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死後の世界に関する疑問
- 死後の世界について疑問を持っています。過去には死への恐怖に怯えていましたが、最近は生に対する喜びを感じることで死への恐怖を克服しました。
- 輪廻転生についても疑問を抱いています。人間が永遠に生まれ変わりを繰り返すことに意味を感じるのか、また、一つの世界で永遠に生まれ続けることが適切なのか疑問です。
- また、死後の世界では己の消滅に対する恐怖がないのであれば、人間界が存続する150億年もその世界で過ごさなければならないのでしょうか?本当に死後は永遠を彷徨う運命なのか不安です。
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>死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖 その「自我」が、肉体的自覚の、即物的価値観であれば、 自己の肉体の消滅は、全ての消失を意味するでしょう。 しかし、意識=宇宙こそが「自我」であるならば、その意識 は“自己の必要として派生している環境=他我”に基づき、 自己の肉体を超越した目的(社会生命的自覚=愛)に至り、 たとえ限られた時間内においても、他への信頼において、 無限の時間の流れにおいて予め意志を充たし得ます。 人は、有性生殖=子供の育成に由来して、世代交代の ために自らの寿命を制限して(遺伝子が細胞分裂回数を 制限して)います。 異性への愛、子供への愛と、自らの死はセットなのです。 人は、他への愛のために、自らの命を投げ出す事もします。 逆に、そうした大きな意志による幸福感なしに、自己顕示や 自己のその場その場の即物的欲求のためのみに無限に 命永らえる事が、優っているとは思えません。
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- shift-2007
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>輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、 そうはならないと思いますよ。 むしろたくさんの経験をするほうがいいと思います。 あなたが男だとして女としての経験を得るには生まれ変わるしか方法がないですよね。 >生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 神はそもそも生命の神秘を紐解くように指示してはいないと思いますよ。 科学が進歩して生活は便利になりましたが・・・・ という話ですね。 >同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか? そのループを抜けるのが解脱なわけです。 >その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が 死と恐怖を同系列に扱うのはどうかと思います。 おでんと土鍋は関係しあっていますが、同じ次元のものではありません。 >本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか? 輪廻という忙しい仕事があるじゃないですか。
- coco1701
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>輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね ・>人間は・・人間(現在の個人:自分自身)ではなく、生命・霊・霊魂・魂等と呼ばれている物でしょうね・・・輪廻転生は ・>「生まれ変わり」・・自分自身が生まれ変わるわけではありませんから・・新しく生まれても過去の意識は無いでしょ(過去の意識と連続していない)別の個人として生まれ変わる つまり、生まれ変わるのは、自分自身(意識)ではなく、生命・霊・霊魂・魂等と呼ばれているのもでしょうね >生命の存在の意味自体に疑問を抱きます ・生命が宇宙と同時にある物なら(生命体と呼ばれる物に付属する(有る物なら)のなら、その様なシステムなのでしょう この場合、生命自体には意識はないですよ・・付属する(共にある)生命体の生体が意識を発生させる物なら意識があるし、その様な生体でなければ意識は持たない その意識を持つ生命体が死を迎えて活動を停止したら、意識は当然無くなりますから、通常の生命の状態に戻るだけのことですから ・生命(or霊・霊魂・魂等呼び方は色々)と言うものが存在するなら、それは基本部分(ベース)でその上に意識が乗っている状態(人間の例)だと思いますが 輪廻転生・生まれ変わりは、生命ベースの話で、上に乗っている意識ベース(人間の意識)の話ではないと思います・・・生命ベースなら連続性がありますから 意識ベースの連続性は、眠りにつく(死)→目が覚める(生):赤ん坊で生まれても昨日(眠りに付く前)の記憶がそのまま残っている状態ですから 実際は、赤ん坊には意識はありませんし、意識が出来るのは、言語習得・知識の吸収・学習がされてからですから(自分という者を意識できるようになる) (赤ん坊の状態で栄養だけを与えて、何ら知識の習得をさせない環境に置けば、意識の認識はされませんでしょ) >死後の世界 ・個人の意識レベルなら・・肉体の機能停止(脳組織の機能停止)により、その段階で意識が無くなる (普通に眠りに入った状態・・そのまま目覚めない状態) 死後の世界も何も無いと思いますが (意識だけで存在する世界:何ら情報伝達が行われない(見えない、聞こえない、感じられない、自分一人の意識の存在)、過去の記憶だけで存在する世界)・・・>本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?・・この世界です ・実際の所、意識レベルなら、死により意識がなくなってそれで終了でしょう (生命レベルはさらに輪廻転生を繰り返す 生まれ変わりに良くある過去の記憶は、生命レベルに残っている過去の生命体の記憶の断片(残滓)と考えています・・この記憶は現在の自分自身の記憶ではなく、過去の他人の記憶の一片です)
