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日本人に宗教は必要か?
- 日本人の特異な行動
- 日本の現代の仏教寺院の現状
- 日本人に宗教は本当に必要か
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質問者が選んだベストアンサー
おそらく宗教=信仰心のことを1つはおっしゃっていると思いますが、それは個々人の抱える苦痛によって、必要とする人しない人はいると思います。 質問者さんの疑問に思う点として、今こんな状況下で治安が維持されている要因、つまり国民性ともなっている規範意識がどこからきているかというのは「脈々と培ってきた遺伝子上の国民性」だけでは片付けられないと思います。 昨今は「政教分離」が原則で、宗教を統治に用いないと定められていますが、太古から、宗教は心的な統治に用いられてきました。 現在日本の国教は仏教ではなく神道と言えるでしょう。その証拠に、全国の神社は国の機関である神社庁に管理され、仏教はその他の宗教と同じ宗教法人として扱われています。神社とはつまり、日本書紀の天照大神を原点とする、日本神話、またそれに続く古人への信仰です。 天照大神の子孫と言われてきた天皇家について、日本では今 左だ右だと昭和明治の戦争以降 意見が割れていますが、(神の子孫とかそういう非科学的な理論はおいておいて)天皇家は、2000年以上も血筋で世襲されてきた、世界でもっとも古い王家です。日本人は、1つの家系を重んじて2000年も絶やさずに守り続けている これは世界に類を見ない事象です。 つまり天照大神神話を日本人は何千年も無意識のうちに 受け継いできていると考えられます。心理学で言えば、「集合的無意識」です。 これだけの古い歴史が、私たち日本人の ちょっと神がかり的な?国民性のバックボーンにある気がします。 またそういう意味では戦後から、少しずつではありますが、変化してきているかもしれませんね…
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- michael-m
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宗教と信仰を混同しているようですね。それに宗教業と宗教も違います。 日本人は信仰を持っています。これは宗教ではありません。 判りやすく言えば、日本古来の神道は宗教ではありません。 平成13年(2001)の高円宮憲仁殿下の挨拶文を読めば神道がなんであるかがある程度判ると思います。 日本人の身体には神道が沁み込んでいるから頑張って再生しているのではありませんか? 東北は偶然にも多くの、大きな祭りの集積地でもあります。だから大きな混乱もおきないんだと考える事も出来ます。 神戸でも、祭礼が盛んな地域ほど救出者が多いという統計を出している防災学者も居ます。 一方で、東京はどうでしょう。 自分達の為に原発を抱えていた東北のことなどそっちのけで、停電もなくネオンが輝き、それを売りにする業者まで居ます。周辺地域が真っ暗な中、不安な夜を我慢しているのに。 挙句に天罰だの、ナイターだのと言っています。 だいいち宗教は個人の問題で、要るか要らないかという問題ではありません。
お礼
回答ありがとうございます.「2001年の挨拶文」というのを知らないので,よくわかりませんでした.
