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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教カテの必要性)

宗教カテの必要性

このQ&Aのポイント
  • 宗教カテは必要である
  • 宗教の重要性と話題のニーズは高い
  • 宗教カテが荒れないためにはコントロールが必要

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.2

興味を持ってきました。 質問のたて方が面白いですね。哲学カテゴリらしい気がします。 前の質問の方は難しく考えすぎているように感じられて私では全く歯が立ちそうになかったので、回答が出来なかったので、もっとくだけたこちらに。 宗教カテゴリ、私はあっても無くてもいいと思う派だったのですが、重要と思う事が出て来ました。 「宗教に関する簡単な質問」のカテゴリはあった方がいいと思います。 宗教別に分けて、葬式どうしたらいい?とか宗教が違うと冠婚葬祭とかに出席するのに困る事はありますか?といった生活に密着したカテゴリ。 これあると便利そう。 ライフ内に作った方がいいのかな? また、宗教 入信と脱教について とかもあると真剣に悩んでる方にはいいかも… そして、「宗教の思想・解釈」といったジャンルと分けた方がいいと思う。こっちは哲学と混ぜ混ぜしちゃってもいいと思うけど。だって思想は哲学だと思うから。 大ジャンルとしてすべての宗教と個別の宗教についても分けると面白いかも知れませんね。 一つの宗教について深く思索したい方と、この宗教とあの宗教はどこが違うのか、同じなのか等を考えたい方にとってもいいかも(全宗教は荒れるかも知れませんが、無宗教気味の方々がそこから何かを学ぶ手助けになりそうです) 宗教はどこのカテゴリなのかを明言しとく必要はありそうです。(迷子が増えるので)

oozora2000
質問者

お礼

質問のたて方が面白い・・・との過分なおほめ頂き、有難うございます。 正直な処、質問と言うよりも、私の回答案をたたき台にしたものですが・・・。 確かにそんなに難しく考えなくても、普通に、「技術的」な質問の余地もあるように思います。 「冠婚葬祭」や、「入信と脱教について」とか、「宗教の思想・解釈」とか色んな側面がありますよね。 最初のには、ライフ >暮らし・生活お役立ち の中に、「マナー・冠婚葬祭」というカテもありますが・・・。 宗教をタブー視せず、色々疑問をぶつけることは、バランスある人生を生きていく上で、とても栄養になることだと思います。

その他の回答 (4)

回答No.5

お礼、ありがとうございます。 胡散臭い宗教は存在すると思いますが、 宗教そのものが胡散臭いとは考えていません。 宗教のみのカテゴリーとすると、敷居が高くて、利用し辛いと思うんですよ。 哲学・宗教だと、さらに敷居が高くなる。 ですから、 《宗教・心霊・オカルト》としたらいい、というわけです。 わたしには、今、狐が憑いています。 悪霊が・・・。 水子が・・・。 悪魔が・・・。 その除霊、お祓いの方法は・・・。 などなどの質問もできます。 そんな霊なんていない。あなたの思い過ごしです。 こうした回答もあるのでしょうが、 狐(?)が憑いている人にとって、これは切実な問題なんですよ。 それこそ命に関わる問題なのかもしれない。 そして、こうしたことを質問する場所が「教えて!」にはない。 お祓いや除霊などによって、 憑いている狐を追っ払えるのならば、 もしくは、 狐がどこかにいったように感じられ、 そして、 それでよい社会生活が送れるようになるのならば、 それはそれで結構なことじゃないですか。 しかも、衆人の目があるので、怪しげな勧誘などはできません。 ボッタクリの被害に遭わないですむかもしれません。 また、最初は心霊やオカルトについての興味・関心を抱き、そのカテゴリーを利用したとしても、 利用しているうちに、本当の宗教に関心をもつようになるかもしれません。 その出会いの場としても必要なのだろう、と思います。

