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平成6年公的年金改革を行なった内閣は?

平成6年に公的年金の改革が行われましたが、その改革は通常国会開始時に存在していた 細川内閣が行ったものなのでしょうか。それともその後の羽田内閣、もしくは村山内閣でしょうか。 知っている方がいたら教えてください。よろしくお願いします。

みんなの回答

  • taoyuany
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回答No.2

平成6年に年金法が成立したのは1994年11月2日です。 4月8日 - 細川護熙首相が辞任を表明 4月28日 - 羽田内閣発足 6月30日 - 村山内閣発足(1995年8月8日まで) そのため、どの内閣下で成立したのかという問いには村山内閣下との回答となります。 ただし、プロジェクトチームがスタートし、おおまかな法案の形が出来たのは細川内閣下です。 また、与野党、労使協調での年金改革であったためどの党が強行したという事もありませんでした。 「会計検査研究」掲載論文「1994年の年金改正と会計検査」高山憲之(一橋大学経済研究所教授) http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/12-4.html から以下抜粋します。 -------------------  これまで日本では年金改革をめぐって労使がしばしば激しく対立してきた。その対立にひきずられ,国会でも与野党は年金改正法案をめぐって鋭く対決することが多かった。実際,年金はこれまで"政争の道具"となりがちであった。  1994年の年金改革は上述のような従来のパターンとは性格を異にした。1993年の夏に政権が交代し,戦後長期間にわたって政権を担当してきた自由民主党は野に下った。代わって日本共産党を除くかつての野党各党が連立して内閣を組織することになった。この内閣(細川内閣)が今回の年金改正法案をとりまとめたのである。  労働組合勢力を代表する連合も1993年の春に年金改革をめぐって方針転換を実質的に表明した。年金給付のネットスライド切りかえを連合みずからが打ちだしたからである。この表明が契機となり,年金改革をめぐって労使の歩みよりがはじまった。労使双方にとって受けいれ可能な妥協案づくりが開始されたのである。最大の懸案は支給開始年齢の調整にあったが,これも1993年12月20日に旧連立与党年金改正プロジェクトチームが最終報告をとりまとめたさいに決着した。今回の年金改革は事実上,労使協調,与野党一致という形で遂行されたのである。 ------------------- 以上参考になれば幸いです。

  • f272
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回答No.1

http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/old_gaiyo/131/1311101.pdf 召集日の開会式に続いて、村山内閣総理大臣の所信表明演説が行われた。 (途中省略) 衆議院で継続審査となっていた国民年金法等改正案については、基礎年金の国庫負担率引上げについての与野党の修正案作りが難航したため、与党は共同修正案の提出を断念し、同月26日、厚生委員会において与野党の各修正案がそれぞれ採決に付され、与党修正案が可決された。また、27日の衆議院本会議において委員会議決のとおり修正議決された。さらに、国家公務員等共済組合法等の関連4法案も同日の本会議で同趣旨の修正議決が行われた。 参議院では、10月28日の本会議で趣旨説明の聴取が行われ、その後、厚生委員会等関連委員会での質疑が行われた後、11月2日に同委員会及び本会議において可決、成立した。

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