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マタイ5章15-16:信徒の光と行動
- マタイ5章15-16について教えてください。
- この言葉は「我々信徒は模範となる行動によって、人々を正しい道に導きなさい」ということでしょうか?
- 言葉による布教などおこがましく、行動によって天の父の素晴らしさを示しなさいという風に解釈したのですが・・。
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聖書の言葉は難しいですね。ここで主イエスが語っているのは、私たちの「立派な行い」(良い行い、美しい行い)を人々が見て、その結果、人々は天の父を賛美します。ここは主イエスの理想主義が描かれているとみることもできます。主イエスは私たちを全面的に信頼されています。人は信頼されていればこそ行いにおいても良くあろうと努力するのでしょう。 ここで私が説教するのなら、こうかな。 私たちはどんなに良い行いをしても模範たり得ません。その行いも決して良いものとは言えません。しかし、そのような私たちでさえも、神の光を反射することができるように、造りかえてくださるのです。それを信じてしたたかに世の光、地の塩として生きてください。 どうぞ、まあ、良い行いとか模範的な行動とか気にせずに、もっと気楽にキリスト者生活をなさってください。キリスト者の根本は「喜び」なのですから。
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- masa20061001
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> この言葉は「我々信徒は模範となる行動によって、人々を正しい道に導きなさい」ということでしょうか? そうです。言葉に行動が伴っていないひとは、たくさん居ます。言うだけではなくて、率先して行動することによって、良い行いの大切さを他のひとに伝えなさい…ということです。 「○○はダメ…」 という教義的なものではひとは動きません。ひとの感動を呼び起こし、「自分もそうなりたい…」 という自発的な念を起こさなければひとは変わらない…という意味合いもあるかも知れません。 主イエスは、常に行動することの大切さを説いていらっしゃいます^^
お礼
私や妻、実母、義父、義母もクリスチャンなのですが、特に妻の両親が熱心で、教会で多くの奉仕をされています。 すごい行動力で、私が同じように真似できるものではないと尻込みしてしまいます。 でも、人との比較ではなく、自分が出来ることを少しずつ行動に移して行きたいと思いました。 ご回答いただきまして、ありがとうございました。
- MoulinR539
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こんにちは。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書を読んだときの感想をご参考までお伝えします。これは山上の垂訓の一説ですね。私も質問者さんと同じように読みますが一点だけ。 キリスト教は言葉による伝道や信仰を否んではいないと思います。特にヨハネ書では冒頭に明確に言葉の力を称えていると感じました。ただし、単なるおしゃべりではなくて魂のこもった言葉、人と人との関係がしっかりと成り立つときに伝わる言葉です。 私はマタイ書の古拙が好きですが、簡潔な表現が多くて分かりにくいところも多くあります。ルカやヨハネまで読み進めると違う言葉で説明されている事柄も多くあります。ともあれ先に4福音書にざっと目を通してから、もう一度じっくりと読み直すのも一つの手段だと思います。
お礼
アドバイスをありがとうございます。 聖書を毎朝少しずつでも、読み進めていこうと思います。
お礼
はい。ありがとうございます。 肩の力を抜くことも大切ですね・・。 良い行いを、無意識にサラリと出来るようになりたいものです。 ご回答をありがとうございました。