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日本語学習中の中国人の「のでは」の役割
- 「のでは」の役割とは何か?6つの文を比較しながら解説します。
- 日本語の「のでは」の使い方について理解するため、6つの文を比較して解説します。
- 日本語の「のでは」の役割が分からない方に向けて、6つの文を分析しながら解説します。
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<前提として> 挙げておられる各例文が、「~と思う」「~と判断する」という意味であれば、「考えさせられる」ではなく「考えられる」とするほうが適切です。 「考えさせられる」という表現が間違いというわけではありませんが、今回のシチュエーションには適していない、ということ。 今回の例文は、一般的なシチュエーションと判断し、「考えられる」に書き換えて回答してみます。 なお、この場合の「られる」は可能用法の助動詞になります。 もし、わたしの勘違いでしたら、その旨ご指摘ください。 <回答> まず、 『 3、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではと考えられる。』 ような表現はできません。 「と」は引用の格助詞なので、直前の記述が「独立した意味を持った表現(または語)」になっている必要があります。「出ているでは」というのは、独立した意味を持たない中途半端な表現ですから、3は不可。 次に、 『 4、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではないかと考えられる。』の場合の「ではないか」は、反問・詰問の用法です。 そのため、「~と考えられる」という表現に係ると不自然になってしまいます。 たとえば、『 4、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではないかと(相手の間違いを)指摘したい。』のように使うなら自然です。 C. <1、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えられる。> : #1さんがおっしゃるように、「のでは」は、「(のでは)ないか」が省略されたもので、【確信的な推定】の連語表現です。(準対助詞「の」+断定の助動詞「だ」の連用形「で」+係助詞「は」) 『「こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているようだ」と、ある程度の確信を伴って推定することができる』といったニュアンス。 「のだ(のです)」の場合は、確信的な断定になります。下記の(二)ー(3)を参照。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AE&match=exact&itemid=DJR_no_-050 そこから敷衍して、「のだ(のです)」は、他にも色々な意味で使われます。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AE%E3%81%A0&match=exact&itemid=DJR_noda_-030 準体助詞「の」は、活用語に付いて、その内容を名詞化することで強調的(確信的)に表現するのが基本的な用法、と覚えられると良いかと思います。 「彼はイケメンだ(イケメンです)」という文の場合、「イケメンであることに確信を持っていること」を伝えたければ「彼はイケメンなのだ(イケメンなのです)」と表現します。 <2、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではないかと考えられる。> : 1と大体同じ意味ですが、「ないか」という反語的肯定表現が明示(明言)されているため、推定に対する確信の程度が1よりも強い表現になります。 『こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているようだ、と強い確信を伴って推定することができる』といったニュアンス。 <5、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているかと考えられる。> : この「か」は、下記辞書の【(1)ー3 (「かもしれない」「かもわからない」の形で、または「かも」の形で終助詞のように用いて)不確かな断定を表す】という用法の副助詞です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34861/m1u/%E3%81%8B/ 『こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているみたいだ、と強い確信を伴うわけではないが、そのように断定できる』といったニュアンス。 <6、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ていると考えられる。> : この文には、推定の要素が含まれていないため断定の要素は一番強いと言えます。 『こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ている、と自信を持って断定できる』というニュアンス。 断定の要素が強い順に並べると、6>5>2>1 のようになるかと思います。 例文以外は完璧な日本語になっています。
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- hakobulu
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#2です。 【こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えさせられる】は、「個人主義と集団主義の違いについて考えさせられる」という意味です。 【こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えられる。】の場合は、「個人主義と集団主義の違いが出ているように思われる(判断できる)」という意味になります。 後者の意味が一般的だと思って#2のように回答したのですが、前者の意味でよかったのですね。 失礼しました。 この場合の回答内容は大体、同じになりますが、5の解釈が大きく違ってきます。 また、6の表現は、あまり自然とは言えなくなります。(極めて不自然、というほどではないのですが) 「考えさせられる」の場合、1と2だけが自然な日本語表現、ということです。 重複する部分も含まれますが、「考えさせられる」の場合について、改めて回答してみましょう。 A. まず、 『 3、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではと考えさせられる。』 ような表現はできません。 「と」は引用の格助詞なので、直前の記述が「独立した意味を持った表現(または語)」になっている必要があります。「出ているでは」というのは、独立した意味を持たない中途半端な表現ですから、3は不可。 次に、 『 4、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではないかと考えさせられる。』の場合の「ではないか」は、反問・詰問の用法です。 そのため、「~と考えさせられる」という表現に係ると不自然になってしまいます。 たとえば、 『 4、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではないかと(相手の間違いを)指摘したい。』のように使うなら自然です。 B. 1、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えさせられる。 : #1さんがおっしゃるように、「のでは」は、「(のでは)ないか」が省略されたもので、【確信的な推定】の連語表現です。