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主張しない日本人
こんにちは、 よくものをはっきり言わない日本人と言われますね(このごろそうでもないかもしれませんが)。 対して、外国人ははっきり主張する、と。 この場合の外国人というのは、おもに西欧の人たちを意識していることが多いようですが・・。 ちょっと疑問に思いました。 1,はっきり主張しないと言われているのは、日本人だけなのでしょうか? 他にも似た文化の国なり民族があるようにも思います。経済大国なので、目立つだけなんじゃないかと。 また、自己主張と言っても、文化圏でなにか違うことがありますか? イスラム文化圏と欧米では同じなんでしょうか? 例えば、イスラムではこういうことは主張するのは良くないみたいな道徳的制約あるとか、そんなのがあって違いますか? 2,欧米は自己主張することを教えられると言います。それはたぶん歴史的には権利章典などで習いましたが、ああいう最初は貴族が、次に市民階層が権利を獲得する過程や、教会などの裁判制度の過程でそうなったんだと思いますが、そうなると市民革命のないような時代で、教会が絶対的に強かった中世くらいまでは、ヨーロッパの人も、村社会的で自己主張しないで周りと合わせることが美徳とされ、そうしていたのでしょうか? いつから、主張するという権利というか、ほとんんど義務になってしまっていますが、そうなったのでしょうか? 3,上に関連しますが、西欧の個人主義は、いつから出来たのですか? 村社会的な共同社会では出来にくいと思います。
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わたしはアメリカに高校生から移住した日本人でアメリカの現地高校に通っています。今年で4年になりますがやはり日本人とは根本的に違うようです。 1.イスラム圏(ムスリム)は基本的に宗教を第一とした生活をしています。それに反した考えを持つことはあまりないようです。イスラエルとパレスチナ人の争いを描いたドキュメンタリーフィルム「Promise」ではイスラエル人もパレスチナ人も大いに自分たちを主張していました。また友人にインド人や中国人がいますが、欧米人と同じような主張をしています。 2.欧米(特にアメリカ)では日本における「沈黙は金、雄弁は銀」という教えと反対の考えを持っています。つまり雄弁、喋ることが相手に意思を伝える全てであり、沈黙は自分の考えを放棄、もしくは存在を放棄していると言うような考えです。市民階層が権利を取得するのは産業革命のころ、市民階層が生産能力を向上させたあたりからです。労働者たちは組合などを作って意見などを主張しました。また、フランス革命の時はカフェやサロンで議論したり、個人新聞をだしたり、パンフレットを発行したりして意見を主張しました。その主なものがジャコバン派であり、ジロンド派であります。それ以前のヨーロッパはローマ帝国やフランク帝国などの大きい帝国が支配していて、国の力が絶対王政という王、皇帝が全ての権力を握る、というものでした。そのときは貴族もあまり主張をせずに皇帝や王に追従していました。またその当時の市民、農民は政治にあまり関係しなかったので意見を持たなかったそうです。 3.西欧の個人主義はおそらく産業革命からできたのではないでしょうか。そのころから資本主義が現れ、個人の貧富の差がそのまま個人主義ができたのだと思います。 また日本人の沈黙主義は戦後にGHQがさだめた教育法と、敗戦のショックが影響して強まったと聞いています。
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- gardenernaga
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世界中をかけまわった、あるジャーナリストによると ・ニューギニアの高地原住民 ・アラスカのエスキモー が日本人と似て「自己主張をつつしむ」文化だそうで、これと一番対照的なのが ・アラビアの遊牧民 とのこと。
お礼
ありがとうございます。 やはりそうした民族もいるのですね。ネパールとかチベットも中国人に比べたときにはそんな感じがありますけどね(ダライラマの本を読んでいると、政治的にやたら長けた中国人に一捻りされる木訥な人たちという感じですけど)、どうなんでしょうね。
