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国文学を研究してる人って何してるんですか?
国文学の研究者が日本にもいますが、古文はもうすでに、ほとんどが現代語訳されてますよね。なのになにを研究する余地があるのですか?
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- TANUHACHI
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○○大学文学部での△△文学専攻でシラバスを少しばかり調べてみれば、文学作品を単に日本語訳するだけで終わりとの理解が的外れであることも解るはずです。 日本文学専攻ならば、日本文学史から始まって言語学・日本語学・国語史・音韻論といった言語学的領域からのアプローチ方法論が並ぶ一方で、古代(上古)・中古・中世・近世・近代・戦後文学といったタイムスパンからの区分と同時に創作論・評論・文学論争といったジャンル別の区分や文体論・作家論までと奥行きも相当にあります。 そして「ほとんどが現代語訳されてますよね」といっても、ある作品の何時の時代に誰それによって書写されたテクストであるのかによっても訳が少しずつ変わってもいます。更に現時点で確認されている以外にも他の種類の写本がまだ残されている可能性もあり、それによっては今までの見解が全てひっくり返る可能性も十分にあり得る話です。
>国文学を研究してる人って何してるんですか? いろいろやっています。 >古文はもうすでに、ほとんどが現代語訳されてますよね。なのになにを研究する余地があるのですか? 古文を現代語に訳すだけが国文学の研究ではありません。 そもそも文学とは何ぞや、そのなかでも国文学とは何か、というようなこともやっています。 兼好法師はなぜ「つれづれ草」なるものを書いたのか、それを当時の人たちはどのように受け取っていたのか、なぜ現代まで残され続けてきたのか、てなことまでやっています。 つまり、その当時の人達の価値観や表現方法や社会的背景なども全部研究材料になります。 結局、歴史学や民俗学、語学、心理学、社会学などといわれる分野とも重なっています。 古文書だけが対象ではありません。毎月のように出版される書籍も研究材料になります。 学問の研究というのは、自然科学でも文学でも、目的を決めたり成果を求めたりしてやっている訳ではありません。 わからないから調べよう、わからないから考えよう、とどんどんやっているだけです。 調べたり、考えた結果を自分達の生活に都合よく使おうというのは我々庶民です。 使うためにはどうしたら良いのかを考えるのが技術者や政治家や実業家です。 研究者のあずかり知らないことです。 ときどき、大学の先生が一般社会に引き摺り出されて右往左往するのはこの為です。 地質学の先生を捕まえて、原子炉は安全だと言え!と虐めていますが、政治家が責任を放棄した結果です。 地質学の先生達のせいではありません。 日常生活に国文学の先生が役にたたないのは仕方がありません。 就職活動に有利にならないからといって見捨てないで下さい。
お礼
へー、そうなんですか。因みに私がいつ就職活動に有利にならないから見捨てるといいましたか?あなたこそ決めつけていると思います。
- kifimi
- ベストアンサー率72% (425/586)
>古文はもうすでに、ほとんどが現代語訳されてますよね。 そんなことないですよ。 よく知られたごく一部の有名作品は、かなり現代語訳されていますが(No1さんがおっしゃるように、その現代語訳だって正確かどうか議論の余地があります)、世の中には、現代語訳どころか現代の字体で読めるようになっていない(翻刻されていない)作品が山のようにあるんです。 そして、翻刻や現代語訳がある作品のすべてが、一般読者が入手できるような形で出版・流通しているわけでもありません。そこは出版社のビジネスの問題も関係しますので。 なお、言葉の変遷について研究するのは、国文学よりも国語学の分野です。 国文学の成果も、国語学の成果も、お互いに取り込みながら、まずは本文をきちんと理解し、そこから文学作品としての解釈を深めていくんです。 現代文学でさえ、「読めばわかる」じゃないですし、古文の場合は「そもそも、本当にちゃんと読めているかどうか」が問題になります。 研究する余地なんて、まだまだたくさんあるんですよ。
お礼
へー、そうなんですか。じゃ、頑張ってください。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8740/19838)
古文の研究だけが国文学ではありません。 古文に関しても「本文校異」という本文の正確さを研究する分野があります。 現代に残る「古文」は、最古の物でも「写しの写しの写し」だったりして「正確な原本」が見付かってなかったりするので、写本される段階で減ったり増えたりした部分が無いか資料を集めて研究したりします。 >ほとんどが現代語訳されてますよね。 困った事に「その現代語訳が大嘘だったりする事がある」んです。 なので「最も正確な現代語訳はこれじゃないかな?」と研究したり、「最も原本に近い写本はこれじゃないかな?」と研究したり、色々と「出来ること」が沢山あります。 「古文だけ」で、こんなにいっぱい「できること」があるんですから、古文よりも前、中国から漢字が輸入されて日本語が成立する時期の研究とか、古文がどのようにして現代語に変移してきたかとか、腐るほど研究材料があります。 今の若者言葉の「やばい」の使い方も、国文学研究者の研究題材になっていますよ。 研究のネタは、文字通り「毎日のように増えていく」ので、一生研究し続けても終わりは来ないでしょう。
お礼
ふーん。そうなんですか。じゃ、頑張ってください。