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話し合いができなければ 人間ではない。
ひとにあいさつが出来なければ 人間ではない。 ひとと話ができなければ 人間ではない。 ひとびとと話し合いができなければ まだ人間には成っていない。 話をするのは嫌いだとしっかりとことわっているのでなければ 話が出来ないと見なされても仕方がない。 考えが違うとはっきりと言えないのならば 人間にはまだ成っていない。 ここまで来れば 見解の相違で互いに合意できる。一たん話をとめましょう。――と言えないなら 人間ではない。 以上の是非を問います。
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もう必要ない書き込みなので、遊びです。 >(それにしても きついなぁ。きついよ。) これでも抑えているのですよ。 私の感情を開放してしまうと、人格に沿って発言しますから、滅茶苦茶になりますw 第一、この言葉を求めているのは私ではなく、対手が私から引き出しているだけですからw きついのは、それだけの劇薬でなければいけないだろうと、探った上での処方なのです。 強過ぎれば本人そのものを痛めてしまいますから、これでも苦労しているんですよw(そうは見えないかもしれませんがw) まぁ、えぐる目的で書いた文章であるのは事実ですが・・w
- 0fool0
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申し訳ない!!!!! 別の方の質問に対する書き込みを間違えて載せてしまいました!!! 陳謝します!!!! 申し訳ありませんでした!!!!!!!!!!! ご容赦をお願いします!!!!!!!!!!!!!!
お礼
承知しました。
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更に一言。 何故か私が真実を書き込むとサイトに削除されるのですよw ですので、別の窓で言いますねw 貴方は薄っぺらいのですよ。 自分が正しいと思い込みたいだけで、周りから認められていない人生であるのは見え見えです。 真実を知りたいなら求めればいい。 己を知りたいなら追求すればいい。 認めて欲しいなら努力をしなさい。 残念ですが、貴方を愛する人間は貴方以外にはいません。 誰にそれを求めますか? 此処にはいませんよ? あぁ、反論や罵声は大歓迎です。 楽しみましょう。
お礼
投稿先のマチガイなのですね。 (それにしても きついなぁ。きついよ。)
- 0fool0
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>ほかの人が 批判や指摘は嫌いなのに それをされることをどう考えるか? どう責任をとるか? 私は今回は「批判」ではなく、「否定」したのですがね・・ まぁ、貴方は確かに何処までも決して「己」を引く事のない「覚悟」を持っている方ですから、此処までのやり取りで得た内容で、一応の解決として、次に繋げましょう。 話が分岐しすぎましたし、人を傷付ける発言も問題ではありますが、理論上の齟齬と言う訳でも有りません。 一言「人を煽情する事での議論は止めたほうがいいよ」との忠告で締めておきます。 それを必要とするレベルはとうに抜けているでしょう。
お礼
ご回答をありがとうございます。 分かりました。次へつなぐということ 承知しました。 ★ 私は今回は「批判」ではなく、「否定」したのですがね・・ ☆ 否定も 批判のうちに入ります。よ。 ★ 一言「人を煽情する事での議論は止めたほうがいいよ」との忠告で締めておきます。 ☆ 挑発的な表現をわざとえらんでいる。そのことについて 責任を持つ。ここまでは 覚悟のうえです。 ちょっと《煽情する》というのとは 意味が違うと思ったりします。(ここまでで そのまま受け取って話をしていたキライがありますが。つまり 注意がとどかなかったみたいですが)。 ★ それ(煽情)を必要とするレベルはとうに抜けているでしょう。 ☆ あぁ。ここが大事なのですね。ここで大事なことを見てくれているし言ってくれているのですね。 さきほどの《挑発的な表現》についてですが やはりいまは わざとそうしていますね。質問の表題で 人びとの気を引くというそれ以上に こちら(=質問者)は けんか腰であると はじめから わからせている。 なぜそうするか? 相手の側が そういう姿勢でこちらに突っかかって来ている。からです。単純です。質問としては 一般性を持たせてやり取りをしています。(あんがい ここでも たたかいがあるのですよ。相手は ひとではなく その思想です)。
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>つまり 突かれるって どういうこと? 何がどうであるのか分からないので 責任の問題にまでまだすすみ得ません あぁ~~~~・・・ 「指摘」ですかね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 なら 《表現の自由》です。 そしてそれにわたしは むしろ批判が大好物です。 ほかの人が 批判や指摘は嫌いなのに それをされることをどう考えるか? どう責任をとるか? どうしましょう。人格は 互いに独立しています。ですが よかったら 誰でもみな わたしのところに駆け込んでくれるように願います。カタキを取って差し上げます。 これでいいですか?
