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資本主義への過渡

僕は、資本主義や大量生産至上主義といったものがあまり好きではありません。 一つ気になったのですが、なぜ人間は資本主義に辿り着いたのでしょうか?学術的な回答だけでなく神秘的な回答も楽しみにしています。 また、これから我々はどのような世界を築いてゆくのか、みなさんの考えをお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.7

その昔、金融・銀行のシステムを作り出したのは、ロスチャイルドの先祖だということです。 その中で、欧州貴族の蓄財を増やす為に気づいた事が、成長産業に投資し、配当により利益を得る事を編み出した。 それが資本主義なのではないでしょうか。 その結晶が、産業革命。 それにより莫大な利益を得ていく。 しかし、未来永劫利益を生み続けるなど不可能。 それを見越して、グローバルは生まれ、富は一極集中であるところに集中していく。 グローバルは、国の文化をも潰し、画一化していく。 その段階では、経済的格差が生まれ、更に富みは一極に集まる。 資本主義は、民主主義と一体となり、人々を洗脳するためのアメとムチのアメ。 それを際立たすため、社会主義や共産主義を利用して来た。 マルクスを完全に再現した国は無い。 その一部を再現し、いかに民主主義、資本主義がバラ色なのかを際立たせていく。 資本主義の大量生産は、資源を無駄遣いし、格差をつけたところで、資源を負け組に渡す事を嫌うようになる。 いや、もおう搾取する国も少なくなり、買ってくれる国も少なくなった。 富を得ている者達は、ここらで弱者を切り捨てにかかっていると言っても過言ではない。 完全に富を、欧州貴族や米国貴族に集める為、革命は起るでしょう。 その革命は、戦争。 劇的にイデオロギーを変換させ、今後は上辺だけの民主主義と、一部の者だけが富を得る社会主義が横行するでしょう。 社旗民主主義。 そうやって、富を一部の者だけが供与する。 それが今行われてる、新自由主義である。 資本主義は既に破綻してるんです。

ext1219
質問者

お礼

もう破綻しているとお考えなんですね。 最近は環境主義とでも言うのでしょうか。資本主義系の流れと逆の流れを行く考えも強まってきていると僕は感じているのですが、どうなるんでしょうか? 本当に、資本主義、大量生産志向、国際化には言い知れぬ不安を覚えざるを得ないです。

回答No.6

自給自足であれば、資本主義とは言わない。 富の蓄積はあっても自家消費のためであり、交換も副次的な ものに留まる。 資本主義は、分業化による市場の発生&拡大、そこにおける 物々交換から貨幣制への移行において、生じたものである。 元々の自給自足から局所的な物々交換においては、分業化 =助け合いとしての性質が強かったものが、大量生産と物流 の拡大において、直接の助け合いから間接的な取引きになり、 利益の追求が重要になった。 大量生産を可能にする機材が大掛かりになると、先行投資 や従業員の雇用といった、資本主義の主要な要素が現われ るのだ。 そこにおいて、元々は助け合いを意味した分業化が、金儲け のための手段になっており、生命にとって根源的な欲求である “生きる事=労働”が、お金を儲けるためにイヤイヤ働かされる ものに変質してしまっているのだ。 つまり生きる目的はお金持ちになる=自分は働かずに他人を 働かせる事、というのが、資本主義の誤った構造なのだ。 分業化=自己の生命の社会的拡張において、それを把握する だけの認識の深まりを怠り、自己チューなまま社会行動をとら せるために、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン” を発達させた結果が、「助け合い」のはずの社会を「弱肉強食」 の疑似ジャングルに変え、資本主義を生んだのである。 しかし人の生きる目的は、物質的な豊かさではなく、心の豊かさ (=認識の深まり&精神的な充足量)である事において、それは 必要悪だと言える。 お金が担っている需給をつなぐ情報としての機能(「お金」が固 有の価値を持っているという錯覚)を、再び人の意識に取り戻す 事(助け合いとしての労働)が肝要だ。 物質化してしまった助け合いの感謝の気持ちを、IT化を活用し て再び情報に戻し、個々人の心に社会情報をつないで、社会 生命的自覚(愛による社会化)を促進するのだ。 ネットによるキャッシュレス化により、貯金やクレジット、徴税や 社会保障と1本化し、商品タグを携帯端末で読み取り、生活 状況に応じて物価が変わるようにすれば、泥棒も汚職もできず、 また不正蓄財する必要もなくなる。 成果は常に山分けになるので、ただ社会に貢献する事だけに 専念すれば良いのだ。

ext1219
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.5

「競争」というものを追求してきた結果だと思います。競争は子供の成長過程においては避けて通れない。異性の獲得においても。ただ、そこから先は協調体制の可能性に目を開くことに視点の比重を移していくことが可能だと考えます。競争こそ人間の本性だというのは錯覚でその落とし穴に拠り所としての比重を置きすぎているのが現状の未熟さなのかもしれないという気がしています。

