- ベストアンサー
この後の者にも
「後なる者は先に、先きなる者は後になるべし。」 馬太傳(マタイ伝?)第20章第13・14章 比喩なのか、思想なのか、良く判りませんが、ここで言われている意味は、どのようなものでしょうか? それと、プロテスタントでは、これは否定されているのでしょうか? 宗教の事を全く知りませんので、恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
当該箇所は、「ぶどう園の労働者のたとえ」の一節ですね。 日本聖書協会「新共同訳」より引用します。 20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 ということで、きっと自分は神の国に入れられてあたりまえだと思っている人は、実は後回しにされ、自分はふさわしくない、自分は入ることができないと謙虚に思っている人のほうを、より先に神は顧みてくださると、イエスは言っているのだと思います。 プロテスタントもカトリックも変わらず、大事なイエスのことばです。
その他の回答 (3)
- Ecclesiastes
- ベストアンサー率23% (17/71)
>倹約の精神から、気前のよさには否定的 ウェーバーテーゼから、そのようにお考えになったのでしょうが、あのアメリカでさえもプロテスタントでありつつ社会活動などを行う人もいますし、寄付活動は積極的です。 日本の社会活動家で著名なプロテスタントも結構いますよ。
お礼
いやいや、お恥ずかしい。 カトリックとプロテスタントの違いを知らないと、単純な思い込みに陥るわけですね。 それにしても、「あのアメリカ」この話は忘れているようで、あっと天国の話でしたね。 有難うございました。
- vipula
- ベストアンサー率35% (45/128)
2の方が詳しく回答なさっているとおりだと思います。 私はクリスチャンではありませんが、この一節は、他の信仰をもつ方や無信仰の人にも、納得できる含蓄があると思います(クリスチャンにとって、キリストの言葉を卑しめていると感じられてしまったら、ごめんなさい)。 不幸そうな他人を見て、「自分はああはなりたくない」とか「ああならなくてよかった」と思い、無意識にせよ、自分の境遇を誇ってしまう人よりも、自分の行いを素直に見つめられる謙虚な人の方が豊かな人生をおくれる。 以上のような意味合いとしても理解できると思います。
お礼
ご回答有難うございます。 謙虚さが大切ですね、私も思い出しました。 約束のものを与えられ、それに不満を感じる事を戒めているのですね。 「この後の者にも」から、「今後の為に」といった意味合いを受けた為、別の部分が強調されてしまったようです。
- Ecclesiastes
- ベストアンサー率23% (17/71)
参考になりそうなページがありました。 「この最後の者にも」(ラスキン)という本もあります。
お礼
早速ご回答、有難うございます。 ラスキンの本を読み始めて、これを理解する為の質問でした。 兄弟の話が出ていましたが、もっと広い範囲の内容だと思います、それに、与える為にそもそも所有していることの説明も無いですね。 神を信じない人には理解不能なのですかね。
お礼
詳しいご回答、有難うございます。 朝から働いた人が、不満を持ってしまう部分は、現在で言えば、当然の事ですが、不満をもたない謙虚さが大切なことは理解できます。 でも、人間の悲しい「サガ」、翌日、朝から働く人はいるのでしょうか?それでも天国は成り立つわけですね。 プロテスタントでは倹約の精神から、気前のよさには否定的なのかと思っていました。