No.9です
わざわざお礼を記入頂き有難うございます。
お礼の中にご質問がありましたので、説明させていただきます。
>江戸の影響がない室町以前の日本人の気質は今と違っていたのでしょうか?
異なっていたというか、現在まで影響を及ぼしている要素の原点が室町時代に形が整ったと考えた方が良いかと思います。
歴史好きで政治史好きの人たちにはあまり人気がないのが室町時代です。
歴史民俗学や文化史のジャンルでは、現在日本の文化とされているものの原点が確立されたのが室町時代とされています。
気質の形成という意味ではむしろこちらの視点から見た方が分かり易いかと思います。
茶の湯、華道、水墨画、などいわゆる床の間文化は室町時代に確立した書院造が原点です。
以降武家屋敷から現在のマンションの和室に至るまでこの流れは受け継がれています。
芸能の世界では、能楽、歌舞伎の原型もこの時期に出来上がっています。
室町幕府は確かに京都にありましたが、他の時代の政権とは異なり、日本全域を統治するという意想が著しく欠落していました。
室町幕府の関心は京都地域のみでした。
歴史学者の中には室町時代には国家が存在しなかったと言っておられる方もおられます。
結果として京都以外の地域では地域ごとの自治組織が著しく発達しました。
武力集団である武家はやがて群雄割拠と呼ばれる時代を迎えます。
女王卑弥呼の時代から平安時代まで続いた王朝を中心とした政治体制が崩壊した時期です。
鎌倉幕府は鎌倉に置かれて全国を統治していました。
室町幕府は鎌倉公方と呼ばれる、将軍と対等の権力をもった人物が東日本を統治するというスタート時点から中央政府としては異質な政権でした。
庶民の間では農村という形態が確立し、内部に自治組織が形成されました。
現在は市町村合併などで分かり難くなっていますが、いわゆる農村の風景が出来上がるのもこの頃です。
この自治組織では、代表者を入れ札、すなわち選挙で決めていました。
日本人というのは15世紀にはすでに選挙という制度になじんでいたことになります。
これが明治以降の近代化に絶大な影響を及ぼし、東アジアで日本だけがすんなり近代化を成し遂げた原動力となりました。
古くは奈良を始めとして京都も大阪も人工の都市として誕生し発展してきました。
室町時代に貨幣経済が著しく発達しました。
都市というのは、経済すなわち商品の売買が基盤となります。
農林水産などの一次産業を基盤とする社会とは当然、社会習慣や価値観が異なります。
関西と他の地方との間で、この点での相違が固定化するのが室町時代です。
関西地方は、京、大阪を中心とした都市文化が主体です。
農村の形が整った日本の各地と,関西地方との文化といいますか、風俗、習慣、価値観、気質などの差異が顕著になり始めた時期だ、といえるのかも知れません。
江戸幕府はこの農村を主体とする藩を統治することで全国を統治していました。
京都、大阪は藩とはせずに、幕府の出先機関を置いただけでした。
以上がざっとした説明です。分かりにくい点がありましたら補足をお願いします。
お礼
大変丁寧なご回答有難うございました。 やっと質問への真面目な回答をしていただけました。 やはり江戸時代から近代にかけて東京地域が力を得たことが大きな理由のようですね。 ということは江戸の影響がない室町以前の日本人の気質は今と違っていたのでしょうか?