- 0fool0
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>これについても わたしは気にしていません。気にするべきだということかも知れませんが 問いは問いです。それによって《煽情される》というのならば その人がどう対応するか考えればよいだけですから 間違ってはいません。 質問の難しさを突いた言葉です。 突かれる覚悟の貴方ならば、それで良いかもしれません。 しかし貴方の質問に触発されて突かれる方の事も考えるべきでしょう。 貴方の言い分も充分に理解できますし、それと同様に貴方に食いつく人間の心情も理解できます。 しかし始めに一石を投じる方に責任は付きまといます。 更に考えてみては?
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ しかし貴方の質問に触発されて突かれる方の事も考えるべきでしょう。 ☆ ん? 《突かれる》って どういうことですか? ん? ★ ~~~~~~~~~~~~~~ 質問の難しさを突いた言葉です。 突かれる覚悟の貴方ならば、それで良いかもしれません。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《質問の難しさを突く》って どういうことですか? つまり質問者のわたしではなく 《この質問に触発された》人が 突く・突かれるって どういう意味でしょう? 次の《責任》というのは この《突かれる》ことの《責任》なのでしょうね? ★ しかし始めに一石を投じる方に責任は付きまといます。 ☆ つまり 突かれるって どういうこと? 何がどうであるのか分からないので 責任の問題にまでまだすすみ得ません。・・・
- 0fool0
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>鉄器の初現は弥生時代早期とされ、弥生時代中期前半までには北部九州で工具を中心に一般化がおこると、後期以降に西日本全域に拡散するとともに、武器や農具としても採用されるようになった。・・・ 確認しました。 これは私の方が間違っていたと思われます。 ご指摘ありがとうございます。 更に遡れるみたいですね。 >縄文の採集生活においても 《富》としてではありませんが どんぐりのたくわえをおこなっていました。 これは私も同意見です。 縄文期には東北でも栗の栽培が確認されています。(交易も確認できています) 米の流入以前から、炭水化物の栽培は行われていたのは確実です。 後に気候変動が理由と思われる栽培品目の変化が見られ、共同施設の設置等が確認出来ます。 初期の公共事業が見られます。 富の蓄積があってこその計画、実行であるのは明確です。 >暦=こ(日)‐よみ(読み=数える)。ひと(一)‐ひ(日)∽ふつ(ニ)‐か(日) / ∽こ(日)。 つまり 日を数えて 種まきから田植えからの《とき》を知る。《ひ(日)‐しり(知り)=ひじり(聖)》という言葉がここから来ているようです。 勉強になります。 ただ、古代語(古語)は、昔から食指が動かなくて・・・・ 私ではお相手は勤まらないと思います。 >また特につよい反論ではないと受け留めました。 私が言いたかったのは、この(最初の)質問が「稚拙に過ぎる」です。 人の心を必要以上に煽情せずとも、答は得る事は不可能ではありません。 逆に言えば、煽情する貴方の心を見るべきです。 汝の中に有り。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 私が言いたかったのは、この(最初の)質問が「稚拙に過ぎる」です。 ☆ これは 趣旨説明する表現が粗いというだけではなく 内容が問うようなことではない。という意味でしょうか? まぁ 《分かっている》ことであるかも知れません。いちいち訊くことではないというようなことでしょう。 そうですね。そういう見方は わたしは採りません。 というのは いまこの哲学カテで――わたしが 質問にせよ回答にせよ投稿をおこなうにあたって――必要だと思ったことは 問いなら問いのかたちで 単純な確認だけだとしても おこなっておく。と決めたら そうします。 これは そういう一歩を踏み出しておくための問いです。言ってみれば 結果を問いません。質問に挙げておくことが必要だと思ったら そうするというたぐいの問いです。 