> 同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すの は少し酷では無いでしょうか? んー?そんな事も含めて、天界という存在は、自己の表現に 満足されてるようですけど?、、理解が及びませんね、とても 現実は、少し酷なんてもんじゃないと思いますけど、 惑星が生命を育み・知的生命をも育む期間のシナリオには、 定型のバリエーションとでも言えるものがあるようで、 多分、大局的に見ると、地球の現世のあり様も、適切 なのかもしれませんね > 輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける 方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 というよりも?やはり、、そもそも成長する見込みのないような?、 素養が与えられていないような?、2歳児以下の外郭次元の 意識体が、なぜ与えられているのか?という疑問の方が 重要なのでは?と私には思えます 自然の在るがままでは、現世の意識体の成長・進化という物を 多くの場合、求められている訳ではなく、未熟とも言えない 愚かさから放出される想念エネルギーが、なにか?地球でいう? 地熱のようなエネルギー・糧になっているようでもあり?・・・ ただ?在るがままを変える自由性は与えられてはいるそうですが、 それを理解する事自体が、人はとても困難のようです > 本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか? 霊的トレーニングと主に霊的能力による探求、それによる 向上・進化(3つの副体間の繋がりと、もう1つの未発達な霊体の完成) ・達成(外郭次元の意識体・自己の、魂への吸収、、天界との一体化) がなければ、魂から放射された外郭次元の意識体である私達は、 永遠とはいえないそうですけど?、、暫くは、分離された自己のままで、 外郭次元で過ごす事になるんじゃないでしょうか?
- kanto-i
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楽しみを味わうために生まれてきたなら、また生まれてきたら楽しんで生きればいい。 その為には、同じ世界に生まれるのであれば、次に生れてきた時は今より良くなっていた方がいい。 そんな風に思います。 だから今を楽しみながら、次への布石として少しでも楽しめる環境にしておこう。 弾が飛び交う中に生まれたくないから、戦争は無くそう。 次に生まれた時から被曝していたくないから、原子力のことを考えよう。 不当な搾取がまかり通る世の中にしてしまえば、次に生れた時は多くは搾取される側だ。 それを無くすために、みんなで考えて無くしていこう。 自分達が作ったものを自分達が享受する。 だから今を真剣に考えよう。 より良いものを作っていけば、より良い環境で暮らせる。 そんな感じです。 毎度、獣を追い続けての生活が来るより、自分達が関与して自分達で作って行けるなら 毎回0からよりずっといいと思います。 死の恐怖は、それを持つその人個人の中にあるだけで外にある訳ではない。 痛いのは嫌ですが、死んでも新しい体と新たな冒険が始まるなら、それはそれで面白いと思います。 死の恐怖は、すでに脱出したので私には無いです。 私が怖がってただけで、怖いものではないと知ったからですが。 新たな人生は、新たな冒険の始まり。 今回も楽しみますが、次回を考えてもワクワクします。 個人的には「次回をお楽しみに!」って感じで終わろうと思ってます。
- manuke22
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はじめに。私は魂や来世や死後の世界なんて信じてません。 宗教は生命を神秘化をするわけですから、生命の神秘について考えるなら、生物学のほうが有益でしょう。 死後の世界とやらは物理的な制約を受けないらしいので、地球がなくなろうと宇宙がなくなろうと、天国だかあの世だか知りませんがそこで存在しつづけるでしょうね。
我々は生まれ変わり死に変わりを未来永劫続けるしか無いんですよ。もう飽き飽きしてようが、死ぬほどウンザリしていようが、否応無しにね。だから輪廻転生は「苦」であると言われているんです。あと、生命には優劣も意味も無いですし、丁度、何かを成し遂げたあたりで、我々は死を迎えます。ひょっとしたら、神は我々に必要以上の「知」を与えたくないのかも知れませんね。 死後は六道を輪廻し、死後も六道を輪廻する。しかも、意味も際限も無く。・・・十分過ぎる程に恐怖だと思いますが。自己の消滅も恐怖ですけど、消滅できないというのもまた恐怖。宇宙開闢から宇宙が消滅するまで消えられず、そしてまた新たな宇宙の開闢が起こり、いずれはその宇宙も消滅する。ひょっとしたら150億年じゃ済まないかも知れませんよ?
