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命は命で償えるのか?
- 福知山市の災難と花火事故。店主への判決に対する遺族の複雑な感情。
- 自己責任と苦悩。自己責任を感じるが、それでも死亡した場合の遺族の感情。
- 東日本大震災の事件と遺族のやるせなさ。
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”気が晴れる”の逆で遺族が悩む例もあるようです。 遺族として死刑を望み、実際に死刑になったことで自分の意見が命を奪うことになったのではないか、と悩み苦しむ例もあるらしいです。
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- gouzig
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No.6gouzigです。 Erdbeerkegelsさんからのコメントを読みました。 ご丁寧にありがとうございます。 私は思うのですが、Erdbeerkegelsさんは最初の質問にもっと本音を書いたほうがいいと思います。 本音を書くと強烈な反論を心配されるのかもしれませんが、丁寧に気持ちを書いたほうが分かりやすいです。 そうすれば、回答者との間に齟齬が生じないと思うのですが。
お礼
回答ありがとうございます。 >私は思うのですが、Erdbeerkegelsさんは最初の質問にもっと本音を書いたほうがいいと思います。 これはご親切にありがとうございます。しかし、長年利用していると分かるんですが、この質問サイトには一定の“クセ”があるんですよ。他所のサイトに比べると 回答者も保守的で意固地で議論好きな傾向が強く、対戦的・説諭的な回答が多く付きやすく、反骨的な質問には激しく反論されがちです。 例えば 死刑制度の不条理性について質問するとします。 (1) 日本では 目には目が認められないのに、どうして 命を命で償うのが正しいのですか? (2) 日本では 命は命で償うのが当たり前なのに、どうして 目には目を がダメなんですか? 上の二つの質問は 結局は視点とスタンスが違うだけで 結局は同じ疑問です。 しかし、(1)の質問では 「あなたは、罪もない子供が理由もなく殺された遺族の気持が分かりますか?」みたいなヒステリックな回答が複数付くのが容易に想像できます。多くの回答者は そこで思考がストップします。 でも、(2)の質問を出すと、(1)よりは回答が付きにくいけど、それでも 真剣に考えてくれる回答者が現れる望みがあります。 あと、本音とのことですが、大半の人は先ず 自分が正しいと思ったスタンスを選んで固定してしまいますが、これでは 複数の角度から見ることはできても一つの視点からしか物事を見られなくきらいがあります。私の場合は どれが一番正しいスタンスなのかは決めれませんし、こうやって 一つの前提を立てて 質問することがあります。でも、確かに 他人からは 主張に一貫性がないとか つむじ曲がりだと思われるのは承知の上ですけどね。もっとも、このサイトは 自分の意見を主張する 場ではなくて質問するところですよね。確かに 若干 回答者には失礼になるかもしれませんが、こうした方が 色んな物の見方が出来ますから。ただ、我儘かもしれませんが、回答者には 一貫性を貫いて欲しいと思っております。
- gouzig
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No.2gouzigです。 各回答者さんへのErdbeerkegelsさんのお礼コメントを見ていて?です。 質問に「遺族はどれくらい 気が晴れるもんでしょうか?」と聞いているのですが、コメントでは回答にほとんど応えず、自分の主張(本音)を書いているだけですね。 宅間死刑囚に対する被害者コメントはどの報道ですか? 光市の福田死刑囚に関して「いざ執行されたら、本村氏が自分もこの事件の敗者だと言っていました」とのコメントは酷いものです。福田死刑囚は執行されていないのですから、本村さんのコメントもあり得ませんね。この創作も酷いものです。 私は真面目に回答したのですが、以上のことは通報に値しますよ。
お礼
再度ありがとうございます。 実はこれと言ってコメントすることもなかったけど、お礼があんまりそっけなくないもどうかと思いましてちょっと無関係なことを書きましたが、お気に障ったのならお詫び申し上げると共に 発言を取り消させて頂きます。
補足
いざ執行されたら→いざ判決がくだったら に訂正してください。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
>遺族はどれくらい 気が晴れるもんでしょうか? 38.2 kh だそうです。
お礼
回答ありがとうございます。 直接のレスではありませんが、↓のページを参考ください。 http://inochi.jpn.org/hitoiki/C04.htm 私は 死刑は現段階では 沖縄の米軍基地や 常任理事国の核のように必要悪だと考えますが、筋金入りの死刑推進者に 幸せな人って少ないような気がします。死刑とは直接関係ありませんが、日本は物質的に恵まれていて 平和な国の割に どうして 幸福指数が低いんでしょうかね。その証拠に 日本では殺人事件が 年間 1000件程度なのに対し、自殺者数は3万人近くに上ります。そして、自殺の手段で一番多いのは死刑の方法にも似ています。単純に考えて 死刑は日本で最高に重い刑のはずなのに、世間では生きていても死刑よりも辛いことが多いということなのでしょうね。
- hekiyu
