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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1993年にも国政調査権行使できたのでは?)
1993年の国政調査権行使について
このQ&Aのポイント
- 1993年の国政調査権行使について初めて明らかにされた新事実とは?
- なぜ1993年の国政調査権行使が行われなかったのか?その理由を考察
- 1993年の国政調査権行使の意義とは?当時の情報秘匿性と連立与党の意識について
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質問者が選んだベストアンサー
「野党」が国政調査権を行使できる立場になったのは、今回が初めてです。 ご指摘の細川政権では、8党派は「与党」、つまり政府側の立場でしたので、国会で国政調査権を発動するまでもなく、役所に対して「出せ」といえば済むことでした(その方がよほど効率的です)。 与党が少数だったのは、最近では羽田政権での衆院や、自自公連立発足前の参院など、いずれもごく短期間で、しかも「是々非々」という名目で与党に協力的な政党・無所属議員も存在しました。与党が共産党も含めた民主党以外の政党の協力を得ないと過半数を獲得できない状況が生じたのは、今回が初めてです。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、細川政権の「与党」である以上は、直接役所に命令できるわけですね。愚問でした。 しかし、それにしては、当時、連立与党が役所を指揮して、前政権までの問題点をあばいて大掃除をした、という記憶がありません。むしろ、どちらかというと、「私たちにも政権がとれちゃった」とはしゃぐだけで、それも束の間、野党たる自民党にぐいぐい押しまくられて、取り繕うのに精いっぱいだった、という印象を受けます。つまりは、まだ力不足だったということでしょうかね。 ご回答にあった「是々非々」ということばも思い出しました。そういえば、後に自民党が少数与党になった頃にも、野党はやはり妙に腰が引けていました。 今回、たしかに新しい政治状況となったということに、納得が行きました。(もう少し締め切らないでおきます)