oozora2000
質問者

お礼

眠り猫ニャさん、再来! >宗教そのものが胡散臭いとは考えていません。 ああ、そうですか?よかった。それなら少し話が出来そうだ!失礼しました。 敷居が高い? 確かにそうかも。 で・・・今、狐が憑いているんですか? そりゃ大変だ! 私の浅はかな知識ですが・・・ 狐や天狗などの「蓄霊」は「人霊」に対して「観念霊」とも言われ、人間の出すマイナス感情のイメージ(波動)が形作ったものと言われており、こうした霊が憑依する例は古今語られていると思います。 然るべき霊能者に除霊して頂くことをお勧めします。 しかし、このサイトでは「宗教」と同様、こうした「スピリチュアル」な話題もハナから相手にしない。 私も、「スピリチュアル」というカテは必要と考えます。 ただ、「宗教」とは関係がなくもありませんが、区別したいので、別立てとすべきと考えます。

oozora2000
質問者

補足

この場を借りて・・・前のuさんの質問にご参加されていた、当サイトの「歴戦の勇士」の皆さんへ。 その内、bさんとnさんには、今回も参加頂きましたが、uさん、pさん、nさん、kさん、rさん、sさんなども 是非おいで下さい! 又、私と同様のお考えの元カトリックのmさんも・・・。 前の質問に比し、参加者が少ないのが残念です。 もっとも、今回回答が少ないのは、はじめに私の回答(案)ありき・・・ということで、対応しにくいかも。 まあ、「論争」になったりするとヤバいでしょうが、差支えない範囲で、コメントを頂ければ、とても嬉しいです。 私も、みなさんと意見の違いがあっても、なるべく名指しの批判(You message)は慎み、どうしても言いたいときは、私はこう考える(I message)で語るようにしますので、さあ、みなさん、安心して、いらっしゃい! 

