おまけです。
お礼欄の(た)についてさらに次をつけ添えます。
すなわち 日本語における完了相をあらわす子音として
人為的な行為の完了相: / t / :助動詞の つ
自然現象のごとき行為の完了相:/ n / :助動詞の ぬ
これが 英語系にも見られるようです。
go went gone
do did done
すなわち 人為的と自然的との使い分けこそ もう見られませんが 完了相に 二つの子音が用いられているのを捉えることができます。無声音と有声音とは 同じ意義素だと見てください。 / t /≒/ d /
ご回答をありがとうございます。
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C言語の開発者がなぜ「!」を選択したのかは知りませんが、・・・この選択の背景には、何か理由があるのでしょう。他人には恣意的に見えますが・・・。そして、「!でいいでいいんじゃない」と他人に思わせる説得力が・・・。
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☆ これは 言語学では ダメですね。例証がなければ 漠然とした感覚だけではダメでしょうね。
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◇ 印欧語では、否定辞に「n」を使う言語が多いですよね。
☆ / n / が 〔同定相および〕否定相であるようです。
▲ (OnlineEtymologyDictionary:no ) ~~~~~
http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_frame=0&search=no&searchmode=none
no : "negative reply,"
early 13c., from Old English na (adv.) "no, never, not at all,"
from ne "not, no" + a "ever."
First element from Proto-Germanic *ne
(cf. Old Norse, Old Frisian, Old High German ne, Gothic ni "not"),
from PIE root *ne "no, not" (see un-).
Second element from PIE *aiw- "vital force, life, long life, eternity" (see aye (2)).
▼ ( ibid.: un- )~~~~~~~~~~~~~~
http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_frame=0&search=un-&searchmode=none
un- (1) :prefix of negation,
Old English un-,
from Proto-Germanic *un- (cf. Old Saxon, Old Frisian, Old High German, German un-, Gothic un-, Dutch on-),
from PIE *n- (cf. Sanskrit a-, an- "not," Greek a-, an-, Old Irish an-, Latin in-), comb. form of PIE root *ne "not" (cf. Avestan na, Old Church Slavonic and Lithuanian ne "not," Latin ne "that not," Greek ne- "not," Old Irish ni, Cornish ny "not"). Often euphemistic (e.g. untruth for "lie").
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◇ 「あり」の対義語は「なし」ですか。 / でも、これは、なんで、「なり」じゃないんだろうか?
☆ これは わたしの知る限り 次のようです。
1. ある という動詞のかたちは いまでは存続法(終止形)ですが 《あり》という概念法(連用形)が意味の上からそのまま存在とその持続を表わし得ます。したがって ラ行変格活用となっている。
2. 否定法の補充用言(助動詞)は ず ですが これは No.1でも触れたように に(否定法)-す(為)から来ていると説かれます。そうして いまひとつ別の否定法の補充用言を使おうという試みが成されたとか。
3. それは あら‐なふ という形態をとるもので なふ がそれです。な(否定法)+ ふ=へる(経る) から来ていると言われます。状態用言(形容詞)で な(否定相)‐し(指定相。言い切り)=無し というようにサマ(状態)を言い表わすのではなく 動態(つまり動詞)として その否定相に表現したいときに使おうとしました。
4. そうすると あら‐な‐ふ なる複合表現は 概念法(連用形)では あら‐な‐ひ となります。つまりハ行の子音が消えて あらない です。ある という動詞の否定形は もう あらない とは言いませんが ほかの動詞で す→し‐ない 行く→行か‐ない・・・のごとく用いると便利であった。
5. 大ざっぱな説明ですが。・・・
6. あら‐へん は あり‐は‐せ‐ぬ からだと思います。せ‐ぬ が へん に変わっています。ひちや∽しちや(質屋)のたぐいです。
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◇ 「言葉は音楽から始まった」みたいなことを言う人もいますし
☆ こういう分野(発想法)は なかなか具体化して来ないようです。むつかしい。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ・・・つまり、「第一の恣意性」と矛盾する現象は僅かにあるけれども、それは「言語構造論にとっては周辺的なこと」であるとして、深入りしなかっただけなのです。ということは、有縁性の例をいくら集めてみせても、それだけで「言語記号の恣意性」を否定することはできないでしょう。 ☆ これは 次の主題とその探究で済んでいるという立ち場にすでに立っています。 ☆☆(No.12お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~ ★(回答No.12) ⇒《音素(子音)が そのままで意義素をおびており そのことが 語の生成にもつながりを持ったかたちで影響している》場合があることは、確かにそのとおりだと思います。 ☆ すなわち この反証によって 《第一の恣意性》は 中身が事実に反すると明らかになったと考えています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち ☆☆(同上) ~~~~~~~~~~~~~~~ これまでにおいて ・ / nVk(g)V / なる語例 ・ / h /=順出相;順定相と/ k /=反出相;反定相との対照 ・ 完了相の助動詞で ツ(/ t(d) /)とヌ(/ n /)との対照 の三つについて説明し得たと考えるものです。どうでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この説明に じっさい確かに次の《シニフィアン(子音なる音素)とそれがおびるシニフィエ(意義素)とのあいだに 自然的かつ論理的なきづながある》という説明を添えれば済む。こう考えます。 ☆☆(No.1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~ (い) なぜ / n / が同定相であるか? この子音は 舌先を上の歯茎のところにおいたあと放すという調音の仕方としては / t / に似ています。ところが / t / は舌先を素早く突き放すのに対して / n / はいささかねちっこくくっつけたあとで放します。ここが子音という音素そのものが 同定相という意義素を帯びるという自然で論理的なきづなが見られるところです。 / t / は 不定指示相もしくは隔定相・放出相というべき意義素を帯びるようです。ta/da 誰; tu つ(完了相)。 (う) / k / ないし / g / は 反出相;反定相です。 息の音の / h / が順出相;順定相です。その息の音の流れを のどの奥に緊張点をもってさえぎるのが / k / でありこれが 反出相;反定相をになうようです。 ha は(中心主題格) ka か(疑問法); ga が(関係主題格) ha-ka 果敢〔‐る(測る・図る)・‐無し・‐取る・‐が行く〕(主題内容の変化・移行・過程の相) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * ★ ということで、[ʃj~?]というシニフィアンと、「犬」というシニフィエとの対応関係は、一重に、フランス語における「恣意的な約束」である…と、こういうことになりますよね。 ☆ けれども その初源の語の生成については まだ分からないという断わり書きをも添えねばならないでしょうね。 分かっているかぎりでは この chien の語源〔だけですが〕は 次のようです。《尖った歯》という意味の語として成り立ったと言っています。それだけでも ★ [ʃj~?]というシニフィアンと、「犬」というシニフィエとの対応関係は、一重に、フランス語における「恣意的な約束」である ☆ だけだとは限らない。こう見なければウソです。 ▲(OnlineEtymologyDictionary:canine ) ~~~~ http://www.etymonline.com/index.php?term=canine&allowed_in_frame=0 canine (n.) "pointed tooth," late 14c., from Latin caninus "of the dog," genitive of canis "dog" (source of Italian cane, French chien), from PIE root *kwon- "dog" (cf. Greek kyon, Old English hund, Old High German hunt, Old Irish cu, Welsh ci, Sanskrit svan-, Avestan spa, Russian sobaka (apparently from an Iranian source, e.g. Median spaka), Armenian shun, Lithuanian šuo). The noun meaning "dog" is first recorded 1869. ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いまでは漢語は 走狗の《狗 gou / こおーお / 》が犬を表わしますが その昔 われわれは 犬 / ケン / という漢語を受け容れています。現代では 犬 quan / チュエーン / といった発音で残っています。 これなら / k - n - /というシニフィアンとして ラテンの canis と相似形を成しているぢゃないですか。――というのは 愛嬌の話に過ぎませんが。 《恣意性に基礎を置く人間の側の言語をめぐるウゴキ これを伴ないつつ出来上がった社会的な約束ごと》であるだけにとどまると言うのは 話が早すぎます。 * ★ ・・・ですから、今回のbragelonne様の議論は、実態的には「通時語彙論に見る恣意性の原理の破れ」くらいの論題に過ぎないと思います。もし、この内容を「ソシュールの《言語記号の恣意性》は神話である」という論題で、例えば「日本言語学会」で発表するようなことがあれば、失礼ながら、一笑に付されることでしょう。 ☆ 《「通時語彙論に見る恣意性の原理の破れ」》について 《 / n, t, h, k,・・・/ なる子音としての音素が その調音の仕方という自然の事象において一定の意味内容を帯び その内容をそのまま論理的にみちびいたかたちで 意義素となっている》ことをも示しました。 息の音 / h / は 順出・順定の相を意義素として持つ。息をするのは 自然でごくふつうなのだから 順出・順定の相を帯びる です。その息の音をさえぎる / k / は 反出;反定相・思考相・疑問相・変化移行過程相などだと言っています。 《一笑に付される》と見通されるその前に もういちど この事実をよく見てみてください。日本語というひとつの言語で成り立ったなら これを例外とするわけには行かないでしょう。 ▲ (丸山圭三郎:言語記号の恣意性) ~~~~~~~~~ 第一の恣意性は 記号(シーニュ)内部のシニフィアンとシニフィエの関係において見い出されるものである。つまりシーニュの担っている概念 x とそれを表現する聴覚映像 y との間にはいささかも自然的かつ論理的絆がないという事実の指摘であって・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 《シーニュの担っている概念 x とそれを表現する聴覚映像 y との間にはいささかも自然的かつ論理的絆がないという事実》は 真実ではありません。《原理の破れ》を例証しました。
補足
★ 有縁性 ☆ とは 派生語の問題だと理解しています。 確認していませんが もしそうだとすれば なかい702さんの側に誤解があります。 派生語の問題で 音素と意義素の基礎理論の部分を例証しているわけではないからです。 それは まさに《音素=意義素》なる原義をめぐる基礎理論を示したのち そこから《派生する現象》についての語例です。原義を例証し得ます。 スワヒリ語の話なども この派生語の次元での問題です。それは 言語ごとに それこそ社会的な暗黙の取り決めとして出来上がり成り立って来る現象として そうとすれば恣意性のもとに 起こっているはずです。 言語記号の恣意性を打ち消す理論とは 別の問題です。《第二の恣意性》のことなのでしょうが 問題はそのとき 初源の段階で 《音素=意義素》を理論として前提しているかどうかで 話が違って来ます。