- phj
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日本人に宗教は必要です。というより日本にはどこの国よりも強固な「宗教」があり、この災害にあってもその威力を発揮しています。 そもそも「宗教」をどのように定義するのか、という点を整理する必要があります。 キリスト教でも仏教でもイスラム教でも、教義というのは宗教の一側面にすぎません。 本来、宗教という言葉には、その地域の文化や価値観が反映され、その土地に根付いたものがあるのです。 たとえばキリスト教でも、イタリアはマリア信仰を同時に行っています。イタリア男はみんなマザコン、という言葉もありますが、マリア(キリストの母)を敬う宗教観と一致した性向を感じることができます。 またおなじキリスト教でもアメリカのアーミッシュなどになると「現代的な生活スタイルはキリストの教えに反する」という考えで文明(自動車や医療など)を拒否しています。 おなじキリスト教徒でありおなじ聖書を読んで、キリストの教えを実行するのにまったく違うスタイルがいくつも存在するのです。しかもキリストは「マリアを信じなさい」とも「文明を拒否しなさい」とも明確には言っていません。 ですから宗教の教義はとてもあやふやなのです。もし教義があやふやなら「教義が無い(聖書のように明示されていない)」宗教が存在しても良いはずです。 教義がない、しかし信仰心や道徳心がその地域の文化と融合して、人々の行動に規範と指針を与えている。それが日本の宗教なのです。 実はこの明示されていない宗教は日本の専売特許ではありません。ネイティブアメリカンが信仰する先祖信仰と精霊信仰が融合したアミニズムも、オーストラリアのアボリジニーが信仰する大地と太陽の信仰も明確な教義と明示的な聖書は存在しません。しかし、彼らと生活を共にしてみれば、間違いなくそこには宗教があることが分かるのです。 日本には太古の時代から厳然と宗教が存在します。そしてその宗教観は日本人ひとりひとりの心の中にあって、明示されるものではないのです。 しかし、その心のうちに従うことで、災害にあっても冷静さを失わず、お互いに助け合い、そして社会を保つようになっているのです。 キリスト教も仏教も、日本に来ると変質するといわれています。つまり日本の宗教観に合ったものだけ信じられ、後は捨てられてしまうのです。 日本には目に見えないですが、宗教はあります。そして目に見える形にするために、様々な神様や仏様、最近はキリスト様がいて、人々の信仰の発露を支えているのです。 だからこそ、初詣は神社仏閣に行き、結婚式はキリスト式で行い、クリスマスを楽しんで、葬式は仏教式で行うことができるのです。 日本ではすべての神様は、コンビニのATMのようなもので、本当の核心(ATMで言えば貯金の管理をしている大きなシステムそのもの)はまったく誰の目にも触れることができず、想像できるだけのものなのです。 それを日本では通常「世間」と呼ぶのです。
お礼
回答ありがとうございます.日本人が「世間」を失ったとき,とてつもなく利己的で抑制不可能なモンスター社会が誕生しそうですね.
いまの日本の仏教界に,そのような救国の意気はあるのでしょうか. 救国などと大仰なことを考えるから、ネガティブ思考になるのです。 現代は大仰な意気や宗派どうしが論争するような事は要りません。 カリスマが国を救うために皆を引っ張ることも要らないのです。 そんなことをするから、群れて組織を維持しようとして 拝金主義にはしるのです。 宗教は一人一人の心の安寧と向かい合う事が大切でしょう。
お礼
回答ありがとうございます.「救国」は言い過ぎました.ただ,わたくしは,現代仏教が,ひとりでも多くの悩めるひとを導こうと努力しているようには見えないのです.揮毫を高額に売りさばいたり,葬儀屋と結託して「料金設定」をしていたり,駐車場経営をしたりすることに注力していては,もはや宗教とはいえますまい.
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
例えば、人間の遺体をゴミとして処分できる 人は、法で禁止されている、いないに関わらず 少ないでしょう。 不思議ですよね。死ねばただの物質になる はずなのに。 これは殆どの人には宗教観があるからです。 日本の場合、文科省によると、神道の信者は1億1千万人 だそうです。 だから殆どの日本人は神道の信者なんですよ。 俺は信者になった覚えはない、といっても 自然や先祖を敬い、正月を祝えば、自覚が無くても それだけで信者になってしまうのです。 神道てのはそういう宗教なんです。 洗礼をやるキリスト教とは全く異なる宗教です。 こういう訳で、必要かどうか以前に神道が日本人の 骨肉になっているのです。 ちなみに、仏教の信者は9千万人とされていますが、 これは神道の信者が同時に仏教の信者でもある場合が多いことを 示しています。 そして、仏教についても、日本では神道的に変容してしまい 葬式を仏教形式でやるだけで仏教徒認定です。 そもそも仏教には先祖を祀るなんて思想はないのですが これも神道的に修正されている訳です。 ついでにいいますと、儒教も神道的に変化させられて いるそうです。
お礼
ていねいなご回答ありがとうございます.日本人の「宗教的な」態度の根源は,「祖先を敬う」「死者を悼む」ということなのでしょうか.よくわかりました.
