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私の書いた短文を訂正していただけませんか。
親に孝行をするのは、昔から日本の美徳だと考えられています。私は、お母さんに生まれた時から、親孝行が息子としての務めとなったと思います。 親は、心を込めて私たちを育てました。いつまでも私たちのそばにいる大切な存在です。私たちを育てるための苦労が、誰にとっても親になって初めて分かられることでしょう。 いつの間にか、私たちも大人となりました。大人の私たちにとって、自分の親に親孝行をすべき時間になりました。 庭の花に水をやってあげても、母を喜ばせるでしょう。父と一緒に公園を散歩したり、テレビを見たりしても楽になれるでしょう。一度親を連れて旅行に行くのも、忘れられない記憶になるに決まっています。私たちは、実際的な行動で親の心を暖かくしました。 親孝行は、形式ではなく、親に対する感激な心です。親孝行について、私はこう思います。 私はいま、日本語を独学していますが、文法が正しいか正しくないか見当がつかないです。 以上は私の書いた短文です。ご訂正ありがとうございます。 ご訂正ありがとうございます!
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- fxq11011
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親孝行は、昔から日本では美徳とされています。 私は、生まれたときから、親孝行が息子である私の務めになったと思います。 親は、心をこめて私たちを育てました、いつまでも私立たちのそばにいてほしい大切な存在です。 私たちを育てるための苦労は、誰もが親になって初めてわかることでしょう。 いつの間にか、私たちも大人にないました。 大人になった今、改めて(現実の具体的な行動で)親孝行する時になりました。 庭の花に水をやることも、母を喜ばせるでしょう。 (母に代って、庭の花に水をやってあげることも、母を喜ばせることになるでしょう) 父と一緒に公園を散歩したり、テレビを見たりすることも、楽しみの一つになるでしょう。 親を連れて旅行に行くのも、忘れられない思い出になるでしょう。 私たちは、具体的な行動で親孝行をしたいと思います。 >親孝行は、形式ではなく、親に対する感激な心です 理解困難、・・・・親に対する感謝の気持ちを具体的な行動で表すことです。 時系列がバラバラ、助詞(は、が、に・・・、)助動詞(だ、・・)の近い方(日本人にとっても難関) 考えられています、敢えて考えるまでもなく・・。 親孝行が主題、敢えて母の強調は不自然(生まれるのは母から、が当然)。 いつまでも私たちのそばにいる、その保証はありません、大切だから、そう願う気落ち 大人の私たちにとって、省略可能(くどい感じがします)。 時間、文字通り、時と時の間、今現在の一点を示す時は「時刻・時」。 楽になれるでしょう、「らく」ではなくたぶん、楽しみ、でしょう。 一度親を連れて旅行に行くのも、たった一度だけですか?。 忘れられない記憶、思い出、又は、良い思い出。 になるに決まっています、そこまで決めつけは?、敢えてなら、「なるはず」、単に「でしょう」で話者の意思は十分に伝わります。 暖かくしました、過去の話ですか、いつの間にか・・・以降は現在又は未来の形ですが。
文法上の間違いは特にはありません。 文章全体を通して使う言葉を統一することをお薦めします。 「お母さん」で文章を始めたのであれば、途中で母、父を使うと読む人に違和感を与えます。 文章の中で母、父の方がふさわしいと考えるのであれば、冒頭にも母を使うと文章全体が落ち着きます。 >私は、お母さんに生まれた時から、親孝行が息子としての務めとなったと思います。 ○私は、私がうまれた時から、お母さんへの親孝行が息子としての務めになったと思います。 ○私がお母さんのもとに生まれたときから、親孝行が息子としての務めになったと思っています。 注)「務めと」よりも「務めに」のほうが柔和な印象を与えます。 >私たちを育てるための苦労が、誰にとっても親になって初めて分かられることでしょう。 ○私たちを育てるための苦労は、誰でも親になって初めて分かることでしょう。 ○誰にとっても私たちを育てる苦労が分かるのは、親になってからでしょう。 ○誰にとっても親になって初めてわかるのは、私たちを育てるための苦労でしょう。 注)「られる」を敢えて使うのであれば「理解される」のほうが良いと思います ○私たちを育てるための苦労は、誰にとっても親になってから初め理解されるものでしょう。 >庭の花に水をやってあげても、母を喜ばせるでしょう。 ○庭の花に水をやっても、お母さんを喜ばせるでしょう。 ○お母さんの代わりに庭の花にみずをやってあげても、お母さんを喜ばせるでしょう。 注)「あげる」の対象が「花」か「母の代わり」なのかを明確にした方が良いと思います。 >父と一緒に公園を散歩したり、テレビを見たりしても楽になれるでしょう。 ○お父さんと一緒に公園を散歩したりテレビを見たりしても喜ばれるでしょう。 ○お父さんと一緒に公園を散歩したりテレビを見たりすることを楽しまれるでしょう。 注)「楽になれる」と書くと、母にとっては父と一緒に行動することが負担になっている、と思われてしまいます。 家事が忙しい時に邪魔な親父を家から連れ出すのであればこのままの表現でもかまいません。 >私たちは、実際的な行動で親の心を暖かくしました。 ○私たちは、実際的な行動で親の心を暖かくします。 ○私たちの実際的な行動が親の心を暖かくします。 注)文章全体が「ます」「でしょう」と現在又は推定を表す言葉を使っていますので、突然「完了」や「過去」を表す「ました」を使うと読む方は違和感を覚えます。 >親孝行は、形式ではなく、親に対する感激な心です。 ○親孝行は、形式ではなく、親に対する感激の心です。 「な」と「の」は、よく使い方を間違えることばですので注意して下さい。 蛇足 日本人は、質問や依頼の文章の末尾に「ありがとうございます」という感謝の言葉を記入しません。 「お願いします」という依頼の言葉を記入します。 敢えて「ありがとうございます」と記入すると、回答を強要しているか揶揄していると受け取られますので注意して下さい。 文化風習の違いです。
- bakansky
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> 親に孝行をするのは、昔から日本の美徳だと考えられています。 (「日本の美徳」 でも悪くはないですが、「日本人の美徳」 とするか、「日本人の間では、親孝行は美徳であると考えられています」 のような文の方がいいかもしれません) > 私は、お母さんに生まれた時から、親孝行が息子としての務めとなったと思います。 お母さんに生まれた時から → 母が私を産んだ時から 親孝行が → 親孝行は 息子としての務めとなった → 息子としての私の務めである > 親は、心を込めて私たちを育てました。 > いつまでも私たちのそばにいる大切な存在です。 > 私たちを育てるための苦労が、誰にとっても親になって初めて分かられることでしょう。 (語順を変えた方が、より自然な日本語の文になります) → 誰でも親になって初めて、子どもを育てる苦労が分かるでしょう。 > いつの間にか、私たちも大人となりました。 > 大人の私たちにとって、自分の親に親孝行をすべき時間になりました。 → 私たちが大人になったからには、今度は自分の親に孝行をすべき時です。 > 庭の花に水をやってあげても、母を喜ばせるでしょう。 → 庭の花に水をやるだけでも、母は喜ぶでしょう。 > 父と一緒に公園を散歩したり、テレビを見たりしても楽になれるでしょう。 楽になれるでしょう → 喜んでもらえるでしょう > 一度親を連れて旅行に行くのも、忘れられない記憶になるに決まっています。 忘れられない記憶 → 忘れられない思い出 忘れられない記憶になるに決まっています → きっと忘れられない思い出になるでしょう > 私たちは、実際的な行動で親の心を暖かくしました。 親の心を暖かくしました → 親を喜ばせてやりたいものです > 親孝行は、形式ではなく、親に対する感激な心です。 感激な心 → 感謝の気持ちを表すもの > 親孝行について、私はこう思います。 (この文は、文章の一番はじめに置く方が良いように思います。ここに置くのであれば、たとえば 「以上が、親孝行についての、私の考えです」 のような文の方が良いと思います) * 独学で学んで、これほどの日本語の文章を書けるとは驚きです。十分に日本語の文章として通用するレベルです。ことばの使い方や言い回しが丁寧であることに好感を持ちました。