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座禅についての質問です
最近数名の人に君は座禅をやった方が良い 向いている、と言われました 或る人には少林窟といった場所を進められました 調べてみると座禅を一日八時間一週間するみたいです そこで素人の疑問なんですが そもそも一日八時間も座禅、瞑想は出来るものなんでしょうか? そこは足を崩しても良いそうなので肉体的な意味ではなく精神的な意味で そしてそれをやって何かを得ると思うのですがそれは何なのでしょうか? その進めてくれた人には「君は早いと思うよ」と言われましたが何が早いのか分かりません 俯瞰で自分を見れたり、とか心穏やかに過ごせるようになるとかなのですか? 詳しい方お願いします
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こんばんは gaituさん ど素人が回答します。(^-^) 文章からすると、虚無主義に嵌りかけているようですね。 私はお釈迦様は知彗に目覚めたとおっしゃったと思います。知恵と言う意味だけではなく、自然は諸行無常だけれども、お互いに関わりあっている=「縁起」があることを認識しなさいということです。 人間はこの世界を正しく認識できているかというと、いい加減にしか認識していないということです。五感の認識能力は限られた範囲ですから。 例えば、リンゴ一個とは何かと考えると、 大きさもいい加減だし、色、匂い、形、鮮度、甘味、何一つ同じものはないのです、しかし、人間は自分の過去の記憶に従い決めています。空想のリンゴ一個を。 人間の認識は、経験による記憶の部分が多いということです。 人間は、過去の記憶により物事を観てしまっている。真実は良い面と悪い面が共存したものであるということです。 人間の苦しみは四苦八苦、自分の思うようにならないと思うことである。 何故か? 悪い面だけを観ているからであると。縁起を考えて真実を見つめなさい。 そうすれば、自分の気持ちが楽しい時には何でもよく見え、自分の気持ちが落ち込んでいる時には何でも悪く見える。のに気がつく。 貴方が子供の時、無心に楽しいことに熱中したでしょう、人間はそれでいいのだとおっしゃったのです。 何故なら、無心に楽しむ者には、共に楽しむ者しか近寄ってこないからです。お金儲けしようと思わないからです。 例えば、貴方が事業を起こし経営者だったとします。お金儲けしようと思う場合。 事業が上手くいくとき時は、誰もが働いてくれていると思い、悪い面を考えないでしょう。反対に事業が上手くいかない時は、良い面を考えないでしょう。 しかし、世界は以前と何も変わらない法則、諸行無常であり、「縁起」で成り立っているのだと。知恵を使い考えなさいと。 世界を何時も、無心に正しく認識できれば、全ての「縁起」に従い、良い面を優先して、悪い面を排除できるということ。 また、他人の能力を正しく認識できるようになると、人間は善悪を対として持った存在なので、貴方の良い面を引き出してくれる人が為になる人間だと。 正しい認識で、自分が楽しく生きていけるように物事を判断をしてください。甘い言葉に裏があり=悪だくみ、きつい言葉に裏はない=感情のまま。(笑い) >最近数名の人に君は座禅をやった方が良い向いている、と言われました >そしてそれをやって何かを得ると思うのですがそれは何なのでしょうか? 子供の時のように、無心に楽しいことができないなら、自分が物事を正しく認識できるように心を落ち着かせて、それから物事を判断して行動しなさいということ。 >「君は早いと思うよ」 貴方は人生で思うようにならないこと(生老病死)に、まだぶつかっていないでしょう。だから、石橋を叩いて渡るような小心者にはなるなということ。 どんな人にも、自分が思うようにならないと思う時は来ると云うこと、まぁ、悪い面だけ考えると云う空想。 >俯瞰で自分を見れたり、とか心穏やかに過ごせるようになるとかなのですか? 以上のことを認識できていれば、苦境に陥り、自分以外味方が誰もいなくても、切り抜けられるでしょう。まぁ、死ぬ時は誰でも死ぬんだけれど。(笑い)
