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死ぬのは苦しい?片頭痛で悩む私の疑問と恐怖
- 死ぬのは苦しいのか?片頭痛で苦しむ私が疑問に思った
- 片頭痛の苦しさと死ぬときの苦しさの関係に恐怖を感じる
- 精神的な苦痛ではなく、肉体的な苦しみがあるのか気になる
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死に方によるでしょうね。 馬の安楽死とか、お注射1本で苦しまずに逝けるようだし。 楽な死に方はネットで探せばいくらでもあるでしょう。 また、死後に死体が汚くなる死に方もできれば避けたいですね。 洗剤混ぜてでる毒ガスで死ぬと肌の色が人間じゃなくなるし。 発見が遅れてハエ製造機になっても嫌だし。 後処理に迷惑もかけるし。 電車に飛び込むとか迷惑の権化ですね。 輪切りになってもすぐに死ねない時があって苦しいらしいし。 そして、自殺した場所が賃貸なら大家さんも大打撃、 同じ建物の住人も嫌がる。 自分ちでも、家族ももう住みたくなくなる上、売れなくなる。 そう考えるとおちおち自殺もしてらんねーよ。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
私は、病気で、死ぬかと言われたけど、それから50年、生きながらえています。 病気になった瞬間は、こんな痛みなら、高いところから、飛び降りて死んだほうがましだなと思いました。 その思いは、長くは続きませんでした。 医者に行って、痛み止めを打っていただいたら、痛みは嘘のように、なくなりました。 そのあと、手術、痛みがないので、穏やかな気持ちです。 自分でも、死ぬのかなと、思いましたが、怖いことも、苦しいこともありません。 そのまま、目覚め中れば、死んでいたのですから。 3年後にも、死ぬかもと言われて、手術、 最初に比べると、なれてしまって、なんとも思いませんでした。 今までに、一番苦しかったのは、インフルエンザで、高熱でしんどくても、寝ることもできなかったとき、4日続きました。 盲腸の時は、痛くて、最初の日は動くことが出来なくて、次の日に医者に行って手術、 最初の、手術は17才、 それから、多くの人の、世話をして、死を見てきました。 苦しいとか、辛いとかは、生きているからです。 病院にいれば、そんな苦しみは、ひどくにはなりません。 元気な人は、怖いから、死にたくないのです。 体が、高齢とか、病気で弱ってくると、多くの人は、死を受け入れてきます。 人は、長く生きると、幸せとされていますが、 長く生きるのは、精神的にも、肉体的にも、辛いことです。 あなたの、激しい頭痛、と吐き気、私も経験しましたが、 それよりも、インフルエンザのほうが苦しくて、辛かったです。 本気で、死んだほうがましだなと思いました。 私の片頭痛の原因は、肩こりでした。 主に、足のつま先から、腰までの筋肉が固くなっていたようです。 親戚の人に、マーツサージをしてもらったら、嘘のように痛みは無くなりました。 それから、定期的に、マッサージをすることにより、元気に働くことができています。
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
58歳 男性 今まで生きてきた人が突然意識を失います 急変と言う言い方をします 死ぬ間際まで痛いとか思いますが、急変すると意識が無くなります 親父は胃ガンで痛くないと言ってました 亡くなる直前まで話しをしていたそうですが、突然急変し 目は開いてますが、呼びかけに反応しなくなったと母が言いました そして約1分ほどで目を閉じ亡くなりました 死ぬまでは怖いと言う意識はあると思いますが、急変するまでです
その人の生き方しだい。 悪人は苦しむ。 すべて因果です。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
体も心も生きるようにできていても死ぬようにはできていないので大なり小なり苦しいのでは。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、死ぬのはやはり苦しいですか? A、悶絶死もあればポックリもあります。 >一晩、のたうち回って死んだのよ。 >余りに苦しみ暴れるのでベッドに縛っちゃった。 >朝、ちょっと熱が出たのでタクシーで病院へ。 >着いたら意識を失って、そのまんま逝っちゃった。 前者は、知人が劇症肝炎での死んだ時の話。後者は、後10日で101歳を迎える筈だった祖母の最後。つまり、悶絶死もあればポックリもあるってことです。 なお、父の妹の旦那さんが糖尿病で失明し寝たきりになっての一年間。あれは、悲惨だと思いましたね。 また、父の妹は、白血病を患って最後は氷の欠片だけで一ヶ月を過ごしました。 >氷の欠片だけの毎日だが幸せだよ。 >葬儀の段取りもちゃんとしてくれたし。 >感謝!感謝! そういう父の妹。周りは、「そう、よかったね!」とは言うものの、確実に死に向かっている姿は見ていられませんでした。 >今日で命も尽きたな。 そう言った日の夜。看取るべく一晩付き添いました。時々、心電図が乱れては平坦に。それを繰り返すようになって6時間。ようやく、朝がやってきました。看護婦さんが持って来た暖かいタオルで顔を拭いてやりました。すると、父が目を開けて合掌。「ありがとう!」と言ったように思いました。「よう朝まで頑張ったね。もう、休まんね!」と私。これが最後の会話。周囲から親戚も消えました。 >臨終の際にはお医者さんが来るし邪魔だから控室にいるけんね! どうやら、みんなは「もって1、2時間」と知っていたようです。なんせ、母の妹の娘が看護師として隣室からモニターしていましたから・・・。その情報は、伝わっていたようです。 >ただごとじゃーないぜ! >今から病院に行こう! 「大丈夫!」という父を説き伏せて病院へ。それから、飲まず食わずで一週間。点滴だけでの生活でした。まあ、その一週間は、本人にとっては苦しくて長い7日間だったと思います。必死に酸素吸入器を外そうともがいていましたから・・・。答えは「悶絶死もあればポックリもあります」ですが、90%は苦と戦いながら死を迎えるというのが避けられない現実だと思いますよ。
- agehage
- ベストアンサー率22% (2753/12075)
前回死んだ時は病院で麻酔も打ってもらってましたのであまり痛くなかったです 戦争で死んだ時は死んだのが気づかないくらい一瞬でした あの世で知り合った方の中は、高齢一人暮らしで苦しくても誰もいないなか孤独死したのが一番辛かったと言ってましたね みんな頷いてました