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オールシングス マスト パスト

ジョージハリスンの有名なアルバムですが、全ての物事は過ぎ去る、という意味でしょうか。私にはこの事実、全ては流れ去るという事実が、癒しであり安らぎに感じられます。 私も何時か死に、皆も何時か死に、この生起と消滅を繰り返しつつ明滅する世界も、全てが流れ去る。という一つの事実は、苦しみであると見られる事もあるようですが、私にはそうは思えません。 みなさんはどのように感じますか? 全ての物事は過ぎ去る、この事に、何を感じますか。

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  • ext1219
  • ベストアンサー率21% (27/128)
回答No.1

僕も癒し、安らぎというか、安心感のようなものを感じます。 何を求めてゆくのかも分からない、多くの葛藤が溢れる世の中が、ただ何となく続くなら、'All things must pass.'と考え、身を委ねた方が楽かなと感じます。

a_hona
質問者

お礼

ですよね。何かピースフルな感じがします。世の中の色んなことが、対等、平等に思えたりします。それでも世の中は一概に対等、平等ではありませんが、オールシングス マスト パスの観点に立てば、そう見えたりします。何かいい感じの、着地点のように思えます。

その他の回答 (8)

noname#214841
noname#214841
回答No.9

「補足」ありがたうございました。 さつそく「会心の一撃」を拝見しました。ダメージを与へない程度の、ほどよい鍛錬といつたところでせうか。a_honaさんらしい文章です。私は、これまで「いざという時に」何度も逃げてゐるので、大きなことが言へません。このページの回答番号1の方はご満足でせうか。 回答番号6「お礼」の、「メインストリーム」で流れ去るのはいいですね。

a_hona
質問者

お礼

いざという時、力にならない自分を見つけてはしょぼいな俺は、と思っております。例の質問に答えるにあたって、色いろ推敲したことも良かったのかなと今は思っています。

noname#214841
noname#214841
回答No.8

>>全ては流れ去るという事実が、癒しであり安らぎに感じられます。 >>みなさんはどのように感じますか? すべては、流れるのですから、一箇所にとどまつてゐては、いけない、といふ意味です。哲学カテゴリだけに安住すべきではありません。 http://questionbox.jp.msn.com/qa8663346.html の回答番号2で、哲学カテゴリに対して「おもしろい回答」のリクエストがありました。出張はいかがですか。

a_hona
質問者

お礼

最近は人間関係カテにお邪魔して、偉そうなことを言っています^_^ 私には哲学知識もさしてないので、そっちのカテの方が合っているかもしれません。 お示しの質問は、回答するのがめんどくさくなるタイプの質問でして、自分とは接点の無い感じがビシビシ伝わって来ます。もしかしたら回答するかもしれませんが、期待しないでください。人間性について語るのは得意ですが、人間性の存在の可否について語るのはしたことがありません。

a_hona
質問者

補足

例の人間性についての質問の回答を四通りも考えたのですが、結局回答するには至りませんでした。面白い回答もあったのですが、投稿する気になれませんでした。何故でしょうね。^^;

回答No.7

 No.5です。  あ_ほなさんのふところが 思いのほか(失礼!)深かったので もう一投を。   ○ ぱんた れい。  ですと これもすべては流れるということだと思うのですが これは 自分のもとへと流れ来るのではないでしょうが 自分のもとから流れ去るということでもないはずなのです。   ○ すべては 流れる。  そしてその流れの中に おのれも入っているかも知れない。人びとみなが入っているかも知れない。  ――といった見方ですね。   ▽ マスト  が いけない。人間の・わたしのハカラヒがすべり込んでいるのが いけない。――こう思いますね。  そういう物言いを 著者に対して言ってやってください。

a_hona
質問者

お礼

懐が深かったのは、私ではなくこの言葉なのでしょう。ジョージハリスンは故人であり、しかも生きていたとしても会えるよすがもほとんど皆無でしょうから、彼に物言いすることは出来ませんが、英語だと、マストは人為を含む言葉になるのでしょうか。外国語は全く詳しくないのでわかりませんが、何かしらの主張であるともとれる文章のような気もしますね。

noname#214841
noname#214841
回答No.6

やさしいa_honaさんらしい「お礼」、ありがたうございました。 >>苦しみもまた等しく流れ去る さつさと流れてくれないと、生きてゆけません。専用バイパスでも製造して、苦しみだけ、どんどん流れてゆくといいですね。a_honaさんは、実行していらつしやるやうですけれど。 >>ポールがお好きですか、健康的ですね^_^ 初期のものでは「オール・マイ・ラビング」のやうな、素直に感情を表現した曲、後期のものでは「レット・イット・ビー」のやうな啓示的な曲、そして、「オブラディ・オブラダ」のやうな楽しい曲も好きです。ジョージ・ハリスンの作つた曲では、やはり「サムシング」です。

a_hona
質問者

お礼

楽しい回答をありがとうございます。 私の場合、バイパスというよりはそれがメインストリームなので、じゃんじゃん流れます。高速道路並みです。^_^ 私はポールの曲だとハローグッバイが好きです。ジョージだと、オールドブラウンシューなどが、渋くていいですね。 私は、音楽を聴くと、音楽と言う薄い壁の向こうに虚無が広がっているような、一種の心もとなさを感じることがあります。音楽が作り出す空気感が、いつも蜃気楼のように追えば消える性質のものだからでしょうか。 ともあれ音楽が好きな事には変わらないのですが。

