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播磨灘物語について

いま司馬遼太郎の播磨灘物語を読んでいます。 物語も終盤に入ってきましたが教えていただきたいことがあります。 高松城攻めの最中に、本能寺の変のことを知ってうなだれる秀吉に対して官兵衛が言ったと伝承されているという謎のようなこと、 「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘になりたり。」 とは、どういう意味なのでしょうか。 私の読解力がないためにわからなくて困っています。 よろしくお願いいたします。

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  • tanuki4u
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回答No.1

天下取りのチャンスです。 天下様≒信長 というパラダイムで生きてきた秀吉にとって、信長の死は世界観の崩壊であった。 ところが官兵衛は 天=宿命 と捉え直し 秀吉が宿命の加護の下にある。 御心(=秀吉が、その段階でぼやっと思っていた自分が天下人になるかもという気持ち)のままに天下を取れと。 ぼやっと思っていたことを的確に指摘されたため、その時は官兵衛をありがたい人材と思ったが、のちのち「自分の野心にいち早く気づいた、恐ろしいやつ」ということで、功績の割に、少ない領土しか与えなかった。。。というような感じで説明されてる

jin2009111
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変勉強になりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.3

jin2009111 さん、こんばんわ。 これは「天が与えたもうた絶好の機会です。もはや天下はあなたのお心のままになりました」ということです。 つまり、「天下を取る絶好の機会が訪れました」ということです。

jin2009111
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変よくわかりました。 ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 恐らくは、黒田官兵衛が秀吉に対し、天下取りの野心をどこかで抱いていたとの心象を以てしての言葉でしょう。  「天の加護を得させ給ひ」はこれこそ天恵とも呼ぶべき千載一遇の機会なのだから、それを易々と見過ごすこともないでしょう。その後に続く「もはや御心の儘になりたり」は貴方様(秀吉)にとっては願ったり適ったりともいえる機会ですから、この機を逃す必要などどこにもありません。機は熟していますと後押ししていると僕は理解しています。家康が使った「天の時、地の利、人の和」との言葉の一部を先取りした形でしょう。

jin2009111
質問者

お礼

ありがとうござます。 大変よくわかりました。 ありがとうございました。

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