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- urigadai2013
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若いときに鎌倉の浄妙寺というところの禅の専門道場で、半年間でしたが禅の修行をしたことがあります。 当時は鈴木大拙の英文の禅の本が世界的にブームを起こしている時で、多くの外国人が来日して禅の修行をしており、私どもの禅の道場にも多くの外国人がいました。 師家は故・安谷白雲老師、大正・昭和の名僧・原田祖岳の遺鉢を継ぐ人で、曹洞宗と臨済宗の良いとこどりという感じで、座禅は面壁と言って、壁に向かって座り、公案と言って悟りを追求するものでした。 ご存じのように曹洞宗の祖・道元は「只管打坐」といって、座ることがすなわち仏といい、悟りを求めるのは邪道だと言った人です。 その点、臨済宗は公案を用い、悟りを求めます。 私の場合、趙州の「無字の公案」をいただき、追求しました。 「無字の公案」というのは姿・形のない文字を見てきなさいという問題です。 そのほかに白隠禅師の「隻手音声」という公案もあります。 片手で鳴る音を聞きなさいという問題です。 「禅の公案」というのは、たいてい無理難題です。 合理的に考えたのでは解けない問題ばっかりです。 私の場合、泊まり込みではなく、通いでしたので、朝の9時から昼食をはさんで夜の7時頃までの8時間くらい、毎日座禅しました。 昼食後、1時間ほど老師から「提唱」と言って、テクストを使って講義がありました。 その時は臨済録をテクストに用いました。 25分間座禅すると、5分間、「経行(きょうきん)」と言って、方丈の中を合掌しながら、歩きます。 足がしびれるので、足慣らしのためです。 午後に「参禅」と言って、老師と一対一で、禅問答をするために廊下で並んで待ちます。 老師から鈴の音がすると、座敷に向かい、老師と面と向かって、禅問答をします。 私の場合、初心者だったので、主として座禅の仕方について教わりました。 前置きはその位にしてあなたの質問に答えましょう。 私の場合、修行僧ではなかったので、1日8時間しか座禅しませんでしたが、修行僧だったら、朝の5時頃から夜の8時ころまで、ずっと座禅です。 だから1日12時間以上は座禅します。 まあ、その間、掃除をしたり、時には托鉢にも行くから、ずっとそうではないけど。 それと修行中は喋ることは一切禁止です。 修行僧同士で喋ったりすることも滅多にありません。 本を持ち込むことも禁止。 そして禅は瞑想法ではありません。 なにも思わないことだから。 そして禅は何かを得るためにするものではなく、逆で、すべてを捨てるために行なうものです。 無になるため、一切を捨てるため、考えるということもやめるためです。 「君は早いと思うよ」という意味が、悟りを得ることを意味するならば、悟りを得るためにはたいていの人でも、10年はかかります。 しかも、出家して1日中座禅に専念してです。 出家しないと悟りを得ることは難しいです。 鎌倉で、毎年、12月8日から1週間、「臘八接心」と言って、朝の4時頃から、夜の9時ころまで、ずっと座禅三昧で悟りを求める座禅会が催され、全国から数百人の修行僧などが集まるといいますが(現在もやっているかどうか知りませんが)、それでも悟りを得る人は1人か、2人だと言われています。 とにかく悟りを得るというのは簡単ではありません。 出家しなかったら、まず無理だと思います。 昔は三島の龍沢寺に禅の専門道場があり、故・山本玄峰老師が有名でしたが、今もやっているかどうか知りません。 全国に何か所か禅の専門道場があるとは聞いています。 だけど禅はただ座禅をするだけではダメで、立派な師家につくことが肝心です。 師家について、師家の指導を仰ぎながら、参禅し、禅問答を行なうこと、それが必要なことです。 健康法として座禅をする人がいますが、それはそれでいいと思います。 だけど悟りを求めようとしたら、ちゃんとした師家につくことが必要です。 そして出家すること。 出家して禅の修行をして、最低でも10年間は坐禅に専念すれば、悟りを得られるかもしれないし、もしかしたら悟りは得られないかもしれません。
- titelist1