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”殺人事件で犯人が死刑になったところで、遺族はどれくらい 気が晴れるもんでしょうか?” ↑ 遺族へのインタビューなど視てみますと、 かなり気が晴れているように思えます。 ○○子も、喜んでいるでしょう、とか、 これで墓前に報告できる、とかの発言が 目立ちます。 反対に、死刑で無かった場合は「無念」という 気持ちが伝わって来る回答ばかりです。 落ち度のない被害者が無残に殺されている。 その一方で、加害者は医衣食住つきで天寿を全う することを、国家が保障する。 この不公平感を思ったら、やりきれないんじゃ ないですか。 死刑にすれば、少なくともこういう不公平感は 薄くなるでしょう。 ”命は命で償えるのか?” ↑ 殺した場合、償う、というのは生き返らせることです。 そして、そんなことは不可能です。 だから、死刑は、命を命で償う、ということではありません。 不公平感を少しでも払拭するのがその重大な意味です。
お礼
回答ありがとうございます。 >○○子も、喜んでいるでしょう、とか、 これで墓前に報告できる、とかの発言が 目立ちます。 どうでしょかね。仏教でもキリスト教でも 加害者の死刑を喜ぶようでは 天国には行けないと思います。 >反対に、死刑で無かった場合は「無念」という 気持ちが伝わって来る回答ばかりです。 例えば 欲しいものがあるとします。でも、買い損ねたのと 最初からないのでは悔しさが違いますよね。hekiyuさんも十分すぎるくらいご存知だと思いますが、殺人事件でも 死刑になるのは 1~2%どまりです。だから、却って不公平感が生まれるんじゃないでしょうか? 別の喩で言えば、タレントのオーションなんかで 合格率が1~2%の養成所があったとして、合格した たった 1~2%の受講生の声を聞いて そこの養成所に入るとみんなが 合格するみたいな錯覚を感じるようなものです。 それに、死刑だって 池田小みたいな事件があると、宅間が死刑になったことで 宅間に対する憎しみは大幅に軽減されたと思います。しかし、宅間が最後の裁判の時に、 「お前らの子供8人は わしが殺してわしが死刑になるために生れて来たんだ。」と吐いたセリフを 認めるようで 結局 自分の大事な子供の命が あんな外道の命の1/8しかないみたいに 貶めるようで 遺族たちは 却って 虚しさと悔しさと敗北感を感じたのではないかと思います。しかしながら、私は 宅間の死刑には大きな意義があると思います。こうして 自分たちも反省する機会を与えただろうから。でないと、宅間を恨み続けるだけで 反省することもなかっただろうから。 >この不公平感を思ったら、やりきれないんじゃ ないですか。 宅間守にしても 加藤智大にしても 社会での不公平感が あんな大それたことをした要因だと思いますよ。 >不公平感を少しでも払拭するのがその重大な意味です。 でも、現状では 遺族者同士の不公平感を拡大ししている感じがしますが。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
「しかし殺人事件で犯人が死刑になったところで遺族はどれくらい 気が晴れるもんでしょうか?」 これは気が晴れる場合と気が晴れない場合の両方があるのではないでしょうか。 Erdbeerkegelsさんが書かれているように、どのような罰が下されても大切な人を失った悲しみが癒されることはないでしょうね。 このサイトでも死刑賛否論が盛んですが、刑罰の話と悲しみが癒されるかの話は分けて考えなければと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 池田小の事件でも、宅間が死刑になったことで、宅間に対する憎しみは和らいだでしょう。 しかし、宅間が裁判で「お前らの子供8人は わいを死刑にする為に生れて来たんだ。」と吐いたセリフを 認めたようで 却って 虚しさと悔しさと敗北感を味わったことと思います。
- バグース(@bagus3)
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まず、脱線事故はJR福知山線で起こりましたが、 事故現場は福知山市ではなく尼崎市です。 刑事罰というのは、国家が定めた法律を破り治安を 乱した人を、国家が罰するのであって被害者への 罪のあがないではないのです。
お礼
回答ありがとうございます。 >刑事罰というのは、国家が定めた法律を破り治安を 乱した人を、国家が罰するのであって被害者への 罪のあがないではないのです。 まあ、死刑は現状では容認するとしても、代理復讐という考えは改めなければなりませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >遺族として死刑を望み、実際に死刑になったことで自分の意見が命を奪うことになったのではないか、と悩み苦しむ例もあるらしいです。 死刑賛成者の多くは支持の理由に遺族感情を挙げます。しかし、そういった遺族の悩みに関しては無頓着なことが多いですね。遺族感情もロクに理解できずに 遺族感情をダシにしているだけに感じます。 奈良の小1女児殺害事件でも 女児の父親は ひたすら加害者の死刑を願っていましたが、いざ死刑が執行されたら 「これからは 娘と加害者の二人分の十字架を背負って生きていかなければならない。」と言っていたのが印象的でした。 また、光市の母子殺人事件でも 木村さんはあれだけ 加害者の死刑を望んでいながら いざ執行されたら 「自分も この事件の敗者だ。」と言っていました。これは 死刑で一応 この事件が集結したわけですあ、加害者が二人の命を奪ったのに、加害者は自分の1人の命しか失っていない不公平感があるかと思います。