宗教が必要かは個々の問題。 日本人をひとくくりにして考えてもしかたないよ。 負の面だけ見て怒ってもキリがない。 >パニックにならず,じっと耐え,速やかに助け合いを開始し,おとなしく行列を作っています.略奪や暴行はもとより,生活必需品の便乗値上げすらおこりません いろいろあっも、良い事じゃないですか。 もともと日本にあった神道は非常に緩やかに自然を畏敬し、 仏教も人の生き方と先祖への感謝を緩やかに教え、互いに巧くとけ込んで神仏混合して 穏やかで冷静。苦難に耐え立ち向かう国民性を作ってきたのです。 特殊ではありません。世界に誇れることです。 日本人は宗教を生き方・考え方と自然と一体・曖昧化してきたのです。 布教なんかそんなにしなくても、仏教の宗派に大差はなかってのです、 神道の教義も宗派もありません。 布教だ教えだ、しきたりだと殊更に言うのは、 多分に明治以降の思考からでしょう。
お礼
回答ありがとうございます.奈良時代に仏教導入をめぐって国を二分する争いがあり,平安時代には先進の思想として受容され,鎌倉期には優れた思想を持った名僧が次々現れ,ときに激しく論争しました.いまの日本の仏教界に,そのような救国の意気はあるのでしょうか.
- hunaskin
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>我々には宗教は本当に必要なのでしょうか? 我々、ってのが誰の事を指しているのかわかりませんが、宗教を必要とする人々が存在するから各派宗教法人や法人化していない宗教が成り立っているんでしょうね。 個々人がどのような理由で宗教を求めているのかはわかりませんが 必要のない人にはわからない事情があるんじゃないでしょうか。 心の安定だったり、友人作りだっり、自らを見つめる方法だったり、金もうけの手段だったり。 「日本人にはパンが必要?食べ過ぎれば太るし、米もそばもあるmmだからいらないんじゃないの?」という質問があったらどのようにお答えになりますか?
お礼
回答ありがとうございます.パンや米は絶対必要ですが,酒・タバコ・コーヒーは必要不可欠とはいえません.世界の多くの民族にとって宗教は重要なようですが,日本人にとってその存在は希薄で,宗教者ですら意識が薄いように感じるのは私だけでしょうか.(ひとくくりにするのは危険ですが)日本人にとって,宗教は必須なのか,多くのヒトには不要なのか,考えさせられるこのごろです.
お礼
回答ありがとうございます.「天皇家」の存在があるから,日本人は特別だ,ということでしょうか.私も一部,同意いたします.日本人は,先祖を敬い,お互いにいたわりあう気持ちが強いようですが,その反面,おそらく日本に,真の宗教者はいないのではないか,と思っていますし,また必要ないのでは,と考えています.多くの仏教寺院の有様を見てください.
補足
天皇陛下が自主節電する,御用邸のお風呂を開放する,御料牧場の作物を被災地に供出する,とおっしゃったそうです.「これはありがたい,すごい」という反応が広がっています.ちゃんと天皇制が機能していることがわかりました.どんなに政治家が無能でも,天皇が世俗の権力を超越して廉潔な姿勢を貫き,祖先を敬う儀式を続ければ,日本はまとまっていける,と,納得しました.世界に例を見ないシステムをそなえた先進工業国です.一方,失うものもあります.既存宗教が解体してしまうこと,無能な総理大臣が国家存亡の時期に,2週間も国民に語りかけず姿を消してしまっているが,あまり問題にならないこと,おなじく当事者である東京電力の社長は過労だそうで2週間姿を見せませんが,こんなこと海外では絶対許されないことでしょう.それでも責任を追及する暴動が起こるわけでもなく,日本社会は動いていってしまっている.これがいいことか,わるいことか...