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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:エジプトのジャポニカ米についてお尋ねします。)

エジプトのジャポニカ米についての疑問

このQ&Aのポイント
  • エジプトではジャポニカ米を栽培し、食事に取り入れているそうですが、いつから食べられるようになったのでしょうか。
  • 日本の稲作は中国から伝わったとされていますが、古代エジプト文明との関連性について考えることはできるのでしょうか。
  • エジプトのジャポニカ米に関する詳しい情報をご教示いただけませんか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

 エジプトは、世界第3位の米輸出国です。輸出はインディカ種、国内消費はジャポニカ種が主流です。  昔はインディカ種が主流でしたが、二つの世界大戦の戦間期に、人口増加による食糧不足が深刻化したとき、政府主導で反当たり収量の多い日本種の作付けを始めた。それが今日にまで伝わっている。   金持ちは麦のパンを食べ、貧乏人は米を食べると、一時期言われてました。終戦後、日本も 米不足で、エジプト米輸入していました。現在でも、北アフリカの邦人ではエジプト米、愛用されています。 国際協力機構JICAのサイトには、下記のように書かれています ↓ エジプトの米は日本から-エジプトの農業と稲作、日本の協力-(その2) 2008年10月22日 2 エジプトにおける稲の品種 エジプトで栽培されている米の約8割は日本と同じジャポニカ米で、主として国内で消費されています。約2割のインディカ米は主に輸出されています。 エジプトの米は、1917年にYabani(ヤバニ)という品種名の日本のジャポニカ米を元に品種改良が進められました。「ヤバニ」はアラビア語で「日本」です。中でも、1954年、Yabani M47がNahdaと命名されてエジプト政府の栽培奨励品種となり、約20年間、エジプト稲作の基幹品種となりました。一時は、全作付面積の95%に普及したほどです。その後、同品種を親として育成されたGiza171及びGiza172が主要品種となっています。この間、外国種と交配し輸出用として長粒品種が数種育成されましたがほとんど普及しませんでした。1970年代後半、日本から「レイホウ」という品種がGiza173として導入され、1980年代半ばには作付面積の約4割を占めるまで普及しましたが、1985年に「レイホウ」のみ稲熱(イモチ)病が大発生したため、1986年からエジプト政府が作付けを禁止しています。それ以降は、イモチ病抵抗性強化が主目標になり、再び長粒品種が作付けされるようになりましたが、エジプト国民には食味の点で好まれていません。 3 稲作分野の日本の協力 稲作に関する日本の技術協力は、主に生産段階の技術向上を目指す「機械化計画」と収穫後の処理技術向上を目指す「精米処理」の2分野で実施されてきました。特に機械化計画では、技術協力プロジェクトを1980年代から1990年代初頭にかけて10年にわたって実施し、途中、無償資金協力による施設建設及び改修を行うことで、稲作機械化に係る営農技術、機具の保守・操作、機械化に適した品種実験、経済的考察等が行われ、機械化農法の確立に至っています。 エジプトに対する稲作分野の直接的な協力は、1996年の無償資金協力「米作機械化センター建設計画」フォローアップを最後に終了しており、また、農業機械などを供与する食糧増産援助(現在の「貧困農民支援」)の対象作物についても1995年度から米は外れています。他方、1987年から稲作技術、1994年から精米処理に関するアフリカ向け第三国研修が実施され、日本はこれらの実施を支援しています。 (参考) 日本の協力実績(稲作関連概略) (1) 米作機械化 1981年~1992年 技術協力プロジェクト「米作機械化計画」 1982年~1996年 無償資金協力「米作機械化センター建設計画」 *設計~フォローアップまで断続的に実施 (2) 精米処理 1983年~1985年 無償資金協力「精米技術訓練センター建設計画」 1994年~2003年、2007~2009年 アフリカ向け第三国研修「精米処理技術」 (3) その他 1990年~1992年 無償「米貯蔵センター改善計画」 1987年~2006年 アフリカ向け第三国研修「稲作技術」 . http://www.jica.go.jp/project/egypt/0702252/news/column/081022.html

その他の回答 (3)

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (679/1423)
回答No.4

 エジプト文明の農業は、ナイル川が定期的に氾濫する事(洪水が起きる)に目を付けた氾濫農耕(大規模な治水工事や潅漑水路維持に労力を割かなくても済む)ですから、日本の様な水田(収穫までの長期間に渡って継続的に大量の水を供給する潅漑水路の構築と洪水などで破壊されない治水工事が必要)とは、真逆な思想だったりします。  連作被害に注意(氾濫農耕はこの点を解決してくれる)していれば、ある程度乾いた地域でも作れるのが小麦の利点ですし。  ちなみに、小麦はメソポタミア文明・エジプト文明で栽培されるように成った物が、シルクロードの開設に伴い紀元前1世紀頃に中国に渡り、弥生時代ごろの日本にも伝播(遺跡から発掘されている)しております。  (米の原産地は中国・インド・ミャンマーの国境付近の山岳地帯[1万年以上前の稲籾が発見されている]であると言われていますから、小麦とは逆の経路を辿ったかと。)

  • wy1
  • ベストアンサー率23% (331/1391)
回答No.3

終戦後配給された小石だらけのエジプト米は”長細い”米で、所謂日本米とは全く違う米でしたね。まずくて、食べるのに苦労しました。 恐らく、近年日本米を栽培するようになったのではないでしょうか。

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.2

米の属名は古代ギリシア語(ラテン語)のOryza から来ています。 古代ギリシア人は米を既に知っていましたが、栽培に興味を示さなかったのです。(気候的理由) ピラフと言うのはスペインの料理です。 残念ながらスペイン語のアロス(米)はアラビア語なのです。 (13世紀に南方から進入してきた。) 当然、エジプト人は消滅し、現在のエジプトにはアラブ人が居住しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD 戦後にJICAが日本のレイホウと言う品種がエジプトの気候に合う事を発見して広がり、 8割が日本種と言う珍しい事になったのです。

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