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日本人はいつから積極的ではないとの世論が起こったか?

私は今大学で卒論をかいています。 テーマは「異文化理解には何が必要か」です。 それにあたり、言語スタイルの違いや文化から 「日本人は積極性がなく自己主張もない」 とよく言われています。 それについて「賛成・反対」ではなく、 いったい『いつ頃から』そういわれ始めたのか。 また『誰が』言ったのかが知りたいのです。 いつから政治的にも貿易的にも国際化が始まったかもわかりませんが、みなさんご回答お願いします!! ヒントでもいただけると幸いです!!

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  • nipponjin
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回答No.5

 論理的に順を追って考えてみてください。    まず「日本人は積極性がなく自己主張もない」といわれるからには、より積極性を有し自己主張をすることが一般的である文化圏の人がそのように言ったか、あるいはそうした文化圏と関わりを持った日本人が自国との比較論として述べたか、の何れかもしくはその両方だろうと思います。異なる文化圏が日本と接触し、今日最大の影響をもたらした相手で国民性においてはより積極性を有し自己主張の顕著な体質を持っている文化圏、それは言うまでもなくアメリカ(広義では欧米諸国)に間違いないと思われます。  次に、いつ頃か?という問題ですが、彼らとの接点が始まった頃すなわちペリーが来航した幕末の時期においてなのか、あるいはもっと古くポルトガル人が渡来した時期に彼らが言い出したのか、または勘合貿易などにおいてシナ人らが言い出したのかと考えた場合、たとえ当時の外国人の誰かが「日本人は自己主張をしない!」「積極性に欠ける!」と思っていたとしても、そうした日本人像が仲間内で日本との貿易や取引において不利に事が運ばないための情報として、彼ら同士の間では脈々と時代を超えて「通説」として伝わっていたであろうことは十分に考えられますが、当の日本人の側ではそうした認識はもちろんなかったことでしょう。 そこで考えられるのは異なる文化圏との接点が一般人レベルでも盛んになった頃、つまり1964年の海外旅行自由化以降から年間海外旅行者数が100万人を突破した1972年以降辺りからこのようなことが徐々に言われ始めたのではないでしょうか。ここで注意する点は、著作家や著名な人物の意見がメディアを通して発信された場合、多くの人が“それに同調する下地”とそれを知る機会が確立されていなければ、どんな意見や発言も露と消えてしまう、ということです。ルース・ベネディクトが著作に記したとか、勝海舟が日米比較論を語ったとかいうものでは、決して創られることのない大衆に“好き勝手に浸透”するための条件がやっと整ったのが、この64年~72年以降ではなかったでしょうか。 多くの日本人が「我々は自己主張が足りないぞ!」とか「ガイジンに対してこんなに消極的じゃ、いかん!」などと思うようになったからこそ、そうした意見や発言が大衆によって後押しされ、広く社会に行き渡る結果になったと考えられるのです。 その時期はやはり“一般大衆がガイジンと接し始めた時期”とおそらく符合するだろうと推測します。  結論としては、こうした違いを認識している人達は実は大昔からいた、しかし今日的な意味として特に欧米人と関わった際に「積極性」「自己主張」などの言葉で、自分達と外国人との違いを多くの国民が意識するようになったのは、ほんの何十年か前からだろうと思います。

その他の回答 (4)

  • jamiru
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回答No.4

…積極的過ぎると自滅するからです。 声を高めて積極的に発言したとして、その発言内容が重大な過ちだったとしたら? そのまま過ちを認めず更なる過ちを犯す。 その人間心理を日本人は肌で知ってるんじゃないですか? 戦後日本は一人の天才が大衆を引っ張っていたからいつしか皆が発言しなくなっただけです。 激動の時代は積極性が必要ですが、平時に積極的は安易な乱を引き起こすだけです。 日本は比較的平和に暮らしてきました。 だからそれほど積極的にならなくても良いのです。 どこぞの国は平時にでも積極的なので、国内はいつも乱れてばかりです。 日本は大自然と戦ってきた民族です。 大自然相手に「イエス・ノー」は通じないからです。 しかし、諸外国は常に人間同士で戦ってきました。 だから「イエス・ノー」と言えるのです。 積極的と思われる国は大災害で一体何をしましたか? ほどんど金や物資をかっこよく送っただけです。 本人たちは被災地から遠く離れた「安全な地」にいて誇らしげにしているだけです。 乗り込んで積極的に救助を行っているのは一体誰か!? 積極的なのは「人相手」だけな人間を積極的とは言えないと思います。 尼崎脱線事故でどれだけの一般市民が「無言」で積極的に動いたのか!? …ニューオリンズのハリケーンでは略奪が積極的でしたね。 人相手には積極的でないのはそのせいかも知れません。 災害では「イエス・ノー」なんて言ってる暇が無いのですよ。一瞬の遅れが命取りですから。

10enn
質問者

お礼

ありがとうございました!! 本を読んだりしていますが、新しい考え方に出会った気がします!参考にさせていただきます!

  • kikiki99jp
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回答No.3
10enn
質問者

お礼

ありがとうございました!興味深い内容でした。。 話はずれますが25%の消費税にびっくりです… しかもアメリカ人は知的で「見栄っ張り」(笑)

  • kenichi8
  • ベストアンサー率13% (27/197)
回答No.2

私観ですけど、盛田昭夫氏・石原慎太郎氏共著の「NOと言える日本人」が売れた頃から、そんな議論が盛んになった様に思います。 あくまで世間一般的(普通のサラリーマン等)レベルでって意味です。

10enn
質問者

お礼

ありがとうございます! その本に対して「『YESも』Noもいえる日本人」になることが大切だとの意見もありました。その本をまだ読んでいないので、読むこととそこらへんの時の記事を探してみようと思います!

  • Yabukoji
  • ベストアンサー率33% (158/475)
回答No.1

直感ですが、江戸期の鎖国政策の影響ではないかと思いました。 黒船前後の開港交渉やハリスとの「日米通商条約」交渉は回答先送りを繰り返して優柔不断さが際立っています。 鎖国以前と以後は逆に積極性も目立つのですが、戦後はなぜか悪いイメージばかりが強調されるように感じます。

10enn
質問者

お礼

ありがとうございます! その時代までさかのぼるというのも言えているかもしれません。 ある本では新渡戸稲造や岩倉具視など、その時代から諸外国への対応を(一部の間で)積極的に行っていた、と評価がありました。