回答No.4

 こんにちは。  そもそも《宗教》とは どういうことか? これについて考えてそこからそれ自体のカテをつくるかどうかの判断材料を提供したいと思います。  長いですが 次のようです。あらかじめ言えば 個人の信仰と集団としての宗教とは 似ても似つかないしろものであるというのが 趣旨です。  1.  宗教の発生の過程をどう捉えるかという視点に立ちます。  2.  アニミズムとは なにか?  人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。   一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。   巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た  してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。    ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし     の体を重ねてみる。      そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに     あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。  おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。  神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらにひとが身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。その山の石や木が神との交流の依り代になっているということのようです。  人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよびますよね。  2.  アニミズムからのへそ曲がり。としてのシャーマニズム。  ところがこれをいいことに そこからは 自分でこのアニミズム交感なる現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。  何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや初めのアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となったという場合です。  何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界――つまり言わゆるかみがみのでしょうか――に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。  占いのようなものです。  3.  さらに時を飛んで 《時間的存在》としての人間の誕生。  やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも新たな心性を 人は獲得したと思われます。単純にそれは 時間の獲得によるものでしょう。  農耕をとおして・つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして・つまりその種蒔きから穫り入れまでの時間の経過をとおして 自己も 時間的な存在であることを知ります。  要するに 自分たちは老いると ただ倒れるのではなく眠るのでもなくそうではなく死ぬのだという認識を得たことがからんでいるはずです。時間的存在であることは その心性を高めて 精神および身体において 《歴史知性》を獲得したと考えられます。世界の内へ その時間的存在なる自覚において 入った。  4.  ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。    -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界の内への入り  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも       社会力学上(政治的に) 寄せる。  ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。ここでは これは 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが 宗教の始まりです。  5.  歴史知性を獲得したひとの抱く信仰。  言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスムの要素を備えているでしょうから(つまり むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な心性として いわゆる信仰をも持ち得ます。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。  これが ふつうの知性のあり方だと考えられます。経験世界を超える場については 個人として・あくまで個人の主観内面において その神とよぶむしろ非対象をいだいた。という信仰。  6.  さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。  単純に言えば ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの社会的な(村の)人生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食を持ちます。つまり 食物の収穫に感謝し供え物をして 共に味わうわけです。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。どんちゃん騒ぎをもともないます。  ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうのイリ歴史知性を超えたところの精神において) 《まつりごと》として制度化したというものです。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。  7.  古事記には こうあります。    その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミ   コトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。     四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。  これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。  8.  《ヨセ》なるスーパー知性とは何か?   《一段高いところから(ふつうのイリ歴史知性を超えたところの精神において) 村々のマツリを寄せたばねた》というのは そのように《神のごとくいかなるものの下にも立つまいと堅く誓った知性であり人間精神である》と考えます。  つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ人びと(アニミスト)と同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。  嫌ったので 強引に社会のいわば第二階に みづからアマアガリして行ったのか それとも人びとが その新型シャーマンに辟易してこれを敬遠し 人びとの合意で これを社会の神棚に据えてまつることでもしてやろうと考えたか いづれとも推し測られます。(《国譲り》説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。  9.  要するに ここに 神の代理が 出現しました。  村における人びとの見えない神との共食(供え物をしてのまつり)が 村々をたばねた統一集団として一段高いところからおこなう・見える神との共食(貢税を伴なうまつりごと)になったという話です。これが 宗教の始まりを説き明かす一つの歴史事例(そのたとえ話)だと考えます。  《神の代理》を名乗るという要素は シュウキョウ一般に共通です。  要するに 一人ひとりがそれぞれその心の内に おのれの神を抱き きよらかなおそれを持ってこれをとうとび人生を生き切ればよいものを いちいちわざわざこの個人の信仰をおれがおしえてやろう おれの言うことを聞けと言って オシエを垂れる。そのオシエに対する従順さの度合いに応じて人に権限を分け与え その集団をヒエラルキアなる組織につくり上げる。こうしてあたかも一個の国家のごとく人びとに対して君臨する。  10.  宗教カテゴリを立てるということは せいぜいこのニックキ宗教についての批判をすることくらいでしょう。意義があるのは。そしてそれなら 哲学カテでじゅうぶん行なえます。    11.  《神の代理》との共食なるマツリゴトとしての共同自治の制度 これは一般に 国家という形態です。ヒエラルキアないし教会なる組織も国家のようなものです。信教・良心の自由なる公理をいいことに その宗教組織には政治権力は手を出すなとさえ言おうとしています。マツリゴトが 政治と宗教というふたつの国家に分かれただけです。このような結社の自由とは いかなる意義があるか?  国家あるいはヒエラルキア国家は やがて歴史的に しかるべく揚棄されていくことでしょう。捨てられて行きます。わたしたちは 永く働き蜂に甘んじていたというわけです。いまはすでに慣性の法則で存続しているのみです。つまり 死んでいます。  イリ歴史知性の回復 万葉集いや億葉集のルネサンスを迎える未来しか来ないでしょう。

