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割符屋の名前。

室町時代、割符と呼ばれる為替の利用がさかんになったそうです。 割符の発行と支払いを専業とする「割符屋」が京都や港湾都市に現れたそうです。 割符屋の具体的な名前(例えば○屋)あるいは経営者の名前を教えてください。 よろしくお願いします。

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  • dayone
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回答No.1

<東寺百合文書WEB>で割符屋とおぼしき名が登場するのは、 兼業か専業かは?で遺漏もあるかも知れませんが、下記のとおりです。 〇京都府立総合資料館 東寺百合文書WEB http://hyakugo.kyoto.jp/ ○[テキスト]サ函/173/ http://hyakugo.kyoto.jp/ytext/13207 (1)サ函173号-1「割符案」文正2年2月7日 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=13208 (2)サ函173号-2「割符案」文正2年2月7日 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=13209 (3)サ函173号-3「割符案」応仁元年12月28日 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=13210 (4)サ函173号-4「割符案」1月20日 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=13211 ○[テキスト]せ函/71/ http://hyakugo.kyoto.jp/ytext/28258 せ函/71/「割符案」(応仁元年)12月3日 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=28258 あと[テキスト]は無いものの、 ○ゆ函/72/備中国新見庄上使乗観祐成・乗円祐深連署奉書案 ・人名/あねの小路と三条との間かさやの四郎三郎/あまさきの大物の一(※四?)郎兵衛 http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=26616 上記から抽出できた割符屋とおぼしき屋号・名は、 「山崎・広瀬/大文字屋」「堺・北庄/備中屋/彦五郎・ひこせつ(?)」 「京・姉小路三条間/かさや(笠屋?)/四郎三郎」「尼崎・大物/四(一?)郎兵衛」など、 (※漢字表記は、東寺百合文書WEB・論文・書籍等を援用※) 桜井英治氏によれば、 「室町期の割符関係の史料は<備中国新見荘─畿内>間の事例が例外的に豊富」とのことで、 「東寺百合文書WEB」に期待しましたが…残念ながら、結局は、 CiNii無料公開論文等で散見される「大文字屋」「備中屋」のほか、 GoogleBooks書籍等で散見される「京・姉小路三条間/かさや(笠屋?)/四郎三郎」 「尼崎・大物/四郎兵衛」など以外の屋号・名を見出せませんでした(><) 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

いつもすばらしいご回答を下さって真にありがとうございます。 疑問の発端は、応仁の乱時、東寺と新見(東寺の荘園があった)の間で情報がどのように伝達されたのか、でした。 (以下、ある本によれば) ふだんは7日間くらいで行けるが、兵の移動や戦いで四国を経由している。 荘園の市場で年貢を売って割符に替え、またその割符の裏づけを京都で行なって銭に替えるという信用に基づく経済行為が当時困難になった。通行時、東軍方の軍勢であれば幕府発行の「過書」が有効。使者は手紙の内容に応答できる能力、賢しく通行できる知恵が必要で僧が多い。 と、ここまでは分かったのですが、「割符」を発行できる人物とは誰なのか、興味をもちました。 お陰さまで具体的な屋号や名前を知ることができました。 名前が分かると、ぐっと臨場感や親近感が湧いてきます。 こんな昔から「屋号」があったのも意外でした。 また、「東寺百合文書」のことは全く知りませんでしたので、いつものことながら、ご教示に感謝申し上げます。

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