>自分の意見のない人は人としてだめだ これは、意見のない人が駄目なのではなく、「どーでもいいよー」って言っておきながら後で文句を言う人がいるからでは?(^_^; どうでもいいんだったら、他人がどう判断しようがそれに従えばいいだけですが、「何でもいいからジュース買ってきて」と言っておきながら、青汁を買ってこられたら怒る人がいますよね。 ああいうのが「意見は言わないと駄目だ」と言われる根拠になってるんじゃないでしょうか。 ゆえに、国として自己主張する国民性を身につけることが大事なのではなく、国際間コミュニケーション時にお互いの常識を押し付けあうことがいけないことなんじゃないかなと思います。 言わなくて通じるんだったら、別に言わなくてもいいと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 勝手なのは確かに困りますよね。
- PENPENMAKKY
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1・ 日本人は言い回しをしたり、はっきりとした言い方をしません。例えば「**に関しまして、○かもしれませんし、Xかもしれません。△を選んだ方が良いかもしれません。出来れば○にさせていただければ…」のような言い方をします。日本人同士なら「要は○ね」と理解するのですが、外国人からすれば何を言いたいのか判らないのです。 2・ 残念ながら存じません 3・ 欧米は日本以上に村社会です。個人主義を貫けば村八分です。村には村の掟が厳格にあります。ユダヤ人やロマが嫌われるのは村のルールを自分の宗教や思想を理由に乱すからです。欧米に行ってみると判りますよ。 面白い事例としては、欧米は日本より民主主義で個人主義で平等社会とほとんどの人が思っています。では、日本の自衛隊のトップはかつての大名や公家ですか?違います。試験や経験で上り詰めた頭の良い人です。これに対してドイツ連邦軍NATO代表はフォン・モルトケと言い、普仏戦争や第一次世界大戦時の参謀総長を務めた家の出身者で、門閥貴族です。米国、英国、フランスも同様に門閥がまかり通っています。 社会の底辺は個人主義があるかもしれませんが、上流階級や一般社会は掟社会なのが欧米です。
お礼
回答ありがとうございます。 欧米の上層部が村社会というのは、そうかもしれないとう気がいたしました。アメリカは知りませんが、ヨーロッパはそういうことを聞きますね。上層部だけだと思っていたのですが、逆に底辺だけが個人主義だというのは知りませんでした。
補足
欧米と日本以外の国についても、何かありましたらよろしくお願いします。
西洋人の精神構造については専門家からご意見があろうかと思いますが、逆に日本人について。 まず 「モノ言わぬ日本人」 というのは、戦後からではないでしょうか。 無論、中世から幕末まで続いたムラ社会、あるいは幕府の強権政治のもと、「長いものには巻かれろ」 式の思想が日本人の DNA の中にしっかりと植えつけられた経緯はあったにしても、少なくとも明治改革から先の大戦に至るまでの日本人は、国際社会に対して堂々と自説を唱え、理想に燃えていたように思います。 日清・日露戦争、第一次大戦への参加、国際連盟の常任理事国入り、満州事変のリットン調査団の報告に激怒し国連を脱退などなど、結構、日本は国際社会での存在感が大きかったように思いますよ。 従って 「モノ言わぬ日本人」 になったのは、戦後からでしょうね。 敗戦を機に、それまでと全く別の民族になったと思います。 アメリカ一辺倒の政策、極端な内向き政治、タブー視された防衛論議、不磨の大典となった日本国憲法など普通の国では考えられないような極端な国家運営を最近まで続けてきたわけです。 これに輪をかけたのが、明治時代より何一つ変わらない英語教育でしょうね。 明治の外国語教育は、まず法律や軍事、建設や鉄道など近代国家としてのインフラ整備に関する 「原語で書かれた専門書」 を読破し、それを翻訳する能力を養う事から始まりました。 従って、日常会話や公衆の面前で自説を唱える能力など二の次、三の次という位置づけだったんですね。 「西洋に追いつけ、追い越せ」 という時代までなら、それでも良かったのですが、国際社会の中で外国人とサシで勝負するには、「会話力」 があまりに不足していたので、いつの間にか 「モノ言わず、ただニコニコしているだけ、何を考えているか分からない日本人」 というイメージが定着してしまったように思います。 明治時代からの英語教育の維持、これもモノ言わぬ日本人をつくった大きな力になったように思います。 