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。 そういう繰り返しは、無意味という考え方もあります。そして、魂的には、その繰り返しで成長することもありますが、現実的に地上に生きている間に努力して出世しても、死後の世界には、お金も家も名誉も持っていけません。今月の幸福の科学の月刊誌の巻頭は「すべては空しい」という文ですが、そういう虚無的とも思える考え方をすることもできます。 ただし、その「生」やあの世での生活にも、楽しみや喜びがあるものですよ。世の中をみれば、恋人ができたり、赤ちゃんが生まれたり、さらにもっと些細な日常の中に喜びを見つけている方も多いことでしょう。 質問者さんは、そういう喜びを知らないだけなのかもしれませんね。 >>そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね? そうともいえません。すでに宇宙人はアメリカのエリア51とか、中国、ロシアにやってきていますし、彼らと大っぴらに文化交流ができるようになれば、私達は、生きている間に、UFOのワープ航法を利用して、はるかに地球を離れた星に移住する可能性もあります。 また、私達の魂や科学技術がもう少し進化すれば、「あなたは、この地球で学べることは学んだ。次は、地球を出て、もうすこし進化したベガ星の霊界の所属となります。」なんてこともあるかもしれません。 >>本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか? 死後は、基本的には、自分の望むようなところに行くようです。なので、彷徨が好きな人は、永遠にそうすることもできるでしょうね。 でも、そんなの嫌で、自分が絵を描くのが好きっていうなら、ずっと絵を描いていることもできますよ。 また、あの世は、食事も睡眠も不要だし、トイレも不要。お金が無くても生きてゆけます。ずーと昼間で夜が無い世界(地獄を除く)です。精神的な疲れはあれど、肉体的な疲れは無い世界だから、そこに慣れると、この世にもどって来たくなくなるでしょうね。
- yuimakozi
- ベストアンサー率22% (25/110)
輪廻転生という考え方は、古代インドの思想です。 自我(アートマン)は、業(カルマ)により永遠に転生を繰り返すというものです。 これは、人間に限らずあらゆる生物、神々も生が限られていて転生します。 単純に死んで生まれ変わるというものではなくて、天上界、人間界、修羅界、餓鬼界、畜生界、地獄に転生するのです。 それは、自分の行いや思考によって決まるのです。 あなたにお聞きしますが、あなたは人間界に転生する前の記憶がありますか? もし仮に、死後の世界とか輪廻転生があるとして、「記憶」がないのなら何の意味があるのでしょう。 私は、自分が他者と区別できるのは「記憶」だと思っています。 脳細胞が死んで活動停止してしまったら、「記憶」は消滅してしまうので「自分」は永久に消滅してしまうと思っています。 長い宇宙の時間を考えれば、人間の生なんてほんの一瞬でしかなく、幻のようなものだと思うのです。
- mathammy
- ベストアンサー率30% (336/1097)
輪廻転生のループからの脱出を教えてるのが仏教ですよね。 とりあえず、みんな、他の人のために役に立てる才能を持ってうまれていて それを人のために使えば、死後も幸せになる てきな 話をお坊さんがいってましたよ^^;