oozora2000
質問者

お礼

当「哲学」カテの「教祖」のように君臨されているbragelonneさんのお名前・・・どういう意味かと思いましたが、アレクサンドル・デュマ・ペールによる長編小説『ブラジュロンヌ子爵』(仏: Le Vicomte de Bragelonne)から取られたのでしょうか? 正直、お説は、仲々難解でよくわかりませんが、コピっと向き合わせて頂きましょう。 個人の信仰と集団としての宗教とは 似ても似つかないしろもの・・・とおっしゃるのは、わかるような気がします。どうしても「宗教」の「教団」を介在させると、個人信仰とはずれてくるところがあるという趣旨でしょうか? ご趣旨と同じかどうかわかりませんが、私もかつて次の質問をし、bragelonneさんから3回も回答頂いたことを覚えています。 「普通名詞としての神」に祈ること http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7321056.html アニミズムとは Wikipediaによると、「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方で「凡霊論」などとも言う」とありますが、人間が広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》を持ち、人と人との関係性を この宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。・・・というのも分かる気がします。例に挙げられた遭難者の所在を、巫女のからだをその山になぞらえ、その体の痛みの発生場所で、割り出したという話は、おっしゃっるように、自然物が人間のからだに寄り憑いた(憑依した?)例として捉えられるのだと思います。その山の石や木が神との交流の依り代になっている、人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地がある・・・というのが、「原始心性」或いは「アニミズム」の概念なのですね。 そしてシャーマニズムは「トランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物つまり霊能者シャーマンにより成立する社会」のことであり、「自分でこのアニミズム交感なる現象を操作しようとする動き」のことですね。 そして《時間的存在》としての人間の誕生により、「有限の生」と「死」を自覚し、その心性を高めて 精神および身体において 《歴史知性》を獲得し、世界の内へ その時間的存在なる自覚において入った。 ・・・これで、やっと一応、つながりました。bragelonneさんお得意の「ヨリ・イリ・ヨセ」の絡みが・・・。いやまだまだ続く・・・なかなか理解するには手ごわいぞ!(独り言)    -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界の内への入り  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも       社会力学上(政治的に) 寄せる。 ・・・で、この最後の「ヨセ」が宗教の始まりなんですか? ヨリやイリの延長として、そうした非科学的な心性の結末として、いわゆる信仰が芽生え、そうした超自然のちからを 「かみ」と呼んだのですね。 そして、そうしたスーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出てきたのですね。 まあ、確かに、現代のように、産業もない、都市の雑踏もない、交通も未発達で、ネットや携帯もない、静かな太古の時代、人々はより身近に自然と向き合い、自然の発する声を聴いていたんだと思います。 ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの社会的な(村の)人生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食→《まつり(奉り・祀り・祭り)》の機会を持ち、  ヨセは このマツリを 《まつりごと》=個人の信仰を束ねる宗教であり政治として制度化したというものなのですね。 古事記などをもっと読み込めば、挙げられた(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミコトの話の他にも、アニミスムやシャーマンを想起させる話が出てくるのでしょうね。 ヨリ→イリ→ヨセの発展過程で、人びと(アニミスト)と同じ地平に立っていたヨリ、イリの時代から、一段高いところから、村々のマツリを寄せたばね、神のごとく君臨した知性・人間精神である「ヨセ」にランクアップしていったわけですね。 そして誕生したのが、日本で言えば「卑弥呼」のように祭祀をつかさどる古代の女王や、神の代理としての「天皇」だったのでしょうか? こうした《神の代理》を名乗るという要素は シュウキョウ一般に共通というのはよくわかります。 そして、漸く最初のお話とつながりました。一人ひとりがそれぞれその心の内に おのれの神を抱き きよらかなおそれを持ってこれをとうとび人生を生き切ればよいものを いちいちわざわざこの個人の信仰をおれがおしえてやろう おれの言うことを聞けと言って オシエを垂れる。そのオシエに対する従順さの度合いに応じて人に権限を分け与え その集団をヒエラルキアなる組織につくり上げる。こうしてあたかも一個の国家のごとく人びとに対して君臨する。・・・・まさに宗教や教団が権力を持つ段階ですね。 で、最後に当質問へのご回答として、「宗教カテゴリを立てるということは せいぜいこのニックキ宗教についての批判をすることくらいでしょう。意義があるのは。そしてそれなら 哲学カテでじゅうぶん行なえます。」というご託宣・・・やはり結論は「宗教とは、《神の代理》との共食なるマツリゴトとしての共同自治の制度(国家)の源泉であり、権力のヒエラルキアそのものということですか? うーむ・・・bragelonneさんの結論は、こうした権力のヒエラルキアとしての《マツリゴト》(国家や宗教)から個人(の信仰)を解放し、イリ歴史知性を回復すべきということでしょうか?