ext1219
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

資本主義の基本概念は、「金を出した物が一番口を出す権利を持ち、利益も優先的に取る」と言うものです。 この原型は農耕による「蓄財」から既に始まっていたと見られます。 そして現在の資本主義は、利益の奪い合いが高じて、戦争状態になっているのが問題です。 ちなみに社会主義も国家運営に適したシステムとして採用された点は同様で、違うのは利益の分配法だけです。 どちらがより、国家の運営=国を富ますに適しているかを競っただけで、どちらも「より良くする」と言う点からは同じでした。 結果は人間は「個人の欲望」に従った方が、より努力をするという事実を確認する実験でしたが。(利益の追求が幸せの追求とは限りませんが) 現状では利益の追求を止める法律もそれほどの枷にならず、何より、発展を手放した途端に利益を奪われる恐怖に駈られていると言ってもいいでしょう。 このままのチキンレースを続けて行けるものではないと、皆が気付き掛けていますが、「自分が先に下りるのは絶対嫌だ」と思っている訳です。 更に言えば、稼げる今の内にもっと蓄財をしておこう=国力を上げとこう、と思っている訳です。(個人でもそう思うから、収入格差が広がり続けているのです) これからの未来の予想は、あくまで独断と偏見でしかないのですが、取り敢えず体制内改革は起き得ないのと思われますので、「行き着く所まで行く」と私は考えています。 絶対とは思いませんが、楽観的な予測を支持する材料は、余りにも少な過ぎます。

ext1219
質問者

お礼

ありがとうございました!

回答No.3

何故そのような時代になったかというと、生産性の悪い国は、例外なく侵略されたからです。 そして、それから学び、生産性をよくしないと生活がままらないという事を学んだからです。 これは現在にも生きています。生産性の悪い会社は、倒産します。その大半の原因は、他社のシェア争いに敗れたからです。 生産性が悪い会社は競争に負け、淘汰されます。だから生産性をよくせざるおえない状況になります。 現在でも、生産性の低い国は、生産性の高い国の経済侵略を受けます。そして、経済植民地になります。その末路を歩まないために、生産性を高くする。つまり資本主義や生産主義になるのです。 資本主義の形態は変わっていく可能性はありますが、地球規模の競争社会は変わる事はありません。

ext1219
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 こうなるべくしてヒトは誕生したのでしょうか。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

”なぜ人間は資本主義に辿り着いたのでしょうか?”     ↑ 三角貿易で大儲けした英国は、それを資本として 産業革命に成功しました。 資本主義はここから始まりました。 だから、偶然かもしれません。 進化は適正による自然淘汰と突然変異から 生じます。 近年の研究で、突然変異による割合が多いことが 解って来ました。 突然変異は偶然の産物です。 これと同じように、資本主義に到達したのも偶然 の要素が多いと思います。 産業革命のきっかけは、17世紀以降、インドから 輸入されるようになった木綿製品でした。 この人気が凄まじく、英国政府が毛織物業者保護の ため、木綿の輸入を禁止したのが発端です。 輸入が禁止されたので、英国国内で生産するように なったのですが、そこに三角貿易で稼いだ資本 などの好条件が重なり、英国で産業革命が勃発 した訳です。 もし、インドという国がなかったら、木綿が なかったら、輸入を禁止しなかったら、奴隷 貿易をしなかったら、英国に石炭がなかったら ・・・ 偶然としか思えません。 ”神秘的な回答も楽しみにしています”     ↑ 神の見えざる手ですかね。 もっとも神、というのは間違いだそうですが。 ”これから我々はどのような世界を築いてゆくのか”     ↑ 理想とかは危険です。 社会主義はそれで大失敗しました。 人間は極楽を造ろうとしては地獄を造ってきたのです。 自由にして、自然に委ねるべきです。 自由でないと試行錯誤出来ないからです。 人間が勝手に思い描く理想などよりも、試行錯誤の 方がはかに信用できるのです。

ext1219
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 偶然の産物だと考えられているわけですね。 自由にして自然にさせるべき、試行錯誤がはるかに安心という部分には深く頷けます。僕はやっぱり今のような時代には大満足ができませんが、自然を大切にでき、質が見直される時代は来てくれるでしょうか。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

すごく浅いところで、「労働者」と「貨幣」というものが生まれるには、奴隷を使うという「使役の立場」と都市の民として食料などを得る「対価の物質化」が必要だったのかな、と思います。 そういう、自分のかわりに力仕事をさせて、その対価として色々なものに交換できる石を渡す、というのが仕組みとして同時にできる背景があったから、資本主義が発達して、 労働問題が表面化して、資本の集中が露呈して、それらの平準化としての社会主義がうまれ、どうせなら全員私有物は禁止しちゃえという共産主義がうまれ、・・・、という時代に今あるのかもしれませんね。

ext1219
質問者

お礼

資本主義も原型は何千年も前からできあがっていましたよね。もしかしたら、できあがっていたどころか、最初からこのようになるべくして我々は誕生してきたのでしょうか?人類が今の形態に達しない道を選んでいた可能性はあるのでしょうか。 回答ありがとうございました。

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