その背景やら具体的な事由やらについては この質問の以前に何が起こったかで決まっているものです。 《自律》について問うたり それを説くのは おかしいといった質問も 同じようにこのカテという場で起きている事態に合わせて問うているものです。 あるいは 表現が粗いという意味ではなく 質問内容が《稚拙》だという意味でもなく 問い方が《稚拙》だということでしょうか? ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 人の心を必要以上に煽情せずとも、答は得る事は不可能ではありません。 逆に言えば、煽情する貴方の心を見るべきです。 汝の中に有り。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 質問内容の性質から来ているのでしょうね。分かっていることを問うているというところから 《煽情する》要素がついて来ているのでしょうね。 これについても わたしは気にしていません。気にするべきだということかも知れませんが 問いは問いです。それによって《煽情される》というのならば その人がどう対応するか考えればよいだけですから。
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>縄文時代から生活が 弥生時代に入ると一変するようになりました。鉄(鉄製品。武器および農耕用)とそして稲がもたらされた結果だと言われています ここは突っ込まなくてもいいかもしれませんが・・・ 鉄の登場はずっと後世になります・・・ 世界では青銅器時代が現出しますが、日本では銅が取れなかった為青銅器の生産は出来ず、六世紀頃まで早い説で一~二世紀まで鉄器の生産は無かったと考えられています。 >農耕という生産ないし産業が始まったわけです。その結果 ひとつには ひとは老いるとただ眠りに就くというのではなく そうではなく 《死ぬ》という認識をあらたに持った。われわれは時間的存在なのだ その生きることには限りがあるのだと知りました。 死の認識はネアンデルタール人の遺跡にも確認出来ます。 死体に花を捧げた後が確認されています。 >ところが このような有限の存在であるとの自覚は けっこう遅れました。むしろこの鉄と稲のあたらしい弥生時代が その盛期を終えるようにして次の――鉄も農耕もつづけられますが――古墳時代という生活様式へ変わって行くころ 人びとは得たようです。(社会にあって 人びとのあいだにいわゆる支配‐被支配の関係が始められるようになった。経済力ないし知性に格差が現われるようになった。すでにあったとしても その差が ものを言うようになった)。 有限の存在の~の意味が理解出来ませんが、農耕が産んだ物で決定的に大きな違いは、「明日の糧」を生み出した事で、それは直接的に「富の蓄積」になりました。 そしてそれを管理する人間(存在)の登場により、貧富が生まれました。 >崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトという村長(市長)が出たのが この古墳時代に入るころ(西暦300年ころ)だったのです。つまり 《イリ(入り)》というのは この限りあるこの世・この世界の内に入る存在――《世界‐内‐存在》――であることを物語っていると見ます。 人間は 単に世界の何ものにも寄り憑く《ヨリ》なる原始心性であった縄文人から 世界の内にすすんで入るという事件を起こした。そのとき言わば原始心性を超えて《歴史知性》を持った。原始心性とは 歴史知性以前だというわけです。《ヨリ》から《イリ》へという流れです。 これは私の知識の範囲外で、勉強になります。 >つまり・すなわち ひとつの時代――弥生時代なる生活様式――においてすでにひとは《時間》という世界へ入っていたはずです。そういう生活になったはずです。採集・狩猟・漁労の生活から 農耕なる作業で生活の糧を得るように変わって行った。春から秋へかけての収穫の作業は とうぜんのごとく人びとに《時間》をおしえたはずですから。 これは「時間」と言うより、「暦」では? 農耕では季節が大きく関りますから。 >ところが この《われは 時間的存在なり》という認識および自覚は その当の弥生時代が終わりかけたころ やっと得られるようになった。こう考えられます。それ以前は イクタマヨリヒメといったように実際に名前に《ヨリ》がついていたのです。そこから《イリ‐ヒコ / イリ‐ヒメ》なる名前がしきりに現われるようになりました。 