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宗教てなんですか? 信じる・信じない・必要とする・必要としない・・・
イスラム・キリスト・仏教・ヒンズー・・・ ETCと世の中にはたくさん宗教がありますが、人は何故、宗教を信じるのでしょうか?または、何故必要とするのでしょうか?漠然とした質問ですみません。宗教をさほど重要な位置付けにしない日本人もいれば、他国のように宗教のことで争ったりしてる人たちも居ます。 何故これほどまで宗教に対しての意識の違いが起きるのでしょうか? 人が亡くなれば寺等で葬式はしますが、自分の家が日蓮宗だから日蓮宗のお寺で・・みたいな流れで代々から継がれて与えられてるから・・・与えられてる宗教で・・・という感じの認識で行ってると思います。 だけどそれは、外国の人たちのような宗教観とは違うものだと思うのですが・・・ 他国からは日本のような宗教観を持った人たちのことをアミニズムというそうですが、、、未熟な宗教観とはどういう意味でしょうか? そもそも宗教観に未熟てあるんでしょうか? イスラムもキリストもユダヤもヒンズーもどれもみんな肯定も否定もする気もないのですが、、そんなに目くじらててこっちの宗教が本物だ!みたいな事を言い合う理由が分かりません。 だんだん混乱してきました。 人間にとって一体、宗教て何ですか??
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宗教の発生は「どうして」と言う疑問から始まる一種の擬似科学で、あらゆる人類の集団が体験しています。 当初の宗教は現世利益の追求を目的とし、なぜ日が昇り降りし季節が巡るのか、自分達の判り易い様それを解釈し利用する(暦等)事が行われて行きました。 そういった漠然とした「人間より上位の存在があり、その存在を理解する事により自然現象への対処ができる」といった考えでは、多数の上位者の存在が普通であり、その意味でアミ二ズムは原初的と言われます。 民族や集団が競合し合う地域においては、様々な覇権が興亡をして行く中で、他の神を排除して行く一神教が必然的に主流を占めて行く事になりました。 しかしながら一種の宗教であった科学が発展し、実用上の「性能」では他を圧していった為、科学と宗教は分離・並存の時代となり現在に至っています。 日本においては前述の覇権交代がそれほど無く、「和」を優先する風土の中で宗教間の争いはそれ程過激には行われませんでした。 一神教宗教は元々利益共有と言うマルチ商法的側面があり、入った人間は必死になって仲間を増やして行こうとします(膨張集団の原則)。 以上の様な事情で、世界的に見れば日本の状態が例外であると言う事は、質問者さんも認識されておいた方が良いと思います。
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- cebuiland
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私は、宗教と教えを区別したいと思います。本来の教えとは、私なりに理解していることとして、人間のモラリティに対する享受(神からの)であって、善と悪の区別、人々が争うことなくなかよくいきるためのものであったのだと思います。 しかし、ある人間の解釈が、付け加えられたこと。また、政治的、利己的な解釈や、宗教のそれを利用することによって自分の思う方向へ持っていくために 政治的に利用された人々が、そこから言い争うようなことをすることと、信じるあまりの盲目的考えが、そのようなことを引き起こすのではないかと考えます。 宗教の前提が、信仰心である以上、信者は、ある意味で盲目になります。しかし、宗教の目的は、平和な社会の形成と人々の調和、魂の浄化のはずなのが、争いと憎みあいになって、商売化してしまっていることに寂しさをかんじますし、知識のみに走るから、人に対して理論の競争になってしまっている事実があります。しかし、それは、宗教の原点ではないと思います。宗教には、本来 強要はなく、人々に知らせることで、人々の心に その言葉が届いたとき初めて、それを信じるか、そうでないかと考え、それを受け入れる人と、そうでない人が、区別されるわけです。本来、人間の最大の権利は、自由意志であって、強制されて行うことではないはずです。また、宗教の目的は人々との間での幸せの分かち合い精神であり、また、社会のなかで争いを持たず、助け合って生きていくための指針であって、命令ではないと信じます。それが、私の宗教観です。会員数を誇るのは、宗教でないし、それを持って言い争うのは、真の宗教ではないと私は、考えます。そこには、宗教における未熟とかの観念だけでなく、精神の成長と、モラリティの確立が、両立することが大事なのだと思います。いくら知っていても生活の上と人生において、正しいことが 実践できないことの方が問題です。少なからず、日本人は、それが出来る民族であるわけです。だから、日本では、そのような宗教が、広がらなかったのでしょう。でも、これからは、知りませんが。人生とは、全てが自己判断において生きていかなければなりません。ある意味で人間とは、孤独です。先がわかりません、その見えない部分を 参考書的におしえてくれることが、宗教ではないでしょうか?
