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黒田官兵衛の名の読み方
戦国末期に日本にきたカトリックの宣教師の書簡には「くゎんひょうえ」と表音されている、と司馬遼太郎『播磨灘物語』で読みました。 今は「かんべえ」と呼んでいますが、いつ頃から読み方が変わったのですか。 「くゎん」は分かるのですが、「兵衛」の部分が分かりません。 よろしくお願いします。
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兵衞を「ひょうえ」から「べえ」と読むようになったのは江戸期のようです。現代ではないでしょう。 以下のサイトが参考になります。 http://homepage1.nifty.com/longivy/note/li0006.htm
その他の回答 (6)
- statecollege
- ベストアンサー率70% (494/701)
>現代用語読みが採用されてからでは? 戦後教育あたり? なんなのこの回答者は?ほかの回答を読んでいないのだろうか?これでは、山本権兵衛「やまもとごんべえ」は昭和の人になってしまうでしょう!質問者の方もかんたんに相槌をうたないでください!
お礼
>質問者の方もかんたんに相槌をうたないでください! そうですね。 仰ることはよく解ります。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
いつから? 現代用語読みが採用されてからでは? 戦後教育あたり?
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 私自身、「官」を「くゎん」と発音していましたが、 戦後いつのまにか「かん」と発音するようになりました。 これは分かるのですが、「ひょうえ」を「べえ」と言うのが 「現代用語読みが採用されてからでは」ということですね。 調べてみます。
- statecollege
- ベストアンサー率70% (494/701)
>「くゎん」は分かるのですが、「兵衛」の部分が分かりません。 ほかの例では明治の日露戦争時の海軍大臣(のちの総理大臣)山本権兵衛は本名は「ごんべえ」ですが、「ごんのひょうえ」と自称していたことは有名です(↓)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B この頃には「ひょうえ」という読み方は普通ではなくなり、「べえ」が一般化していたのでしょうね。山本は「ごんべえ」では重々しさが足りないと考えて、「ごんのひょうえ」と自称していたのでしょうね!
お礼
ご回答ありがとうございます。 小学校では、学校を「ぐゎっこう」、関西を「くゎんさい」と習いました。 なるほど、山本権兵衛は「ごんべえ」ですね。 すると、明治時代から「べえ」と呼ぶようになったのかも知れません。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
兵衛はひょうえと呼びます 信長の家臣だった中川清秀は中川瀬兵衛(せびょうえ)と呼ばれていました 右兵衛佐 左兵衛佐 という官職がありますが 呼び方は うひょうえのすけ さひょうえのすけ べえと読むのは現代です 当時はひょうえと読んでいました
お礼
ご回答ありがとうございます。 >べえと読むのは現代です >当時はひょうえと読んでいました ここなんです。疑問点は! 現代のいつ頃から「べえ」と読むようになったのか、という疑問です。 >中川清秀は中川瀬兵衛(せびょうえ)と呼ばれていました これは参考になります。
- Verhalten
- ベストアンサー率17% (36/201)
>「くゎん」は分かるのですが、「兵衛」の部分が分かりません。 官位ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E8%A1%9B%E5%BA%9C 戦国時代になると勝手に官位を名乗ったりします。 江戸時代になると官位に似た名前を好んで使うようになります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 すると「官兵衛」は官位ですか…。
- atcoffee
- ベストアンサー率16% (184/1091)
そりゃ外国人が発音したんだからそうなったんでしょwwww 常識的に考えて日本語的に不自然だって解りませんか? ちなみにダテマサムネではなくイダテマサムネが正解
お礼
ご回答ありがとうございます。 律令時代から日本人は「兵衛」を「ひょうえ」と発音していたそうです。 また、戦後でも「官」を「くゎん」と発音していました。
お礼
これは、ドンピシャ! よく解りました。 よいコラムを教えて下さってありがとうございます。