ん~~~~~・・・・・・ 何とも言えません。 私にデータも検証力もありません。 今後の宿題にします。(あまり興味ないので、調べない可能性大ですがw) >つまりは ミネルワの梟は 夕暮れにやって来る。哲学的な総括は 時代の終わるころ成されるようになる。 こういう事例だと見ています。 >《哲学が現実の成熟のあとに遅れてやってくるものであるということ》が 真意です 一つの形ですね。 別に異議は唱えません。 「死」を誰も経験していない。 だから「死」は誰も判らない。 当たり前の事です。 私も過去の事例を幾つも学びました。 また未来の予測も本質的には無意味ですから。 しかしこれはキリスト教的な思考法ですね。 真理は「時」の縛りも受けません。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ▼ (ヰキぺ:弥生時代) ~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3 § 5 人々の生活 § 5.1.3 鉄器 鉄器の初現は弥生時代早期とされ、弥生時代中期前半までには北部九州で工具を中心に一般化がおこると、後期以降に西日本全域に拡散するとともに、武器や農具としても採用されるようになった。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 農耕が産んだ物で決定的に大きな違いは、「明日の糧」を生み出した事で、それは直接的に「富の蓄積」になりました。 ☆ 縄文の採集生活においても 《富》としてではありませんが どんぐりのたくわえをおこなっていました。 ▲ (縄文人のどんぐり貯蔵穴) ~~~~~ http://www.enyatotto.com/donguri/ikiru/donguripit.htm ・・・越冬に備えてそれらを貯蔵していた ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ これは「時間」と言うより、「暦」では? ☆ 暦=こ(日)‐よみ(読み=数える)。ひと(一)‐ひ(日)∽ふつ(ニ)‐か(日) / ∽こ(日)。 つまり 日を数えて 種まきから田植えからの《とき》を知る。《ひ(日)‐しり(知り)=ひじり(聖)》という言葉がここから来ているようです。 ▲ (ヰキぺ:崇神天皇) ~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87 崇神:みまき≫いり≪びこいにゑのみこと 垂仁:いくめ≫いり≪びこいさちのみこと 子:とよき≫いり≪びこのみこと) 子:とよすき≫いり≪びめのみこと ・・・・ ▲ (いくたま≫より≪ひめ) ~~~~~~~~~ http://kotobank.jp/word/%E6%B4%BB%E7%8E%89%E4%BE%9D%E5%AA%9B ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おぎないとして こんなところでしょうか。 ほかは だいたいそうであると思ったし また特につよい反論ではないと受け留めました。
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>くだんの投稿では 時代が混沌の様相を呈して来ると 知恵をもったミネルワの梟が 飛び立つようになる。すなわち 混沌なる時代という《夕暮れ》に 英知が現われるのだ。と言っています。 他の投稿は兎も角、英知は其の時まで現れない=選ばれた存在以外知りえない。ですね。 あまり此処を突っ込みたくないです。 別に良いんですが・・・ 真理は誰も知りえない!なるほど私も知らない訳ですw >まぁ あたらしい解釈をつけ加えたのだと言えば もうそこまでですが もとは意味が違います。 いいえ、理解出来ませんでした。 >混沌をもふくむむしろ何らかの思潮や産業の隆盛期のことは それが陰って来たころ――すなわち夕暮れに―― その時代の意味や仕組みについて しっかりとした総括のような議論が現われる。そのような総合的な理論分析は 時代が終わるころにやっと出来るようになる。すなわち ミネルワの梟は――英知の女神なるアテーナーは―― 日の暮れるころに森からわれわれのもとに飛んで来る。 ・・・・・・・・・・・以前、西洋哲学のみが哲学だと言い切る方と、レベルの低い会話をしましたが、「ラグナロク」を何回迎えれば気が済むのでしょうと思いましたw 「神の意思」等と「人間」が都合よく発言する理由は何でしょう? いや、貴方の事ではないですよ。しかし総合的とは何を持って「総合的」だと断ずる事が可能なのでしょう? 単純に政治学(更に言えば人民の生活)の問題になる事象なのですが、哲学とは政治や宗教に支配されているものだと考えるのでしたら、それでいいです。 私とは話が合いませんから、其の様な時は私は楽しくぶち壊して差し上げ様と思います。 >ですから 日のまだ高いころ・すなわちその一定の時代がそれとして成長期にあるときには その時代のもたらす果実をたのしむ人間たちに満ち溢れ これを理論的に検討する人はいない。いても 人びとは目もくれないであろう。と言っているはずです。 その通りでしょう。 >ぜんぜん反対のことを言っている。ことには おどろきました。 知らない事は知りませんw 私は知っている事は知っています。 しかし当然知らない事は知りません。 しかし理解は出来ます。 でも反対と言うのはズレていませんか? 貴方の理解とは見当違いであるのは間違いないですが、ウェブで引いた限りでは、「弁証法」の項目に当たっただけでした。 まぁ、短い時間での知識ですので、この程度かとw まぁ、確かに必要は発明の母と言いますからね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ・・・・・・・・・・以前、西洋哲学のみが哲学だと言い切る方と、レベルの低い会話をしましたが、「ラグナロク」を何回迎えれば気が済むのでしょうと思いましたw ☆ いえ。わたしは もとの意味が違って来ていることにおどろいた。だけです。その説じたいに対する態度は 中立です。そういう見方もあるのかな ありそうだなと見ていますが。 縄文時代から生活が 弥生時代に入ると一変するようになりました。鉄(鉄製品。武器および農耕用)とそして稲がもたらされた結果だと言われています。 農耕という生産ないし産業が始まったわけです。その結果 ひとつには ひとは老いるとただ眠りに就くというのではなく そうではなく 《死ぬ》という認識をあらたに持った。われわれは 時間的存在なのだ その生きることには限りがあるのだと知りました。 ところが このような有限の存在であるとの自覚は けっこう遅れました。むしろこの鉄と稲のあたらしい弥生時代が その盛期を終えるようにして次の――鉄も農耕もつづけられますが―― 古墳時代という生活様式へ変わって行くころ 人びとは得たようです。(社会にあって 人びとのあいだにいわゆる支配‐被支配の関係が始められるようになった。経済力ないし知性に格差が現われるようになった。すでにあったとしても その差が ものを言うようになった)。 崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトという村長(市長)が出たのが この古墳時代に入るころ(西暦300年ころ)だったのです。つまり 《イリ(入り)》というのは この限りあるこの世・この世界の内に入る存在――《世界‐内‐存在》――であることを物語っていると見ます。 人間は 単に世界の何ものにも寄り憑く《ヨリ》なる原始心性であった縄文人から 世界の内にすすんで入るという事件を起こした。そのとき言わば原始心性を超えて《歴史知性》を持った。原始心性とは 歴史知性以前だというわけです。《ヨリ》から《イリ》へという流れです。 つまり・すなわち ひとつの時代――弥生時代なる生活様式――においてすでにひとは《時間》という世界へ入っていたはずです。そういう生活になったはずです。採集・狩猟・漁労の生活から 農耕なる作業で生活の糧を得るように変わって行った。春から秋へかけての収穫の作業は とうぜんのごとく人びとに《時間》をおしえたはずですから。 ところが この《われは 時間的存在なり》という認識および自覚は その当の弥生時代が終わりかけたころ やっと得られるようになった。こう考えられます。それ以前は イクタマヨリヒメといったように実際に名前に《ヨリ》がついていたのです。そこから《イリ‐ヒコ / イリ‐ヒメ》なる名前がしきりに現われるようになりました。 つまりは ミネルワの梟は 夕暮れにやって来る。哲学的な総括は 時代の終わるころ成されるようになる。 こういう事例だと見ています。 いま検索してみたら あっちの用例と同じ解釈がありました。 ▲ (「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」)~~~~ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1456425619 人や時代に陰りが生じる、行き詰まりが感じられる。 このようなときこそ、知の力が必要とされる。 そして、知が混迷を打ち破る。 そのことの表現と思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ いやいや ヘーゲルの真意を次のサイトが説明してくれています。《哲学が現実の成熟のあとに遅れてやってくるものであるということ》が 真意です。 ▼ (ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ) ~~~~ http://blog.goo.ne.jp/aowls/e/a9cd79df9dbb792b358683c3354a1bfa (3) (ヘーゲル:法の哲学 序文) 「なお、世界はいかにあるべきかを教えることについて、一言言うなら、いずれにせよ、哲学は、そのためにはいつも遅すぎるのである。哲学が世界についての思想を時代の中にまず現すときには、すでに現実はその形成過程を仕上げており、自らを完成させてしまっている。概念が教えることは、必然的に同様に、歴史も教えている。すなわち、現実の成熟することのうちに、観念的なものが、まず現実的なものに対して互いに現れ始め、そして、前者(観念的なもの)は自らを、現実的な世界をその実体において把握して、知的な王国の形に築き上げるのである。」 だから、・・・「ミネルヴァの梟はまず、迫りくる黄昏とともにその飛翔を始める。」という一文の示す意味は、哲学が現実の成熟のあとに遅れてやってくるものであるということ、現実が完成されてのちに、はじめて観念の王国、知の王国、哲学の王国が建設されるということを言おうとしている ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ へっへ。ざまあみろ。てな具合いにて。
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ミネルヴァの梟は今調べてみました。(私はこんなものなのですよ) 特に思想でも論理でもなんでもないですね。 あくまでも技法の一つでした。 使いたい人間は使えば良いし、使う必要が無いのならばどうでも良い話です。 それとも私の理解の外の意味があるのでしょうか? 有るのならばご教授を願います。知りたいです。
お礼
ん?――まづは ご回答をありがとうございます。 くだんの投稿では 時代が混沌の様相を呈して来ると 知恵をもったミネルワの梟が 飛び立つようになる。すなわち 混沌なる時代という《夕暮れ》に 英知が現われるのだ。と言っています。 まぁ あたらしい解釈をつけ加えたのだと言えば もうそこまでですが もとは意味が違います。 混沌をもふくむむしろ何らかの思潮や産業の隆盛期のことは それが陰って来たころ――すなわち夕暮れに―― その時代の意味や仕組みについて しっかりとした総括のような議論が現われる。そのような総合的な理論分析は 時代が終わるころにやっと出来るようになる。すなわち ミネルワの梟は――英知の女神なるアテーナーは―― 日の暮れるころに森からわれわれのもとに飛んで来る。 こうだと思うのですが。 ですから 日のまだ高いころ・すなわちその一定の時代がそれとして成長期にあるときには その時代のもたらす果実をたのしむ人間たちに満ち溢れ これを理論的に検討する人はいない。いても 人びとは目もくれないであろう。と言っているはずです。 ぜんぜん反対のことを言っている。ことには おどろきました。 これで合っていると思うだけれど。・・・
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ えぐる ☆ !!! まるで外科の手術みたいぢゃん。 相手がそれをもとめているって? まぁ それとして受け留めておきます。 このスレは そろそろにしましょうか。こたえがなければ 閉めます。明日あたり。
補足
《えぐる》先が分かりました。 もうずっと前に 言い方は違いますが 同じような趣旨のことをすでにわたしが 言い伝えてあります。よ。 思惟の中身が 自己矛盾をきたしていて めちゃくちゃでした。まだ 引きずっていますか。