- truth77
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>宗教て何ですか?? 明確に定義付けるならば、現代科学では証明のされていない「死後の世界」、あるいは「霊の世界」を含めた精神世界を扱っているのが「宗教」と言えます。 >未熟な宗教観とはどういう意味でしょうか? >宗教観に未熟ってあるんでしょうか? その宗教を興した教祖様の(「死後の世界」、あるいは「霊の世界」に対する)認識力(あるいは認知力)が低ければ、その宗教は「未熟な宗教観」となります。 >何故これほどまで宗教に対しての意識の違いが起きるのでしょうか? 意識の違いが起きているのは宗教観に限ったことではないです。 たとえば、「公共マナー」についてはいかがでしょうか? 人によって、ずいぶんと意識に差があると思いますけど。 >宗教のことで争ったりしてる人たちも居ます。 たとえば、各自が「私の『公共マナー』意識が絶対に正しいのだ!」と主張し合ったらどうなるでしょうね? 国や地域が違えば「公共マナー」とされていることにも違いがあってしかるべきと思いますが、こうした「違いがある」という認識なしで、二者が自身の主張を押し通そうとしたら、どうなりますかね? こうした認識さえないならば、それは「未熟な宗教観」と言われても仕方ないでしょうね。 >目くじらててこっちの宗教が本物だ!みたいな事を言い合う理由が分かりません。 国や地域が違えば生活習慣も違いますので、その地域に適した「公共マナー」が形成され、その地域の治安が維持されたりする訳です。 ですが、他所から、その地域に適さない(治安が乱れる)「公共マナー」が入り込んで来て、それを「正しい!」と信じ、実践する人が増えて来たら、その地域はどうなりますか? その地域の治安を守るためにも、「悪い思想」の拡散を全力で阻止しようとはしないでしょうか。 ある地域では「正しい」とされることであっても、他の地域では「間違い」となることもあるもので、そして、その思想の入り込みを排撃することが正解なこともあるのです。 宗教間の争いには、こうした感じと似た様なところがあります。
- michael-m
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今のイラクなどを見れば想像できると思いますが、宗教は政治体制や思想と深く結びついていました。しかも旧約聖書の人類発生を見れば分るように純粋な民族だけが神の子と解釈されていたのです。ですから宗教の違いはそのまま、政治や思想・民族の違いですから排除しなければなりません。 これに対し中国や蒙古などでは、民族を根絶やしにする事はありませんでした。チンギスハンの軍が複数の民族で構成されているのを見ても想像できるでしょう。 また、キリスト教が他民族の神を悪魔と称した(悪魔の象徴であるシカの頭の姿や黒猫などはヨーロッパの民族の神であった)のに対し、アジアなどではインドの神をみて分るように、自らの教えに懐柔して神にしています。またそれによって他民族を支配してきました。 本来、信仰の対象である神は太陽光のようなものです。宗教とは太陽光をプリズムに当てた後の七色の光のようなものです。赤や青があってもどちらも神(太陽光)であって、どちらも神ではありません。 人間にとっての現在の宗教は、太陽光を赤だ、青だといって争っているようなものです。まだまだ未熟な時代なんです。
- qaz_qwerty_me
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宗教、神・・・ 簡単に答えるのでる話題でもないし、時代によって違っているものだと思います。 私は無宗教と思っていますが、我が家や親戚も仏教ですから、葬式はお坊さんにお経を唱えて頂いています。 でもクリスマスなどキリスト教の行事もしている普通の日本人?と思っています。 宗教感で大きな問題は、一神教か多神教かという点が大きな問題ではないでしょうか? 一神教では、神は唯一の存在ですから、異教徒は悪になります。 そうなれば悪( 異教徒 )を倒すことは神の意思ですから、戦争やテロも躊躇なく実行すると思います。 911テロも、まさに神の名前を唱えてビルに突入しているようで怖い思いがします。 また、狩猟民族と農耕民族の違いも宗教感には大きな影響があるように思います。 > そんなに目くじらててこっちの宗教が本物だ!みたいな事を言い合う理由が分かりません。 この点にこだわるのは一神教のキリスト教などで、自分の信仰する神以外を信仰している異教徒は悪だからではないでしょうか? > 人間にとって一体、宗教て何ですか?? 『人間が死んだどうなる?』という問いに、誰もが納得できる答えがないので、それを説明する物語として、神や宗教というものが自然に生まれたのではないでしょうか?