回答No.5

 こんばんは。  ★ 全ての物事は過ぎ去る、この事に、何を感じますか。  ☆ あいにくですが わたしは 敗北主義という心の片向きを感じます。  どうせ負けるのだから・・・という思いが何ごとにも先立つ思想だと思います。  負けたあとの自慰にも 使われるようにも感じられます。  強い者になびく事大主義なるたましいよりも もっと人間の屑であるように思います。  すべての人に見捨てられたじんるいの屑たるわたしが言うだから マチガイありません。  ――なる回答でしたが あしからずお受け取りください、。

a_hona
質問者

お礼

図星ですね。しかし、当たりは半分と言ったところでしょうか。 何処かやさしいきもちになれるのです、このフレーズを聴くと。。 真の勝者とは何か、についても考えさせられます。 良い回答ありがとうございました。

noname#214841
noname#214841
回答No.4

以前にa_honaさんの音楽の御趣味をうかがひました。プロフィールにもありますね。ジョージ・ハリスンも、その同じ雰囲気がでてゐます。私はこのアルバムは持つてゐませんが、収録曲の「マイ・スウィート・ロード」はときどき聞きます。(ちなみに私は、ビートルズでは、ポール・マッカートニーが好きです。) >>私にはこの事実、全ては流れ去るという事実が、 >>癒しであり安らぎに感じられます。 アルバムタイトルのことばより、まづ、この音楽を聴けば、a_honaさんの見解に同意せざるを得ません。 >>苦しみであると見られる事もあるようですが、 >>私にはそうは思えません。 >>みなさんはどのように感じますか? 流れ去つてゆくのであれば、 「過去」とは学ぶもの、苦しみがあれば、それは忘れるもの。 ジョージ・ハリスンはインド哲学に傾倒してゐましたから、鴨長明やヘラクレイトスをここで持ち出したら、場違ひでせう。インド哲学にくはしくない私はこのくらゐでやめておきます。

a_hona
質問者

お礼

そうなのです、苦しみもまた等しく流れ去る、どこにも区別がない所に、この事実の豊かさを感じます。 それにしても、ポールがお好きですか、健康的ですね^_^ 僕も一番はと問われればポールと言ってしまいそうになります。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

#2の者です。 すいません、先の書き込みに1語抜けていました。 「過ぎ去る過去の悲しみは、生まれいずる未来と 補完的であり」 は、↓が正しいです。 「過ぎ去る過去の悲しみは、生まれいずる未来の 希望と補完的であり」 お詫びして訂正いたします。

a_hona
質問者

お礼

了解です。ご丁寧にありがとうございます。

回答No.2

「全てが過ぎ去る」事よりも、その先にある「自分が過ぎ去る」 =死ぬ事で宇宙そ全てが過ぎ去る事の方が、重大であろう。 しかし、生きる事が愛によるならば、自己の肉体の消滅を 超えた意志が可能であり、他への信頼において死を超えた 先の達成が信じられるならば、限られた人生においても、 充足感は無限に広がり得る。 そこにおいて必要なのは、お金や物の獲得ではなく、逆に 自己の可能性を尽くして社会貢献する=全てを使い果たし ての死だ。 肉体(物体)としての自己(低認識による即物的自覚)と、 宇宙(心)としての自己の間をつなぐものとしての愛。 自我仮説(記憶=時間的流れ)の相補分化としての時空仮説 (予測=空間的広がり)の自覚、即ち、その相補的時空= 自己の必要としての環境の認識や自然環境との物質循環、 社会生命として拡張する自己の生命性の自覚化(お金の ためではなく助け合いとしての社会行動)といった、他我化 (愛による生)こそが、自己存在の本質に根ざした意志に基 づく、「深い認識による生きること自体による充足=最大充 足」を可能にするのだ。 人の生(~進化)において、死による新陳代謝が必須であ るように、過ぎ去る過去の悲しみは、生まれいずる未来と 補完的であり、認識の深まり(宇宙の自覚化)において 超克すべき、生の道標なのだ。

a_hona
質問者

お礼

こんにちは^_^ 余談ですが、サイテックスさんは何故か色んな呼ばれ方をされていますね。いい名前だと思うのですが。 ご回答ありがとうございます。 特に最後の、超克すべき生の道標である、の一文に惹かれました。それまでの文章も、分かりやすく書いていただけたことが伝わります。ありがとうございます。サイテックスさんの文章のキーワードに相補と言うものがあると思います。ともすれば一方的に見て、安易にダウンしたり、逆にハイになったりするのが人間ですが、常にもう片方を見ることで、陰陽のようなバランスのとれた考えができるのだと言うことに気がつきます。

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