ソ連抑留
私の祖父は第2次世界大戦の時、満州で兵役についておりました。
祖父が終戦を知ったのは、日本が無条件降伏してから2,3日経った後だったといいます。
祖父は戦争当時のことをあまり話さない人でした。
しかし一度だけ話を聞く機会がありました。
満州で兵役に就いていると時に、いきなりソ連軍が攻めてきて、上層部との連絡はほとんどとれない状態だったといいます。
「夜になるとソ連の飛行機が飛んできた。
轟音を響かせ、暗闇の中を飛んでいた。
こちらは飛行機が何処を飛んでいるのか解らず、解ったとしてもまともに反撃でできなかったため、ただその飛行機が通り過ぎるのを祈るだけだった。
夜は何日もまともに寝ることができず、朝になれば猛烈な攻撃が始まり、地獄だった。」
その後祖父はソ連軍に捕まり強制連行され、強制労働に従事しましたが、運良く数年で日本に帰ることができました。
話が終わり思ったことを質問すると、続きを話してくれることはありませんでした。
大戦当時の話を聞けたのはこの時だけでした。
その後祖父は他界し2度とこのような話を聞く機会を得ることができなくなりました。
私は話を聞いた時、ショックを受けました。
日本人がソ連に抑留されたことは知っていましたが、祖父も強制連行させられたことも、当時の”生”の話を聞けたのもこの時が初めてだったからです。
当時の満州、日本、ソ連の国内の状態や国際情勢。さらには何故突然ソ連は侵攻したのか?現地はどんな状況だったのか?抑留された人々がその後どんな人生を送ったのか?その後の日本とソ連の態様。日本は抑留者を知っていたのか?
等どんな些細な事でもかまいません。情報提供をお待ちしております。
皆様のご尽力を賜りたくおねがいしたします。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
ソ連はパイロットや機体の質のより冬将軍の方が強かったと言う事ですか?冬将軍のいるソ連よりフィンランドの方が予想以上に寒く、フィン人自体も寒さに強かったため冬将軍が効かず、むしろあまりも寒さにソ連兵の方がやられてしまい、冬戦争時におけるソ連兵の死因の八割は凍死だったという話を聞いたことがあるのですが。