ただ、「自分たちどうしの間でも、自己主張をしない日本人」 というのも、言えると思います。 これは聖徳太子の時代から始まった 「和をもって貴しとする」 という考え方が広く日本人の精神の中に根付いていったのですが、それがいつの間にか、「自己主張をするのは卑しい事だ」 という考え方に変化していったように思います。 またそれを後押ししたのが江戸時代に入ってきた儒教の影響でしょうね。 その意味では 「モノ言わず、内向きの性格」 というのは、千年以上の歴史があると言えるかも知れません。 ただ、西洋社会と決定的に違うのは、単一民族 (この定義については諸説あると思いますが ・・) で国家を形成していて、歴史上、1回も他国に占領されたり、植民地になった事がないのも、モノ言わぬ日本人を作った原因かも知れません。 つまり、日本人どうしで同じ価値観、同じ人生観を共有した社会が延々と続いてきたわけですから、全く異なる考えをもった外国人に対して自分の意見を強く主張しなければどうなるか分からない、といった状況に陥る事が歴史的に無かった事も得意な国民性を築く要因になったと思います。 「オレの目を見ろ、何にも言うな」 というのは、日本人どうしにしか通用しないと思います。
お礼
長文での回答ありがとうございます。 確かに明治維新から敗戦までの日本は、今とはずいぶん違いますね。駆け引きのうまさは別として。 かと言って、何でも言うかというと、黙って言わないのをよしとする美学もあったと思います。それは主に日本人同士ということですかね。 >「オレの目を見ろ、何にも言うな」 というのは、日本人どうしにしか通用しないと思います。 そうかもしれませんね(笑)。ちょっと暑苦しいような気も・・。
補足
納得のいくお説でした。
1.あくまで日本人とアメリカ人を比較した場合の論議ですので、他の国は関係ないのです。 物をはっきり言わない国民性の国は、探せばいっぱいあると思いますよ。 2.歴史的にいえば、自己主張する/しないのどちらを美徳とするかは、たしかにサイクルがありました。 人間はみんなで一致団結しなければいけないときに、個人主義を捨てる傾向にあります。 たとえば、戦争になると国民は自己主張しなくなります。逆に、平和が長く続くと個人主義に走ります。 日本とアメリカの場合だと、戦争で勝った/負けたの違いがこれほどの格差を生んだんじゃないかと思います。 3.これははっきりしません。個人主義という概念を考案したのはたしかプラトンですが、それ以前にも人間はずっと個人主義と社会主義を繰り返してきたのでしょう。 なんせ、人間の歴史はいまや何十万年ですからね。
お礼
ありがとうございます。確かに日米比較で語られ始めたことですよね。でも、ヨーロッパ諸国は言っているとか、中国も言っているとか、他の国との比較もされているとは思うんですね。逆に外国からは日本人は何を考えているか分からないとか。しまいには、日本特殊論とかいうのまで出てきてしまい、一時期話題にもなったようですね。 ところで、個人的には自己主張しない自由もあっていいはずだと思うんですが、自己主張しない人は、自分の意見がないと思われ、自分の意見のない人は人としてだめだ、という価値観も疲れますね。いいじゃん、ほっとけよ、という自由はないのでしょうかね。
お礼
ありがとうございます。 1について。なるほど自己主張するといっても、宗教と関わりが深いというわけですね。イスラムの人たちの場合、習慣とか習俗も、時に独特のものがあるような気がします。中国人の自己主張の強さは、私も感じることが多いです。同じ東アジアで、文化圏としても同じなのに、全く違う部分もあります。責任に関する部分は本当に違うと思います。 2について。 >沈黙は自分の考えを放棄、もしくは存在を放棄していると言うような考えです。 これ聞きますね。でもこれって、結構つらくないんだろうか?って思いますけど・・。もちろん小さい頃からそれで生きてる人はなれてるでしょうけど、人間疲れている時もあるだろうし、ウツにでもなってしまいそうです。裁判社会というのも油断がならないというか、下手に謝れないというのもありますね。 3について。産業革命など権利に関わって発展してきたのだろうという読みは私とも同じですね。 現在の日本の沈黙主義は、直接的には戦後の教育がもたらしたというのは、私にとっては今回みなさんの回答で初めて得た視点です。みなさん、ありがとうございました。
補足
皆様ありがとうございます。ただいま、PCがウイルスかスパイにやられまして、解決しましたら、お礼文を改めて入れます。取り急ぎ御礼まで。