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座禅に意味や目的があってはならないのです。その意味で質問の「何かを得ると思うのですが何なのでしよう」との質問は当たらないのです。座禅に何かを期待する心もよろしくありません。 ひたすら座禅をするには自分自身を信じる気持ちが必要です。自分自身を信じる気持ちは「本覚」と言われるもので、人の本性は修行によって覚醒されると考えるのです。仏陀が悟りを開いた姿を目指しているのです。この考えは曹洞宗の道元によるものですが、少林窟もその流れを汲むものです。 私は自信が無いので座禅はやりません。座禅で気付いた迷いを自分で取り除ける自信が無いからです。「本覚」には早い遅いはありません。座禅の修行によって覚醒できる能力が備わっているかどうかです。道元は若くして臨済宗の栄西に学ぶが、26歳で中国に渡り曹洞宗の如浄から禅の真髄を学ぶのです。
お礼
はい ありがうございます ここでの回答でただ座禅をやってもしょうがない、師匠の説法を聞いて考えないと~というのがありましたが、これは逆ですね 後は自分で試してみるのがよさそうですね
- 雪中庵(@psytex)
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1.人はふだん、社会の中で多くの情報に流されて生きている。 その流れを断ち、自分の感性で考えられるブランクを生む。 2.人は目の前のものも、見えているようで意識していない。 見ない事で、見えていなかった事に気づくきっかけとなる。 (それは座禅でなくとも、黙々と山に登ったりマラソンしたりする 事でも得られる)
お礼
ありがとうございます
- Key_A
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心療内科の専門医に相談するしかなかろうが、おそらく そんな長時間の座禅は無意味です。まず、そんなに 長時間の瞑想は無理です。迷走に転ずるのがオチです。 宗教如何ではなく、一般社会のレベルで考えられるのですが、 欠点を思い起こして反省して、今後の行動に活かすだけのこと。 30分もあれば充分に可能です。 こんなところに投稿するより発言者に真意を問いましょう。 その論理的思考の欠如が、いちばん駄目なところです。 因みに、仏教の祖である釈迦は座禅「だけ」ではダメだと この修行法を中止しています。
お礼
宗教如何ではなく、一般社会のレベルで考えられるのですが、 欠点を思い起こして反省して、今後の行動に活かすだけのこと。 30分もあれば充分に可能です。 これはもうやっています あなたはきっとそれで満足しているのですね なら話しは合わないですね
- hanashika
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いままで、足を崩してTVを見たりスマホをいじっていた生活からいきなり一日八時間、 座禅や瞑想が出来るなんて考えるまでもなく無理でしょうよ。 少林寺拳法というのがあるのですがそこでやった経験ではせいぜいもって30分、 これが以外に長く感じてキツイのなんの!、ww 修行僧でもなれば凡人には務まらないと悟った次第ですがな~・・・ 観光で京都の寺院でやってるようですが、あれってどのくらいの時間やるんですかね~? が、8時間は別としてそういう時間もたしかにこの忙しい現代では必要ではありますね。 しかし、どういういきさつであなたが「座禅に向いている」と言われているのでしょうね? ・普段から落ち着きがない ・おっちょこちょい ・誰彼かまわず突っかかる ・周りの空気が読めない ・とにかくよくしゃべる ・クチから先に生まれたんじゃないのと冷やかされる などなど、ほかの人と一風変わった持ち主ですかね~? そういう事ならやんわりと「あなたは座禅に向いている」と言わしめているなら納得です。w
お礼
どう考えようがあなたの自由ですが私の求めてる回答では無かったです それは失礼な回答に入ると思うのでこれからは少し考えてから回答してあげてください、他の人のためにも
お礼
ありがとうございます 参考になりました