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話し合いができなければ 人間ではない。
ひとにあいさつが出来なければ 人間ではない。 ひとと話ができなければ 人間ではない。 ひとびとと話し合いができなければ まだ人間には成っていない。 話をするのは嫌いだとしっかりとことわっているのでなければ 話が出来ないと見なされても仕方がない。 考えが違うとはっきりと言えないのならば 人間にはまだ成っていない。 ここまで来れば 見解の相違で互いに合意できる。一たん話をとめましょう。――と言えないなら 人間ではない。 以上の是非を問います。
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- 0fool0
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>なんなんですかねぇ。 そして なんでなんですかねぇ。 そうなんですよねぇ。 そしてだからなんですねぇ・・・・。 >気長にそちらのものする文章を俟つことにしましょう。 気長に貴方自身を待つのがいいでしょう。 >ミネルワの梟を知ってますか? さて?何処かで見かけた気がしますが、今探しても見つかりませんでした。 気が向いたら其処でも書き込むと思います。 楽しみたいですからw
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
>展覧会でこの絵あの絵と見て回っているような場合 この絵は これこれこうですよとか あの絵とくらべると あれそれああいう特徴や事情があるのですよとか そのような解説を聞かされるかたちに似ていますね。 その通りです。 >中身がどうだとか言う前に そういう立ち位置と互いの関係が イメージされます。 その通りです。 >そういう意味では 結論は 一向にわたしにはひびいて来ていません。 残念です。じわじわとは響いている様で嬉しいですが。 >どうもそのような筋とは違うとのこと。どうも違うらしいようですね。 そうです。 >とすれば そのつど 反応を持った部分でこちらは お応えして行くと思います。 楽しみです。 >分からないからには 分かりませんとお応えするよりほかにない。でしょうね。とりあえずは こうです。 楽しいです。
お礼
いや 意味がないということではない。意味すらない回答もいくらかありますが――おっと まづは ご回答をありがとうございます―― そういうたぐいではない。 意味があるのに わたしには・または質問の問い求めることにとっては どこか遠くで聞こえる汽笛か何かに感じられている。 いちばん近いと感じるときにも レストランで隣のテーブルから話し声が聞こえてくるといった感じです。 なんなんですかねぇ。 そして なんでなんですかねぇ。 たとえばこうすればよいかも知れない。 つまりは わたしの質問に触発されてご自分の独自の問題意識のある主題について 正面から取り上げ 議論を寄せる。少々筋が違っても 関連性があるとすれば それも正式の情報交換になるかと思われます。 まぁ いろんな方法があるのでしょう。急ぐこともないでしょうから 気長にそちらのものする文章を俟つことにしましょう。
補足
話は違いますが あなたは ミネルワの梟を知ってますか? ほかの質問でですけれど とんでもない解釈とそれによる議論が出ています。 めちゃくちゃでござります。何とかならないもんかなぁ。 哲学カテが泣くぞいな。
- a_hona
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あえて沈黙する場合がありますが、それについてはどのように考えるのですか?
お礼
ご回答をありがとうございます。 1. どちらかが話しかける。 2. 相手がそれを受け容れ 話し合いが始まる。 3. その過程において 途中で一方が一たんここらで休憩しましょうと話を持ち出す。 4. OK と言って 互いに休む。 5. 話し合いを再開し 議論や交渉がすすんだとき この辺で――というのは一般的には 論点が煮詰まって来ていて しかも見解にはへだたりがある よって――この見解の相違について互いに合意するというかたちで ひとまづ 対話をとめる。 6. その後の再開についても合意し約束しておくのが のぞましいが 特に話し合っておかなくとも 問題はない。どちらからともなく 初めに戻ってのように 声をかければよいという暗黙の合意があると 一般に(=人間であるかぎりで)楽観してよい。 7. ★ あえて沈黙する場合がありますが、それについてはどのように考えるのですか? ☆ おおよそふたつの場合に分かれると思います。 8. ひとつは 話し合いの途中で 何も言わず断わらず《あえて沈黙する場合》。これは それほど長い時間でなければ 相手は 答えやあらたな発言を 気長に待っています。 9. 沈黙が長すぎた場合 それでも席を立たないのならば 相手は その沈黙がやぶられるのを俟ちます。つまりは どうしましたか? お気分がわるいのですか? もっと長い時間をかけてお考えになりますか? といったふうに尋ねるでしょう。 10. その問いかけに答えるかたちをも含めて 第二の場合というのは 《その問いに答えるのは 少し時間をください》と言って 沈黙をする場合です。 11. ということは その今は見解が互いにまとまらないと見て 互いにその相違について合意し 再度の話し合いへと持ち越すことになる。 12. 答えを少し待ってくださいと言った側は 明日までとか 一週間とか 一年とか時間を区切っておくとよいでしょう。 13. あとは 最初のほうの原則論(1~6)にもどります。 14. 沈黙するにしろ何にしろ話し合いを中断するときには 互いに合意を取りつけることが 条件になると言えばなります。
