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謙信の塩と信玄の遺言
・上杉謙信が武田信玄に塩を送った話は事実ですか? ・武田信玄が死の間際息子の勝頼に「困ったときは謙信を頼れ」と言い残したのは事実ですか?
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武田信玄の末娘の菊姫は上杉景勝の正室なのです。語り草は事実であったと思います。
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- Pinhole-09
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回答No.2
武田信玄が南方よりの塩止めに苦しんだ時、上杉謙信は 越後の塩商人に何も指示しなかったのが真相です。 塩止めしなかったことを、謙信贔屓が美談にこしらえあげた のでしょう。 越後の商人が塩の値段をつり上げ、謙信がそれを止めさせた なら面白いのですが、そいう話もありません。 信玄の死の間際の遺言は知られています。 「なすべき事は成し遂げたが、唯一の心残りは都に旗を立て られなかった事である。 我死んだのちは、三、四年は喪を秘し、四囲の敵に備え、 国内を固め、力を蓄え都に一度は攻め上がってほしい」 という趣旨のもので、謙信を頼れとは言っていません。 ただ川中島合戦後は相手の力は充分にわかったので お互いに戦いたい相手とは思ってはいなかったでしょうから、 世間話の中では、信玄が「謙信は信用出来るやつだよ」くらい の事は言っていたかも知れません。
質問者
お礼
ありがとうございます゜
お礼
ありがとうございます