 出世し得た上層もしくはその子孫 B. 中下層だが じゅうぶん 恵まれていると感じて生きている人びと C. 中間層もしくは下層の者が 自分より上の所得層の人びとをねたんで その気持ちだけで生きているという場合 ☆ たぶん 自己表現のために あるいは いわゆる自己実現のために 社会で働きたいし 活動したいという場合に 所得の用意も必要である。というのが あるように思います。もし 困窮者と呼ぶべき人々がいないのだとすればです。 ★ 「配分」が曲者ですがそこで争っては全てがぶち壊しです。 ☆ 二つの道があると思います。(1)この分配の仕方を変える。(2)分配の仕方はそのままにして 寄付をつのり 基金をつくって そこから 必要とする人に援助をする。 ★ そこ(分配の段階 または それに相当する段階)で争って ☆ と言いますか 方法を議論し施策をおこなうことになると思うのですが。 十分に潤っていれば たしかに必要ないとも思います。 あるいはまた食品や住宅や すでに回答を得ているように 偽装商品の問題もあり 安心して 経済生活を送るための施策も 必要ではないでしょうか。それには 《所有という行為》とは どういう事態か これについて 共通の考え方をかたちづくっておくのもよいと考えます。いかがでしょうか。
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お礼
qsxdrfvgyhさん ご回答をありがとうございます。 むつかしいですね。と言いますか もともと むつかしいのでしょうね。 ★ 制度や組織を支持できる仕組み造りができたかどうか ★ 支持できるように制度設計する。 ★ 支持できない制度は崩壊するだけです。 ☆ けっきょく 《制度や組織》と言うのは 企業内外の経営にかんする事柄のすべてなのでしょうね。やや思い入れをしたかたちで 《勤勉志向》は その土壌といったところなのでしょうか。したがって ★ だから、その設計者は、すばらしいと思われます。 ☆ というのは こうなれば むろん 土壌たる従業員(あるいは 仕入先なり得意先なり 結局は 最終消費者なり)の支持を得て組織を動かす経営執行者・中間管理者を含むということでしょう。 たしかに そうなれば 《所有》ということは 企業内外にわたって 総合的にして かつ 動態の過程であると捉えられて来ます。 《関係的所有》という側面も 現われているように思われます。法律条文に規定されていなくとも 《ならわし(エートス=人間類型)》の中に 刻まれているとさえ 思われて来ます。 ということは やはり 人間の問題に ひとつの筋としては なってくるようです。 少しづつ 歩んでいけるようです。 ちょっと 我田引水なのでしょうが さらに 行けるところまで この所有の思想にかんして 広くみなさんともども 進めてまいりたいと思います。