補足
お礼欄をおぎないます。次の事項を挿入してください。 2-1. 話しかけられたほうは それをこばむことが 自由に出来ます。 3-1. 途中で これ以上は話し合いをつづけて行くことが出来ないと言って――つまりその理由を明らかにすることがのぞましいかたちで 一方的になっても―― こばむことも出来る。 3-2. その場合というのは こばむ側の気持ちや心がどうであるのかが必ずしも分からないとしても 話の流れからは どういう問題で途切れることになったかは分かっている。したがって 冷却期間をおいて再開するなり あらためて声をかけたりするなりをすればよい。 3-3. そのような場合というのは 或る程度すでに互いのあいだに 一定の関係が出来ていて いつでも接触ができるような位置関係にある場合だと考えられる。
- kurinal
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>「成人でなくても 話し合いが出来ることがありますから」 はいはい。 お手柔らかに。
お礼
お手硬いですか。 ご回答をありがとうございます。
- 0fool0
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>なんぢゃいな それは? その程度の物ですよw」 >まえがきや効能書きが ちと多すぎる。ずばり 結論に飛んで欲しい 最初から全開で、「結論しか」言っていません。 以前の質問で言いましたよ。 私は答しか言わないと。 但し、追加で「貴方の答では無いです」と加えておきましょう。 貴方の答は私等に判るはずも無い。
お礼
ううーん。 まづは ご回答をありがとうございます。 展覧会でこの絵あの絵と見て回っているような場合 この絵は これこれこうですよとか あの絵とくらべると あれそれああいう特徴や事情があるのですよとか そのような解説を聞かされるかたちに似ていますね。 中身がどうだとか言う前に そういう立ち位置と互いの関係が イメージされます。 そういう意味では 結論は 一向にわたしにはひびいて来ていません。 もしこのタトエで もうひと言つけ添えるとするなら: 絵の解説ではなく あなたが絵を見て得た印象を まづズバリ言葉にして語って欲しい。というような感覚ですね こちらは。 どうもそのような筋とは違うとのこと。どうも違うらしいようですね。 とすれば そのつど 反応を持った部分でこちらは お応えして行くと思います。 ★ 貴方の答は私等に判るはずも無い。 ☆ すでに耳にしたフレーズであるように感じますが これが何を言おうとしているのか。分からないからには 分かりませんとお応えするよりほかにない。でしょうね。とりあえずは こうです。
- kurinal
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>「互いにふつうの健全なコモンセンスを いま確認し合い さらにこれを保って行きましょうと するのさ。」 「オラオラオラ!!」と行きましょう、とすると、 「人間ではない」とは。 ・・・やはり「成人ではない」じゃない?
お礼
★ 「オラオラオラ!!」と行きましょう ☆ って 何ですか? 成人でなくても 話し合いが出来ることがありますから 成人ではないではなく 人間ではないという表現になると思います。 ご回答をありがとうございます。
- kurinal
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>「言いかえると ちゃんとふつうに人間である人は わかるはずです。」 ・・・これって、 だから、「ちゃんとふつうに人間である人」を、どうするのさ。
お礼
互いにふつうの健全なコモンセンスを いま確認し合い さらにこれを保って行きましょうと するのさ。 ご回答をありがとうございます。
- kurinal
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B様、こんばんは。 >「人間にはまだ成っていない。」 「成人ではない」くらいでは。 >「ひとにあいさつが出来なければ 人間ではない。 ひとと話ができなければ 人間ではない。」 何時頃の「常識」なんでしょうか。>「人間ではない」 >「見解の相違で互いに合意できる。一たん話をとめましょう。――と言えないなら 人間ではない。」 んー。 やはり、「「成人」ではない」をオススメします。
お礼