- kentkun
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自分がこれまで様々な人々と関わってきて、その結果得た確信は、宗教者は「神または教義」が一番その人にとって大事なものだと思いこんでいることだと思います。 普通の我々宗教をあまり熱心に信じていない凡人にとって、一番大事なものと言えば「家族」だったり「お金」だったり「健康」だったり、とにかく宗教よりは必要度が上位のものがあるものですが、宗教者は「神または教義」が第一に大事なものとなります。 そもそも、宗教は無知から発生したものです。 台風が来たり、干ばつになったり、大雨になったり、その気まぐれな自然に振り回されてきた古来の人間は、そういう自然の猛威を恐れ、大自然からみたら米粒のような命を守るために「祈り」という行為をすることでしか不安から逃れるすべはなく、またそうすることによって心の安定を保ってきたものです。 でも、そういう行為を一部の機知に富んだものが大衆を支配し自分らの利益の為に誘導させるために「神」というものを創り上げ、それを利用し広めたんだと思います。 実際の話、現代でも「霊」を見たなどという嘘つき(一部は嘘ではなく思いこんでいる人もいる)をマスメディアが喜んで取り上げるものですから、そういう嘘を信じている人もいます。 本来は「命」を守るために祈ってきた行為が、今では神の名の下に「自爆テロ」を決行したり、宗教の組織に入っているというだけで「選挙の投票運動」にかり出されたり、初めは純粋な善意の宗教者だった人たちが、知らぬ間に洗脳され、宗教組織の指導者のまたは組織の利益の為に動かされている、それが宗教の世界の現実だと思います。 もう一度書きますが、宗教は無知から発生したものです。
>宗教てなんですか? これまたそれぞれの宗教によって捉え方が違うと思います。 それが宗教なんじゃないかな。 「こうです」とは一概には言えない物だと思います。
お礼
ありがとうございました。
- moon_night
- ベストアンサー率32% (598/1831)
あなたの好きな人が中傷されれば嫌ですよね? そういうことだと思います。
お礼
ありがとうございました。
- mn214
- ベストアンサー率23% (306/1302)
宗教は単にその人の“心の拠り所”的なものだと思います。 特定の宗教を信じることによって、心の安定が訪れるのであれば信じれば良いと思います。 結局は信じる人は信じれば良いですし、信じない人は信じなければ宜しいのでは。 貴方自身が仰るように、そんなに目くじら立てて考えなくても良いのでは。
補足
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。
補足
漠然とした質問を投げかけたのですが解答いただきありがとうございます。 日本のような感覚の人は稀だというのも存じてるつもりではいるのですが。あまり読解力がないのかもしれないのですが・・・ご解答者さまの書いてある事を自分流に理解してみました。 大昔ではまだ、科学というものが無いので太陽が昇るとか、暮れるとか、地震や雷のような自然現象に(?=どういう意味か・何故起こるのか)に疑問を抱き、人間よりもっと大きな上位の存在が創造してるんじゃないか?という方向に考え方が進んでいき、最終的に「神」が考えられたんですね。 そうですね。私たち現代人にとって宇宙がどうなつてるかや、地球がどうなってるかまでロケットに乗って見ることが出来るから疑問を持ちませんが、大昔の人はそうじゃないですもんね。そういう自然現象を解くために神が考えられたというのは理解できます。それを理解することで自然現象に対応できるようになるという考え方も理解できます。 そういった考え方が存在しはじめたころ大陸では民族間の争いなどが起きたりして、自分たちが信じてる「神」を軸に争いをしていくことになっていったということでしょうか? 日本みたいな「島国」=孤立してるということも宗教上、何か無宗教感覚の人が多いというのも、あるのでしょうか? 無知な質問ですみません。