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天皇・帝が弔問のために足をお運びになるのはいつから
- 陛下が他者の弔問に足をお運びになるのは、いつから普通だったのでしょうか。
- 陛下が他者の弔問に足をお運びになるにしても、相手の位によって直々にいらっしゃるか勅使・弔電にするか、線引きはどの辺にあるでしょうか。
- 太古の昔から、いとこの不幸に出かけるのは例え天皇陛下といえども当たり前のことだったのですか?
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天皇が皇族やさらには臣下の死去時に駆けつけることは歴史上当たり前にありますよ。 日本の皇室は中国と違って儒教的な形式による権威付けの影響があまりなかったので。これは、形式による権威付けが必要ないほど日本の皇室がより安定していたということも大きいでしょう。 全体としては、皇室なんかよりも、江戸幕府などのほうがよほど形式に拘っていたのでは。(江戸幕府もそこまで形式にこだわってはいませんが。) 「天皇は簡単に出かけられない」という価値観がもしあるとすれば、それは、太古からあるものではなく、むしろ、明治時代に「創られたモノ」でしょう。 本題とは直接は関係ないですが、個人的には、質問文中で使われている敬語表現や「薨去される」という文語体の最上級の敬語の中にあって、「お悔やみ申し上げる」という口語的な丁寧語はそこだけ釣り合ってないようでかなり違和感を感じます。「薨去」という表現を使うなら「哀悼の意を表します」だと思います。そもそも、崩御、薨去という言葉は、基本的には臣下が口に出してはいけません。口語では「お隠れになられる」です。
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- trytobe
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別に、今上天皇陛下が最高位なわけではありません。現時点での唯一無二の国民の象徴であるだけです。 その今上天皇が、いとこ、つまり明治天皇の孫同士の関係である桂宮殿下の訃報に触れて、自ら向かうことに何の問題がありましょうか。 天皇陛下を現人神として神聖化することで施政していた大政奉還~昭和20年8月15日ではないのですから、そういう天皇陛下の行動が逐一マスコミで報道される、という世の中になっていることにこそ、危惧されたほうが良いかと思います。 それまでは、神聖化するためか否かに関わらず、そういう出来事は下々にまで伝わることもなく、その必要性もなかったのですから。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 >天皇陛下を現人神として神聖化することで施政していた大政奉還~昭和20年8月15日ではないのですから、そういう天皇陛下の行動が逐一マスコミで報道される、という世の中になっていることにこそ、危惧されたほうが良いかと思います。 >それまでは、神聖化するためか否かに関わらず、そういう出来事は下々にまで伝わることもなく、その必要性もなかったのですから。 その点は私も同じ考えの持ち主です。私は特に天皇信奉者でもなく、陛下について話すときに「敬語が足りない」と言われないようにものすごく気を使うくらい、もともとは「人間の一人」くらいにしか思っていませんから。 ただ私が役員秘書をしていた時の感覚で言うと、社長が参加するか副社長が参加するか、会長が行かないと失礼になるか、逆に相手が部長クラスなのにこちらが社長が行くとバランスが取れないか、社交儀礼的な配慮というものは必ずあると思います。 (天皇陛下が最高位、というのも言葉のあやですよ。内閣総理大臣だって経団連会長だってPTA連合会会長だって陛下には社交的な敬意を払うでしょう? 心の内面はともかくとして。) 仮に陛下がご自分で「いとこだから行きたい」とおっしゃっても、行けるかどうか決めるのは側近でしょう? 「通夜に早速駆け付けるのは軽々しいので、葬儀に出れば充分だ」 という判断もあり得るのではないか、というのが私の質問の趣旨です。 逆にうがった見方をすると、 陛下の行動が逐一マスコミで報道され、下々にまで伝わる ということを苦内庁が計算して、 行かないという選択肢もあるかも知れないが、 行かなかったら行かなかったで現代日本人はあまりよく思わない ということまでふまえて 天皇だからといって特別ではなく、世間と同じ感覚で弔問に行く と決定したのかどうかを知りたいのです。 それに歴史カテゴリーに立てさせていただいたのは、 昔から、天皇陛下がご親戚の弔問に自ら訪れるのは普通だったのか 人間宣言の後の大きな変化なのか そこも知りたいということなので、皆様よろしくお願いします。 私は仮に、 今回の件で陛下が自らの代わりに勅使を立てたとしても、 堅苦しいな、と少し思うくらいで、 天皇のお立場ならそんなものかな、と受け容れられた と思います。 芸能人や赤塚不二夫さんなどの「偲ぶ会」で、 今○○さんが到着しました! というテレビ中継が入ることがあるじゃないですか。私はあれが大嫌いです。参列すること自体が「イメージ維持活動」を兼ねている印象があります。今回のニュースでも同じことを感じたので質問させていただきました。 昔から、こうした弔問は普通だったのか、昭和以降に見られるようになった天皇家のルール変更なのか、教えてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 敬語表現の件も詳しくご指摘くださって、ありがたいです。 「お隠れになられる」は頭をよぎったのですが、薨去よりもなんとなく恥ずかしくて避けてしまいました。薨去は文語的で、しかも基本的には臣下が口に出してはいけないのですか! 全然知りませんでした。今回のニュースの際にはテレビの中で1人だけ薨去を使っていましたね。皇居と音が一緒だからややこしいな、と一瞬思いました。 最上級敬語とか最高敬語って古文の中では習いましたが、日常ではなかなか使う機会がなくて、使うとき緊張します。 ニュースの中、新聞記事の中での敬語も、皇族として扱っているのか著名人として扱っているのかよくわからないことはあります。お名前だけを愛子さまとするだけで、さまがひらがななのもよくわからない(敬意をうさんくさく思わせないように、ソフトにするため?)ですし。 別の機会に「陛下も食べていました。」というニュースもあり、それはさすがに、「陛下という尊称とのバランスが取れないのではないか」と感じました。 私が同じことを感じさせてすみません。 皇族の場合、ニュース口語では「お隠れになられた」とは絶対に言わず「亡くなった」でしたね。もうそれが「普通の敬語感覚」と思っておきます。 >天皇が皇族やさらには臣下の死去時に駆けつけることは歴史上当たり前にありますよ。 >「天皇は簡単に出かけられない」という価値観がもしあるとすれば、それは、太古からあるものではなく、むしろ、明治時代に「創られたモノ」でしょう。 なるほど! まあ私がそこまで皇室に敬意を払っているのかというと払っていないのですが、私の感覚が戦後教育でもあるいは家庭教育でも作られたものかも知れませんね。 本来「天皇は簡単に出かけられない」というものではない、とおっしゃってくださっているようで、すっきりしました。