Kさま こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 「成人ではない」くらいでは。 ☆ ダメです。子どもにも ちゃんとコミュニケーションを取る人――つまりそれを始め 中ほどを推し進め きちんと終わる人――がいると思いますから。 ★ 何時頃の「常識」なんでしょうか。>「人間ではない」 ☆ いまこの質問にあたって思いついた常識です。 ★ やはり、「「成人」ではない」をオススメします。 ☆ おススメされません。《人間》と言わないなら 通じない場合があるからです。 言いかえると ちゃんとふつうに人間である人は わかるはずです。表現の奇抜さにこだわらず 事態を見てみてください。分かると思いますが。
- 0fool0
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>もしこれを破るあたらしい考えであるなら それだけで 広く人びとに問う必要があります。質問するのは 義務でもあります。 ささやかな確認としての賛成票を得て行くことは 哲学ののぞましいあゆみであると考えます。 それにじっさい反論も寄せられているのですから そのやり取りは 大事なあゆみをかたちづくります。 いや、私もその一人として「不味過ぎる」と発言したのですよ。 楽しみたいだけなのですがね・・・ >新たな先を向いてすすんで行こうとする思想なのではないのですか? 貴方の進む先は知りませんが、私は「一」を得ました。 私は別に人をこき下ろして楽しむ為に此処に書き込んでいる訳ではなく、やり取りを楽しみたいだけなのですがね。 「欲」を言えば、同調者の存在を確認したいですかね? 「己」を求める人間はいても「真理」を求める人間に出会えない。 理論の影に「己」がいるから、吐き出される物が歪んでしまう。 まぁ、本来「真理」に同調すれば、こんな場所で書き込む方が異常なのですがw 私は余程の変わり者なのでしょうかね?w 泥の海でのた打ち回るのは楽しい物ですw
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ いや、私もその一人として「不味過ぎる」と発言したのですよ。 ☆ あぁ そこですか。その点は 気がつきませんでした。 にゅうとらるさんとのやり取りで書いたかどうか いま確かめもせずに書いて行きますが この質問の趣旨説明としての文章は われながら《まづい》ですよ。 洗練させませんでした。投げやりな言い方で表わそうとしたものです。そのとおりですよ。 ★ 貴方の進む先は知りませんが、私は「一」を得ました。 ☆ なんぢゃいな それは? 《一》と言えば わたしの理論としては 次があります。 1=1 : 《われはわれなり》。 1x1=1 : 《われは われに還る》 (1=1)x1x1x・・・x1 = 1 : 《〈わたしがわたしである〉わたしが わたしする》 これは 真理の問い求めですよ。わたしの生きることとは わたしなる存在の限りなき自乗の過程であり そのベキ(連乗積)としての《一》である。 ★ 「己」を求める人間はいても「真理」を求める人間に出会えない。 ☆ なんて言ってますが。 老婆心:まえがきや効能書きが ちと多すぎる。ずばり 結論に飛んで欲しい。
- 0fool0
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>でも 答え返しは きびしいですよ。切れますよ。覚悟はとっくのむかしに出来ていますか? いや、これは手厳しいw 私の書き込み方に問題があったのですね。 なるほど納得です。 貴方の質問が自分自身で正しいと盲目的に信じていれば、当然の反応でしょう。 でもそれなら、ここで質問する事も必要ないのにw ジャブは要りませんよ。 自信を持って渾身でも乾坤一擲でも素晴らしい理論をどうぞ、披露して下さい。 貴方が正しいのならば、それはそれで良いのですから学ばせて頂きます。 理論が破綻していれば、私は其処を突くだけです。
お礼
★ 理論が破綻していれば、私は其処を突くだけです。 ☆ そういうことです。合意に達しました。 ご回答をありがとうございます。 ★ でもそれなら、ここで質問する事も必要ないのにw ☆ 世の中には ジョウシキというものがあります。また 学問には 定説があります。 もしこれを破るあたらしい考えであるなら それだけで 広く人びとに問う必要があります。質問するのは 義務でもあります。 ささやかな確認としての賛成票を得て行くことは 哲学ののぞましいあゆみであると考えます。 それにじっさい反論も寄せられているのですから そのやり取りは 大事なあゆみをかたちづくります。 まぁ 表題やそこかしこの表現には 奇を衒ったり刺激的かつ挑発的な言葉を使ったりすることがあると言えば これは はっきりあります。 ただし理論としてその中でいろんな造語をしていますが それについて理論的な学問的な落ち度はないと思っています。 あなたは どちらかと言えばむしろ わたしの考えなどよりもさらに新たな先を向いてすすんで行こうとする思想なのではないのですか? そういう方向で わたしの理論をも利活用して行けばよいはずです。キズを修正しつつ。 ちんたらちんたら 同じ場所で足踏みをしているばあいぢゃないでしょう。なぜはばたかないのか?
お礼
《哲学かて・・・》の問いです。 わたしの文章なら いくつか出していますよ。 ご回答をありがとうございます。