(準対助詞「の」+断定の助動詞「だ」の連用形「で」+係助詞「は」) 『「こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているようだ」と、【ある程度の確信を持って推定】しつつ、そのことについて考えさせられる』といったニュアンス。 「のだ(のです)」の場合は、確信的な断定になります。下記の(二)ー(3)を参照。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AE&match=exact&itemid=DJR_no_-050 2、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではないかと考えさせられる。 : 1と大体同じ意味ですが、「ないか」という反語的肯定表現が明示(明言)されているため、1よりも確信的な推定の程度が強い表現になります。 『「こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているようだ」と【強い確信を持って推定】しつつ、そのことについて考えさせられる』といったニュアンス。 5、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているかと考えさせられる。 : この「か」は、下記辞書の 【(2)ー7 引用した句の意味やある事実を確かめ、自分自身に言い聞かせる意を表す。「急がば回れ―」「そろそろ寝るとする―」】という用法の終助詞です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/34861/m1u/%E3%81%8B/ 詠嘆のニュアンスも含まれています。 『「そうか・・・。こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのか。なるほどなあ・・・」と【自分自身で詠嘆的に確認】しながら、そのことついて考えさせられる』といったニュアンス。 6、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ていると考えさせられる。 : この文には、推定の語が含まれていないため断定の要素は一番強いと言えます。 『「こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ている」と【強く断定】しつつ、そのことについて考えさせられる』といったニュアンス。 断定(推定)の強さは、「6>2>1」です。 5の「出ているか」は、断定ではなく、「ある事実について詠嘆的に確認する」という用法になるため比較はできません。 これの強調表現が「出ているのか」です。
お礼
何度もご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。例文はよくないと気づきました。おかげさまで解決できました。
>1、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えさせられる。 >2、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではないかと考えさせられる。 この二つは同じです。1は「出ているのでは、と考えさせられる」と書かれることがよくあります。それは「出ているのでは『ないか』と考えさせられる」の『ないか』を省略した言い方だからです。 ただ、1は『ないか』を言わなかったことから、多少のためらいを感じさせる言い方になっており、2より断定性の印象は少し下がります。 あくまでも印象なので、2と同じだと解釈されることも多いですし、2のつもりではなかったと後で言っても、普通は通用しません。 どちらも、「違いが出ている」と考えている、という意味です。 >3、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではと考えさせられる。 この言い方はありません。なぜ言わないかは、私にはよく分かりません。もし言われたら、「「違いが出ている」と考えている」と意味は分かりますが、おそらく「そういう言い方はあまりしませんよ」と言うでしょうね。 >4、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているではないかと考えさせられる。 こちらはよく言います。1、2より「違いが出ている」ことを強く言っています。しかし、考えが強いわけではありません。「違いが出ているではないか」は「違いが出ている『の』ではないか」と1字違いですが、断定性が違います。これも、私ではどうしてそうなのか、説明できません。すみません。 >5、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているかと考えさせられる。 今まで比べると客観的な表現になっています。実は1~4は逆接の「ない」があるのに肯定であることから分かるように、反語的表現なのです。反語的に言うときは、話し手の判断や意思が強く出ます(「そんなはずはない」といったことです)。しかし、この5は逆接がありません。そのため、客観性が感じられ、1~4のように強くは響きません。 なお、6と比べると「出ている『か』と」の『か』は疑問表現に使う『か』で、そのため6より推定の強さが弱くなります。お示しの文例では最も弱く響く、控えめな表現です。 >6、こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ていると考えさせられる。 5とほぼ同じなのですが、上述のように『か』がないので、「違いが出ている」ことについて、あまり迷いがありません。客観的に、かつ適度に断定しているため、報告の結論などでは、最も多用される表現だと思われます。 P.S. ご質問文で不自然なのは、例文3だけです。1字だけの微妙なことですので、あまり気にされなくてもいいかと思います。私たち日本語ネイティブでも、これくらい微妙な言い方のことでは、ときどき同じような言い間違いをします。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろな言い方があって日本語は本当に難しいですね。大変参考になりました。貴重なお時間を割いていただき誠にありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。日本語の文中の「動詞+のでは」、「動詞+のではないか」、「動詞+では」、「動詞+ではないか」、「動詞+か」、「動詞(原型)」という構造を文脈なしに一般論で考えてみたいのですが、難しいようですね。いろいろ参考になりました。
補足
「考えさせられる」と「考えられる」はまた違うのでしょうか。これもよくわからなくて難しいですね。文脈があったほうがよいかと思って補足いたします。池田和子著タイムス出版の『ほんのちょっとした違いなんですが―日常生活の中の日米文化比較』を読んでおります。152ページから引用いたします。件名の文を【】で囲みました。また何かご意見の修正がございましたら、教えてくだされば助かります。「のでは」のニュアンスが気になりました。 「親の関心のなさすぎ、またその逆の期待のかけすぎの両方が入り混じっているところは日米に共通しているが、ここで「あれっ」と思うのは、良心的な親であればあるほど、子どもに対する態度が日本とは違っているのだ。日本の良心的な親は子どもの問題をあたかも自分の問題であるかのように悩み、中には恥じ入る人も多いけれど、こちらでは、もちろん心配し日本の親同様心は痛めるが、親が子どもの問題の責任を背負い込むケースはずっと少ない。日本人的感覚では、「気にならないんですか」と聞きたくなるほど、親が子どもの問題にのめりこむ度合いがずっと低いように思える。【こんなところにも個人主義と集団主義の違いが出ているのではと考えさせられる。】次に高校をドロップアウトした子どもが大人になった時の二つのケースを紹介してこのことを考えてみたい。」