oozora2000
質問者

補足

この場を借りて、皆様に・・・ やはり、当初回答として作った文章をベースに質問したのでは、回答をし辛かったのでしょうね。 回答のためにせっせと作った文章の持って行きどころがなかったので、やむを得ずそうしたのですが、出来れば、いつもの、当サイトの「歴戦の勇士」の皆さんからもっと回答を頂けると有難かったです。 ここで一旦クローズして、他日を期すことと致します。 ご回答いただいた皆さん、有難うございました。

noname#202494
noname#202494
回答No.3

人助けのためには、宗教のカテゴリーは必要ではありましょうが、簡単な質問に回答するにも、そうとうな熟練と知識が必要です。 私はキリスト教徒ですが、簡単かつ基本的な質問こそ、回答するのが大変に難しいことが多いです。 ”自分はこう思うし、こうしているから、これが正しい”風の回答だの、テレビ番組で、”キリスト教はエジプト宗教のコピーである・シュメール文化のパクリである”と放送されたのを真に受けた回答だの、はたまた、ユダヤ人の陰謀説だの、そういう回答に満ち溢れると、もう、手がつけられなくなります。 それにかけてくわえて、宗派による争いが出てくるのなら、最初から、カテゴリーを作らないようにする。。。日本的な君子あやうきに近寄らず。。。ご配慮も当然であると納得しています。 もしも、宗教カテゴリーを作るとするならば、学問とはまったく切り離して、ライフのカテゴリーで、”宗教一般”のサブカテゴリーを独立させてつくり、細々と、良識に満ちた回答者だけで担当してゆくのが、嵐を免れる道ではないでしょうか。 宗教とは、学問の対象ではなくて、生活の糧なのです。 そして、哲学は宗教から派生してできた学問であると、真摯に受け止めるべきではないでしょうか。

oozora2000
質問者

お礼

私もキリスト教徒(カトリック)ですが、簡単かつ基本的な質問こそ、回答するのが大変に難しいことが多いですかね? その次に書かれている事例は、確かに起こりうるのかもしれませんね。 そのようなことが予想される以上、いや実際、当サイトにかつて「宗教」サイトがあった時代に度々発生していたのなら、君子あやうきに近寄らず、という配慮もわからないではありません。 出来れば当時の該当投稿を見たいところですが、廃止になったカテ中のQ&Aを見る方法はあるのでしょうか? 代替案として、学問とはまったく切り離して、ライフのカテゴリーで、”宗教一般”のサブカテゴリーを独立させてつくるとのアイディアも示されましたが、私としてはどんな形であれ、独立して設けて頂ければ結構と思います。 宗教とは、学問の対象ではなくて、生活の糧・・・というのも、信徒であるあなたや私からすれば当然ですが、一般人がアプローチする場合には、学問(教養)としてのアプローチもあるような気がします。 なお、余計なことですが、中段の「かけてくわえて」は正確には「かててくわえて」ではないでしょうか? →http://gogen-allguide.com/ka/katetekuwaete.html

回答No.1

「哲学・宗教」はダメですよ。哲学まで胡散臭いものに思われてしまう。 ただでも、この哲学カテは、ゴミ箱のように思われているんですから(笑い)。 カテゴリーを作るのならば、 「宗教・心霊・オカルト」にするべきです。 そして、学問のカテゴリーではなく、ライフに持ってゆく。 これならば、ニーズがある。活性化すると思います。 『「宗教・心霊・オカルト」に質問を投稿するのは、絶対に嫌だ!! オレはアカデミックな話、学問的な話をしたいんだ!!』 という人は、 この哲学カテに質問すればいい。 これだな。 これが一番いいな。

oozora2000
質問者

お礼

眠り猫ニャさん、いらっしゃい! ははあ~~さん、あなたも、宗教をアカデミックではなく、胡散臭いとのみ断じている人間なのですね。

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